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第17回 「こんにちは!三日月です」

  • 対話相手風と土の交藝プロジェクトチームの皆さん

風と土の交藝プロジェクトチームの皆さん

今回は、「風と土の交藝プロジェクトチーム」の皆さんと対話を行いました。

高島市は、近年の高齢化と少子化により人口減少が進む一方で、水源の郷として豊かな自然に抱かれながらも、京阪神からの交通の便が良い“ ほどよい田舎” であることから、多くの優れた工芸作家が、ものづくりの拠点として移り住んでいます。

「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」は、高島を製作拠点に選んだ「 ものづくり(工芸・古民家再生・農林漁業など)」を生業とする人々の自宅や工房を開放するオープンアトリエを中心に、出展作家らと触れあえるトークイベント、古民家再生など各種のワークショップなど、多彩な企画を通じて、来訪者が作家や地域の方々と交流しながら、地方で暮らす魅力を体感できる催しです。

2011年から開催されてきた「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」は、来訪者や市外からの移住作家(風の人)と、地域の作家や農家などの地域住民(土の人)が、その暮らしや作品を通じて交流することで高島の魅力を発信し、近年では、高島全域で40を超えるオープンアトリエの参加を得て、6日間にわたる開催期間中に、のべ約5~6千人の来場者を集めてきました。

「風と土の交藝プロジェクトチーム」は、「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」を開催するために集まった、出展者やサポートスタッフ、有志などの個人で構成される任意団体で、開催に向けた準備や交流などを年間を通じて行っています。

今回は、「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」出展者のお二人のご自宅へお伺いしてお話をお聞きし、その後、風と土の交藝プロジェクトチームの皆さんに知事と語り合っていただきました。

知事から

今回の対話について

  • 今週一週間は、高島市内の安曇川町中野の集落で古民家をお借りして生活を送っている。今週は皆様と同じ高島地域の一員として暮らすので、よろしくお願いしたい。中野に移住している期間中は、自転車で安曇川駅まで行き、安曇川からは湖西線で大津の県庁まで通っている。今日は午後に愛荘町へ行き、そのまま北回りで高島に戻ったので、一日で琵琶湖を一周してきた。
  • 「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」は昨年見学に行っており、オープンアトリエにも行かせていただいた。非常にいい取組だと感銘を受け、年頭の県職員向けの挨拶や県議会での挨拶などでも、折に触れ風と土の交藝について話してきた。ぜひ出展者の皆さんや、運営されている皆さんとお会いして、お話をお聞きしたいと考えていた。
  • 知事就任から一年が経った今、私は「滋賀県で新しい豊かさをつくりませんか?」と提起している。現在の人口減少社会において私たちの生活そのものを見直し、物質的な豊かさや自分の豊かさだけではなく、すべての人が心で実感でき、将来も持続的に感じることのできる豊かさを、みんなで創っていこうと呼びかけている。新しい豊かさには、スポーツや芸術で得られる喜びも含まれれば、遠方の巨大な発電所に頼らず地域の中でエネルギーを生み出して持続可能な社会を創っていくエネルギー政策なども含まれる。そういった取組を滋賀で創り、さらには滋賀から全国、世界へと広げていきたい。県で取り組む具体的なプロジェクトとしては、高島や長浜で市と一緒に取り組む移住促進の取組や、若者を始めとする住民の方々に住み続けたいと思ってもらえる地域づくりのための農山漁村つながりプロジェクトといったものがある。今日は、皆さんの活動のお話と併せて、こういった県の取組への皆さんのご意見もお聞きしたいと考えているので、限られた時間ではあるが、忌憚のない意見をお聞かせいただきたい。

風と土の交藝プロジェクトチームの皆さんから

  • 知事には昨年「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」に来ていただいて、出展者の皆さんからたくさんの商品を買っていただき、出展者の皆さんも喜んでおられた。ご存知のことも多いと思うが、「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」の概要をお話ししたい。初開催以来、昨年まで毎年開催し5回の開催を重ねてきた。今年は例年どおりの「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」としては開催の予定はないが、メンバーの中で別の形の企画が進行中となっている。
  • 高島には移住されてきた作家が沢山おられ、そういった作家の方々がそれぞれに、高島ならではの素敵な暮らしをされていたので、そういったものをピックアップして皆さんに伝えることができればという発想から、「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」は始まった。高島にお住まいの作家の皆さんに話をする中で、作家の方々の家を巡るオープンアトリエ巡りを中心とする現在のイベントの形ができてきた。
  • 手仕事という意味では、工芸も農業も古民家再生も高島らしい暮らし方に違いはないという作家の方々の意見を取り入れて、出展対象はアートに限定しない「ものづくり」に取り組む方々としている。来ていただく方々には、出展者の暮らしや生き方に触れることで、田舎で暮らす豊かさを感じていただければと考えている。
  • 「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」の運営方法の特徴として、様々な立場の方がボランティアで集まっていること、そしてメンバーが固定されておらず、毎年入れ替わっていっていることがある。風と土の交藝をきっかけとする繋がりから、ゆるやかなネットワークが形成されており、風と土の交藝に参加することによって、高島で生きるヒントが見つかったり、支えあえる仲間ができたといった感想もお聞きした。いま若い人が田舎で生きるためには、人のつながりが非常に大切で、それを知るきっかけとなっていることがわかり、たいへん嬉しく感じた。
  • 朽木でサラリーマンから脱サラして古代米づくりなどの農業をしながら、大福餅などの販売にも取り組み、風と土の交藝に出展している。先ほどは知事にも家に来ていただき、大福餅を食べていただいたが、もともと餅やお米には季節があり、節分等の大事な時期に食べていたものだった。そうした大事なことを、米離れが進む今、もう一度再認識していただき、お米に対する興味を持っていただきたいと考えている。そうした考えから、古代米や和菓子を通じて、農業に対する関心を持っていただければと思っている。
  • 2010年に大津から安曇川に移住してきた。元々芸術に関心があり、芸術系の大学へ進んだが、飲食店で天然酵母のパンを焼いていた時に、水というものが我々が生きていくうえで非常に重要なものであることに気づき、「食」に対する価値観が変わった。今、2人の子どもがいるが、子育ての環境などを考えた時に、良い水で育てたい、良い環境で育てたいと考え、それは都会では大金を払っても手に入れる事が出来ないと思い、色々な縁もあって、高島に住ませてもらう事が出来た。そうした中で風と土の交藝を仲間と一緒に立ち上げ、活動させていただいている。
  • 6,7年前に彦根市から移住して、風と土の交藝に携わっている。主に移住促進に取り組むNPO法人である「結びめ」で活動しており、滋賀県や高島市などと様々な形で協働しながら活動している。
  • びわ湖高島観光協会に勤めているが、風と土の交藝に関しては、観光協会の仕事という枠組み以上に関わらせていただいている。私は移住して9年目になるが、妻も移住者であり、お互い高島で出会って結婚し、現在3人の子どもがいる。
  • 「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」には第2回から関わっており、第4回の終了後に瀬田から移住してきた。今年、「大溝の水辺景観」が重要文化的景観に選定された大溝地域に住んでおり、「大溝の水辺景観まちづくり協議会」の事務局に勤務している。現在移住1年目で、いま住んでいる家は、高島市から紹介されたものだが、風と土の交藝で培った人間関係があったために、安心して移住することができた。
  • 2011年に神戸市から移住してきた。移住者同士でシェアハウスで一緒に暮らしている。本業は獣医師で新旭の動物病院に勤務している。風と土の交藝の活動以外に、田んぼの生き物調査などに取り組む体験型食育イベント「湖地考知(コチコチ)プロジェクト」などの活動にも携わっている。
  • 移住して朽木に住んでおり、先ほど知事に家に来ていただき、お見せしたような高島の自然の中で遊ぶ子どもたちの写真を主に撮っている。なぜそういう写真を撮るのかとよく尋ねられるが、第一には撮るよりも自分が一緒に遊ぶのが楽しいと言うことがある。子ども達を見ていると、自然の中で何の制限も受けずに、爆発するようなエネルギーを感じる。それがとても大切なものではないかと感じ、ずっと撮り続けている。
  • 5年前にUターンで高島に戻り、今津でガラス作家をしている。高島に戻った理由は、幼少の頃を過ごした湖や山があり自然が豊かだという魅力と、自分を知ってくれているという安心感からだった。モノを創るインスピレーションの源として、そうした土地でやりたいと考えて戻ってきた。お金だけに縛られず、クリエイティビティや人とのつながりといったことを生活の基本にしたいとの思いから作家になったが、風と土の交藝を通じて多くの仲間と出会うことができたと感じている。
  • マキノの出身だが、2年ほど前に京都からUターンで戻って来た。京都で働きながら絵を描くという生活をしてきたが、ものづくりで自分の生活を立てられないかと考え、また、狩猟に興味があり、街に住むよりも高島の方が環境があっていたのでUターンしてきた。高島へ戻ってから狩猟を始め、鹿の骨を使ったアクセサリー作りにも取り組んでおり、現在は、生活を立てられるように活動を広げていこうと試行錯誤をしている。ちなみに今日身に付けているネックレスも鹿骨の彫刻で、名刺入れはイタチの毛皮を自分で加工した物。
  • 2年前に高島市に引っ越して来て、普段は陶芸をしている。風と土の交藝にも2年前から事務局スタッフとして関わっている。日曜大工程度だが、古民家を改修して床を張ったり、壁を塗ったりしながら、ときどき庭を耕したり、お茶を摘んだりして半自給自足を目指して暮らしている。
  • 今津で和ろうそくを作っており、創業101年目となる。もともとはお寺などが使う大きなろうそくを作っていたが、最近では寺からの需要もなくなってきており、なかなか大きなろうそくが使われなくなっていく中で、どうやって和ろうそくを残していこうかということを考えながら仕事をしている。
  • 「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」を今までに5回開催してきたが、スタッフも皆、他に仕事を持っており、さらに子どもが生まれたり、家庭環境の変化などもある。継続的に運営していくには、事務局機能が脆弱であるという問題があり、今年は一度開催をお休みすることとなった。今後についても、スタッフは皆、前向きにやっていきたいという思いは持っているが、具体的に次の展開をどうするかという所までは考えられていない状況にある。現在、少し違った形のイベントを立ち上げる提案が出ており、今までの取組を引き継いでいくことができないかと検討している段階にある。
  • 現在検討している新しい企画は「工藝の庭」というタイトルで、「クラフトフェア」の開催を考えている。クラフトフェアは、簡単に言えば「手作りのものを売り買いする場所」で、「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」の価値観を引き継いだクラフトフェアにしたいと考えている。「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」がお休みするタイミングと重なったために、その代替のようにとられるかも知れないが、「工藝の庭」は「風と土の交藝」とは違うものとして開催し、「風と土の交藝」を続けていく一助になれば良いと考えている。
  • 和ろうそく作りにいそしむ中で、ろうそくが使われなくなってきたことを危惧していたが、ろうそく以前に、火というもの自体が暮らしの中から無くなりつつあることに危機感を持っている。一方で、高島でものづくりをしている方々は、自然と人との良い距離感を保ちながら、ものづくりをされていると感じている。自然と上手に付き合いながらものづくりをされている方々を集め、物の売り買いだけではなく、自然と人がどう付き合えば一番適正であるか、豊かであるかというテーマを軸においたクラフトフェアをやってみたいと考え、「工藝の庭」を提案した。
  • 毎年イベントを開催する中で、開催自体が目的化されてしまい、本当に大事な部分がぼやけてきたと感じる。開催することに必死になってしまって、スタッフが疲弊している状況もある。そこで、毎年開催という現状を今一度見つめ直して、自分達の暮らしやペースに合った開催の仕方を、資金調達の方法なども含めて、みんなで一緒に検討したほうが良いと考えている。
  • 高島ならではの自然と寄り添ったような形で、もっと自分達がやりやすい形で「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」を実施していくことを考えており、次回の開催が来年になるのか再来年になるのかはわからないが、関わってきたスタッフの意志としては今後も続けていきたいと思っており、見たいとおっしゃっていただけるお客さんも多くいるとの実感も持っている。
  • 「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」にしても、企画中の「工藝の庭」にしても同じ課題を抱えているのだが、スタッフは他に本業を持っており、事務局を担うことにかかりっきりにはなれない。それぞれに色々工夫しながらやってはいるが、アイディアややりたいことは持っていても、実際に動かしていくには大きなパワーが必要となってくる。私たちの取組と県が目指すものに共通点があれば、県にも力を貸していただけたら嬉しい。
  • 事務局で中心になって動くスタッフは、多様な価値観や立場のスタッフをまとめたり、あるいは多様な意見を反映したりしなければならず、たいへん忙しくストレスもたまってしまう。それでもイベントを完全にやめてしまおうとは誰も考えなかった。やめるのではなく、今年は休んで次を考えてみようとなったのは、関わったスタッフみんなが「風と土の交藝」に対して価値を見出しているからだと思う。子どもを持っているスタッフには、高島はこんな素晴らしいイベントをしている地域だということを子ども達に見せたいとの考えもあり、ここで火を消してしまうのはもったいないとの思いもある。
  • 私が2年前に高島に帰ってきた時には、自然とのつながりを生かして、動物の骨や革で作品を作ると言う発想までは持っておらず、何をすればいいかわからなかった。風と土の交藝を通じて、高島で作家活動をしながら生活をしているクラフト系の作家がたくさん居ることを初めて知り「こういうものづくりをすれば良いのか」とヒントをもらった。
  • 高島市への移住促進についてだが、自分の周囲では、ここまでの話にも出た自然との共生などの高島ならではの魅力に魅かれて、価値観の近い若い人たちが沢山移住してきているので、もっと地域の個性を前面に出してPRしていけばと感じる。どこにでもある都市を目指すような開発などは高島には必要ではなく、育児環境や医療の整備といった生活上必要なものを満たしさえすれば、それ以上の開発にエネルギーを使う必要はない。移住してきた方々は、自分の価値観にあった土地を探して、自力で高島を見つけたという方が多いので、古民家で暮らせたり狩猟をやりたい人は狩猟もできると言ったことを伝えていけばよいと思う。
  • 全国に「田舎」がたくさんある中で、高島はどういう田舎なのかという点を整理すると、高島の特長は山と湖の距離が非常に近いことであり、それを生かした独自のブランディングが出来る可能性がある。「山と湖」という観点から見ると、似た特性を持つ地域として北欧があるが、北欧は今、ものづくりの人たちが非常に多い地域となっている。たとえば、かつては刃物メーカーや鉄鋼の街だったフィンランドのフィスカルスという村は、企業が撤退し一度は廃墟のようになってしまったが、職人やデザイナー、アーティストといった人々が住み始め、今では「ものづくりの村」として観光名所になっている。このように、画一的な都会を目指すのでなく、そこでしか出来ない田舎というものを追求していくと面白いと思う。
  • 「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」に対する地元の反応は当初は薄かったが、実際に市外から来場者が来ているというところから徐々に行政等にも反応が出てきた。実態が見えてくるに従って「これは面白い」と評価してくれる方が多くなってきた。観光協会においても、そこに住む人の暮らしの中に入るという過去にないジャンルのイベントだったことと、合併して高島市ができて十年経つ中で、唯一の市全域を使ったイベントであることが評価されているようだ。
  • 移住促進の取組で他市町や他団体と関わっていく中で、滋賀県としての発信が一本化できていないことが現場の課題になっている。「ココクール(滋賀らしい価値観を伝える商品・サービスを選定し、その魅力を県内外へ発信する取組)」や「おいしがうれしが(滋賀の地元で生産された食材を地元で消費する『地産地消』を推進する運動)」や「MUSUBU SHIGA(滋賀県のもつ魅力を集め再構築し、滋賀県全体の新しい価値として方向性を定め、発信しながら滋賀ブランドの強化を試みるプロジェクト)」など滋賀県が行っている情報発信の取組は一つひとつはすごく良いものだが、ばらばらになっており一本化して発信できていない。例えば、私たちが移住促進の取組の中で、こういったものを使おうとしても使わせてもらえない。また、移住促進の取組自体の主体は市町ではあるが、全国に発信するときは「高島に来て」「長浜に来て」「彦根に来て」とバラバラに発信するのではなくて、「滋賀県に来て」と発信しないといけないのに、各市町の予算で動いている以上、高島市の事業で長浜市の発信はできないとなってしまう。全国に滋賀県の良さを発信していくときに、何かいい仕組みがないかという話題が良く出る。

 

知事から

対話を振り返って

  • 安曇川町中野のテレビも置かれていない古民家に移住して生活を送る中で、夜中に虫の声で目が覚めるなど、自然とのつながりの深さといったものを実感している。私自身は創作活動をしたことはないが、人間にとってなくてはならないものとの関わりが薄れてしまっている今、作家の方々からの「高島に移住して創作活動を行うことで、生き方、暮らし方を考え直してみませんか」と言う問いかけは、来る人の心に響く。野生動物の革や骨で作品を作るという発想にも感心した。
  • 「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」に昨年初めて参加させていただいた際に、大いに感動して、今年はどんな内容になるのかと楽しみにしていたが、皆さんの話を聞いて、無理をしながら毎年開催するよりも、地に足つけて、みんなが納得する形で進めていくというのも高島らしくて良いと感じた。楽しみにされている方も多いので、今後の「風と土の交藝 in 琵琶湖高島」や「工藝の庭」について、一緒に考えて行きたい。
  • この土地ならではの地域づくりを追求していく取組として、高島にとって非常に大切なイベントでもあるので、合意形成は難しいかもしれないが、これからもみんなで協力しながら風と土の交藝を続けていってほしいし、大事に育てていきたいと思う。補助金に頼りすぎたり、実行委員長等の誰か一人に頼りすぎたりすると、補助金や中心人物が抜けるだけで終わってしまい、イベントを長く続けていくことはできないので、みんなで取り組むことが重要。
  • 京都や大阪などの都会と同じものを目指すのでなく、滋賀の持つ強みは何かをみんなで見つけて、従来の「田舎から都会へ」「農業より工業」といった価値観を見直し、新しい価値観や豊かさを追求することを目指そうと呼びかけている。滋賀には豊かな自然や四季の変化があり、子育てにも向いているし、ここで一生を終えたいと感じられる地域であり、その良さを大事にしたい。若者が都会に出て行ってしまうから、ここにも大きな煌びやかなものを作るというのは滋賀県が目指す姿ではないと思うが、「高島にも工場や高速道路を」と考える人も多いので、「高島にはもともと良いものがある」ということを伝えていければと考えている。
  • 移住促進の取組については、滋賀らしさを大切にしながら、皆さんに住んでもらえるような地域を創っていくことをめざして行きたい。取組にあたっての市町間の連携や、県のリーダーシップを、「ココクール」「おいしがうれしが」「MUSUBU SHIGA」などの県の取組の整理などについては、「MUSUBU SHIGA」の自由な使用も含めて、移住の呼びかけがより効果的にできるように発信の仕方を改善していきたい。