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第11回 「こんにちは!三日月です」

  • 対話相手長浜市木之本町杉野の皆さん

長浜市木之本町杉野の皆さん

今回は、長浜市木之本町杉野の皆さんと対話を行いました。

長浜市木之本町杉野は、長浜市北東部の杉野川上流に位置する、約110世帯、人口約330人の地区です。

古くは林業や養蚕が主な産業でしたが、現在は兼業農家が大半となっています。昭和40年までは、上流の金居原で鉱山(土倉鉱山)が経営され、主に銅の採掘が行われていました。

人口減少などの地域の様々な課題に向き合い、地元住民の皆さんが、田舎暮らし体験事業などの都市からの移住や交流事業に積極的に関わるなど、自らの地域を自らの力で暮らしやすくする活動に取り組まれています。

今回は、知事が湖北に居住し、冬の湖北地域の魅力や特性を体感することとあわせて、長浜市木之本町杉野にお住まいの皆さんに、湖北の暮らしの中での想いなどについて、知事と語り合っていただきました。

知事から

今回の対話について

  • 杉野の地に、今日から8日間、皆さんと一緒に住まいさせていただく。木之本駅までバスに乗り県庁に通勤しようと思っている。お許しいただけるならば、次の週末に予定されている杉野の伝統行事「オコナイ」にも参加させていただければと思っている。皆さんと一緒に水を飲み、食べ物を食べさせていただき、その中で得られることを県政に活かしていきたいと考えているので、よろしくお願い申し上げる。
  • 琵琶湖の源流の山と森と川を守っていただいていることに厚くお礼を申し上げる。
  • 先程、杉野地区を見学させていいただいた際に、土倉鉱山が栄えていた頃のお話をいろいろと伺った。そうした山の資源を生かした活性化策を皆さんと一緒につくり、これまでは山や村から都会へという流れがあったが、これからは、山の中で、自然の中で生き、暮らし、亡くなっていくということがもう一度見直される時代を皆さんと一緒につくっていければと考えている。その基になる策を杉野の中で見出していきたいと考えている。この対話の場でいろいろなご意見を伺えればと思う。

長浜市木之本町杉野の皆さんから

(1) 杉野地域の歴史と現状、新たな取組

  • 杉野は昔から山岳信仰で栄えたところ。横山岳がその山で地元には横山神社がある。神社に残る古文書によると、592年に杉の巨木が降り、593年にその杉の巨木を以って横山大明神をつくられた。それを元に滝の少し上で横山神社を興されたのが始まりと言われている。593年というと今から1420年余り前になる。杉野には、おそらくその頃から人がすでに住んでいたと思われる。
  • 杉野の近隣には「土倉鉱山」があった。明治40年に、岐阜県安八郡の方が、そこに転がっている銅鉱石を見つけられた。そこからスタートして昭和40年までが、「土倉鉱山」を中心とする、この地域が一番栄えた時代だった。
  • この地域で忘れてはならないのはお蚕さんの「養蚕業」。当時の杉野地域の田の面積は今とほとんど変わらない。296軒の農家があり、1軒当たり3反の田を作っていた。そこに副業で262軒の養蚕業を営む方がいた。蚕のエサになる桑畑が必要になるので、1軒当たり3反の桑畑も持っていた。田に匹敵する桑畑を持ち「養蚕業」も進めていた時代があった。
  • もう一つは炭づくりの「製炭業」。特に金居原を中心に、寒い所なのでよくしまった良質の炭を取っていた。杉野もそうだが山に囲まれており、炭を作るために山を取り合いしたという歴史もあるくらい。最盛期には10万俵近くの出荷があったと聞く。炭を売るための協同組合がこのあたりの農協の始まりというくらい、ここは炭が中心だった。
  • 人口のピークは昭和39年で、この辺り一帯の音羽、杉本、杉野、金居原の地区の総人口は2千5百人くらいあった。今は565人で約5分の1近くに減っている。世帯数は224軒だがピーク時でも250軒~260軒だったのであまり変わっていない。世帯の軒数はあまり変わらないが人口は減っている。昔は一軒の家にたくさんの方が住んでいたが、今は核家族や高齢者だけの寂しい暮らしになってきているのだろうと思われる。
  • 平成7年には金居原に関西電力による揚水発電の計画があった。上部ダムを岐阜県揖斐川町に造り、下部ダムを金居原に造るということで228万kwの発電を目的としたダム計画があり、地域を様々な意味で賑わしてくれたが、残念ながら中止になった。
  • このあたりの自然に関しては、雪の記録として昭和11年に4mを越える積雪があった。昭和38年の豪雪では3mを越えた。昭和56年の「56豪雪」の時には2階へそのまま歩いて入れるほどの雪で、自衛隊に出動してもらい除雪を行った。雪が降って溜まり大量の積雪になってしまう地域。
  • 高齢化率も、この10年で一気に高齢化した。今は、音羽、杉本、杉野、金居原の地区全体で39%。杉野でもずっと27~28%だったが、いよいよ32~33%にまでなった。高齢化と言っても大変元気な高齢者の方が多い地域。60代ではまだまだ若く、70代になってようやく一人前というくらいのイメージ。
  • 問題は子どもの数が減っていること。小中学生を併せて25人前後。たいへん子どもの数が減っており、その親も減っている。この地域にとっての大きな課題だと思っている。
  • 今日の対話に来ていただいた方々は、そういったことに負けずに、いろいろと仕掛けや準備などを中心になって進めている方々。田舎暮らし体験住宅の「さきち」も、潰す前の家をもう一度再生させたいという思いで寄った仲間たちで作り上げたもの。そういったところを、この1週間で体感していただいて、県政に活かしていただきたいと思う。

 

(2) 湖北の暮らしの中での想い

  • 老人会の会員はこの地域では100人を超えている。老人会は地域の中で一番元気。一番大きな組織。最高齢の方は96歳。介護の施設は木之本まで出るとある。デイサービスやショートステイ、バスでの送り迎えなど、高齢者の介護関係ではいろいろとお世話になっている。一人暮らしの高齢者もいるが、今は施設に入所されている。
  • 「土倉鉱山」は昭和40年まで操業されていた。それからもう50年になる。地域の中でも50年も過ぎると忘れられてきている。その中で働いていた人もたくさんいたが、ほとんど亡くなった、明治43年から鉱石を発掘し始めて、昭和40年まで55年間続いた。主として銅を産出し硫酸鉱石なども取れた。県下では唯一の本格的な鉱山。昭和38年頃から貿易の自由化の中で安い銅が入ってくるようになり、地下に鉱脈は残っているが奥地に掘り込んでいくとコストも高くなるので、採算が取れなくなり閉山した。ここから7~8km奥地に行ったところで掘り始められた。奥地で雪が多い所で毎年のように死者が出た。その後、2kmのトンネルを奥地へ掘って鉱石を掘り出した。通勤もトロッコでトンネルに入った。昭和40年に閉山されて鉱山の歴史は忘れ去られようとしているが、地域にとっては大事な歴史でもある。
  • その歴史の残存というか、鉱山施設のコンクリートの基礎部分が残っている。そうしたものが珍しい時代になったのか、年間を通じて多くの人が見に来られる。観光ツアー的に来られて、年に何回か案内役をしている。地域の歴史としてずっと伝えていくことができればと思っている。いろいろな面でご支援をいただきたい。道路がだいぶ傷んできている。2kmの坑道があるが、そこから出てくる地下水を利用して多くの集落が融雪装置に使っている。そういったものが地域の活性化につながってくれればよいと思っている。
  • 木之本駅行きのバスは始発が6時30分頃で、駅まで35分くらいかかる。
  • 自家用車を使って行く人が多い。
  • バスには1人か2人くらいしか乗らない。始発のバスには高校生が通学で乗っていると思う。
  • 子どもが高校生の時には、通学で自転車で木之本駅まで行っていた。クラブ活動もしていたので帰りも夜10時くらいになるが自転車で通っていた。冬は雪も降るので車で送り迎えをしていた。バスの運賃も値段が高いので車にしていた。
  • 木之本駅までの運賃は590円かかる。運賃が高い。
  • 去年から高齢者向けの制度で割引のパスをいただいたので、高齢者は100円で行ける。
  • 去年から市の方でも高校生を対象に1万円で乗り放題券ができた。ここから長浜まで通うのに湖国バスを使うならば1万円で1ヶ月乗り放題になる。これが無いときは本当に高かった。定期でも高い。
  • 「ささゆり会」は婦人会と老人会の間の世代の人の会。
  • 婦人会は今年度は会員30名。年齢は55歳まで。結婚してその家にきたお嫁さんが婦人会に入会すると、お姑さんは婦人会を卒業して「ささゆり会」に入る。結婚してここに来るまで杉野がこんなに遠い所とは知らなかった。来てみたらお米が本当においしかったので、よく食べるようになれた。おばあさんがつくるおかず、炊いたものやお漬物などもとてもおいしい。皆さんが食事をつくるのが上手。
  • 私は杉野生まれなので、杉野の食文化を大事にしたいと思っている。おじいさん、おばあさんも鯖寿司などを漬けてきたので、私も毎年50匹くらい鯖寿司を漬けている。そばづくりも、実家が近いので、おじいさん、おばあさんが作っているのを手伝っている。そばの実も種まきをして収穫をして全部ここで作れる。昔は石臼で引いてそば粉にしていたが、今は専門の業者に頼んでいる。
  • 農園でそばの栽培もしている。学校の生徒が種まきから収穫、脱穀までして、学校で生徒と一緒にそば打ちもしている。
  • 杉野のおそばはとてもおいしい。
  • 杉野地区地域づくり協議会は、平成23年に設立して、3つの部会をつくって地域を活性化していこうということで取り組んでいる。まだ大きなことはできていないが、杉野はお米がおいしいということから、一昨年から試行錯誤しながら無農薬、無肥料の米を栽培している。残念ながら昨年はほとんどサルに食べられて収穫ができなかった。将来は杉野のブランド米としてやっていきたい。今年も挑戦する。
  • 試験的に8種類くらいの米の品種を栽培した。サルが、食べ尽くしてもまだ食べに来ていた品種があった。サルが食べて離れないものは美味しいのではないか思うので、それを今年は作ってみようと考えている。
  • 農作物の獣害対策は非常に大事なこと。高齢化率が40%近くなった。10年先、20年先と先々のことを考えてシュミレーションしてみると、おそらく10年先には50%を超えているだろう。学校の生徒数から考えても先々のことが危惧される。若い人がここに住んでくれると一番よいが仕事の関係などで難しい面がある。その若い人たちもいずれ歳を取るので、定年なったらこの地域に帰ってきてほしいと思っている。そのために、今、一度出ていったがまた故郷に帰って住みたいと思ってもらえる地域づくり、環境づくりをしていきたいと考えている。今はまだ高齢化率40%で元気があるので、高齢化率が上がる前に、今住んでいる人が環境づくりをしていく。自分たちだけでできないところもあるので、人、物、資金などでは行政からの支援もお願いしたい。
  • 今、獣害対策の中でも、鹿による山の木の被害が非常に多い。せっかく農作物を作っても、明日収穫できるという時にサルに全部持って行かれる。サルはよく知っている。このような状態では、ここに帰ってきて住もうかという環境でなくなってしまう。こうした面でも、これからの地域づくりとしては進めていく必要がある。
  • 福祉の関係でも、高齢化率が上がってきた時に、高齢者の支援をどうするかがある。一人暮らしの高齢者の家があり雪がたくさん降る。誰か来て除雪するまで生活道路を開けてもらえない。そういった面の支援もしていかなければならない。こういう面でも地元だけではできないこともあると思うので行政の支援をお願いしたいと思う。
  • 同級生は15人いたが、今ここに住んでいるのは私一人だけ。帰って来るよう言っているが、皆外に家を建てて出ている人ばかり。今のところ帰って来る気配は全くない。
  • 私はひのえうまの年生まれの学年だったので同級生は6人だった。今ならば6人でも1学年の人数としては多い方。今は1人だけの学年もある。私の一つ上の学年は21人、一つ下は15~16人だった。この会場にもその内の何人かいるが、数えるほどしか残っていない。
  • 以前は高卒が多かったが、今は大卒が非常に多くなった。そうなってくると、自分の能力があるのに、この地域には仕事がないので、都会に出て行かないといけなくなる。大学を出ていることは非常にいいことだが、その力に見合った仕事がない。
  • 林業に関しては、今ほど山が荒れ放題になっている時期はない。木は、切り倒して運び出してこないといけないが、その経費の方が高くついてしまう。お金にならない。それが現実の山の状況。山の魅力が全くない。
  • 杉野には、現在も林業を一生懸命している人がいる。
  • この地域の林業はコストが高い。何故かというと、このあたりでは雪が降ると植えた杉が全て倒れて寝てしまうので、全て起こさなければならない。面積一反あたり230~250本を植えるが、全部一本ずつ縄で引っ張り起こす。それを15年くらいしなければならない。和歌山や奈良など南の方の雪の降らない所では何もしなくていいが、この辺りではそのようなコストが非常に高くつく。
  • たいへんな手間をかけて管理して、ようやく今、大きくなってきたのにお金にならない。
  • その木が全部、シカに皮をめくられる。最終的には枯れてしまう。対策として木にテープ巻きをしているが、それも5年しかもたない。木も大きくなるので、5年経つと、また一本ずつ巻き直しが必要で、非常にコストが高くつく。林業を続けていくと、借金が増えるばかりでご飯もたべられなくなる。上手くやれば続けていけると思うが、そうしたノウハウは私たちだけでは難しい。湖北森林整備事務所でされているいろいろな視察にも行き勉強もさせてもらったが、なかなか難しい。今は山を持っていることはマイナスの要因。せっかく大きくした木も全てシカにやられる。林業が上手くいくようになれば、これだけ山に木があるので、大きな財産になるのだが。
  • この付近は以前から植林を熱心にやってきた地域。ずっと植林をしてきたのに、今は全くやっていけない。
  • 植林を進めるため県でやっていた琵琶湖造林公社や滋賀県造林公社は、今では赤字になり民間ならば倒産。いろいろとその対応のための措置はされたが。山での林業は農業と違い機械化ができない。そこを見誤ってはいけない。農業は大型機械で拡大もできるが、林業では山の中で人力で草刈など何事もしなければならない。造林公社では帳面上で経済性を見て将来は儲かるだろうという計算で進められたのだと思うが、現場を把握していなかった証拠。造林公社は大失敗。民間では植えられなかった奥山など、空いている山に全部杉の木を植えた。現在の獣害や花粉症の要因にもなっていると思う。何事にもバランスというものが大事。造林公社が植林する前にはいろいろな雑木林があった。昔は木炭作りをしていたので雑木林も大事にしていた。
  • 造林公社が土地所有者と契約して奥地まで全部植林した。管理もまともにできない奥地なので、そこに植林したことに無理があった。今になって契約を解除すると言われ困っている。後始末をきちんとしないと、今が大事な時期。
  • 熱心に植林されて、たくさんの植林が育ってきている。これを今、活かせるならば非常によいと思う。しかし山が全く活かせていない。
  • 山が荒れると水の保水力もなくなる。災害も起こりやすい。
  • 杉の木が多いが、自然木などいろいろな木がないと環境によくないとも聞く。
  • 川に漁業組合があり川の管理もしている。県で堰堤を造る時に、堰堤だけを造り魚道が造られていないので、魚の遡上が止まってしまう。以前に、県にお願いして一つだけ魚道を造ってもらったことがある。県の仕事では、水産や土木などいろいろな課があるが、一つの課だけで考えないで、堰堤を造る時には、水産のことや治水のこと、災害のことなどいろいろな方面で考えて堰堤を造ってほしい。昔はこの村まで琵琶湖から鮎が遡上してきた。近くの堰堤には魚道を造ってもらえた。あれはよかった。またまだ魚道を造ってもらいたい所がたくさんある。
  • 以前はそれがほとんどできていなかった。
  • 川の音羽辺りの所に、魚道を申請して造ってもらった。下の方からは魚がある程度上がってくるようになった。
  • 一番の問題は高時川の瀬切れ。ある時期に瀬切れが起き、水が一滴も流れない川になる。一番大事な時期に瀬切れしてしまい水がない。ぜひ改善してほしい。
  • 田の方には水が流れているが川の方には水がない。
  • 年間の3分の1が瀬切れの状態。
  • 杉野川では瀬切れはない。下流の高時川で瀬切れすると、杉野川のこの辺りまで魚が上がってこない。
  • 以前は琵琶湖から遡上してくる魚がいたが、完全にいなくなった。
  • 昔、養蚕業をしていた頃は、生糸を取った残りの蚕のさなぎを壷の中に入れ、上に何ヵ所か穴を開けた布をかぶせて、朝方に川の中に置いて夕方見に行くとツボ一杯に鮎が入っていた。
  • この辺りは多角経営でいろいろしないとご飯が食べられなかった。勤勉で働くことを惜しまない人ばかりなので何でもやってきた。

 

知事から

対話を振り返って

  • 皆さんと約束していた冬の杉野に来ることができてよかった。以前に、JR社員の時の先輩から、故郷の杉野に遊びに来ないかと誘われていた。それを頼って一度杉野に寄せてもらい「いいところですね」と申し上げていたら「いいところだが冬の杉野にも来てもらわないと。冬の厳しさも知ってもらわないといけない」と教えていただいた。そうしたご縁ががあり、冬の杉野にも寄せてもらいますと申し上げていた。
  • 土倉鉱山を一度見に行きたいと思う。
  • 杉野はお米がものすごく美味しいとよく聞いた。やはり綺麗な水、冷たい水、山からの養分を含んだ水などがあるからではないか。
  • 大学を出て会社で仕事をするという働き方もあるだろうが、最近は、例えば山の中に創造的なスペースを作ってインターネットでつながりながらクリエーターやプログラマーをするなど、そういう働き方もある。まだ一般的ではないかもしれないが。
  • 戦後に植林してもらった木は、ちょうど今が切り頃になっている。切って売る時期にきていて、これほど良い木がたくさんあるが、お金にならないのが現状。
  • 林業の経営が成り立つようにする対策として、対象エリアを決めて、木の切り出しのための路網整備や機械を入れることや、切り出した木材の使い道として県産材の活用ということを考えるなどがある。
  • 植林、造林で杉の木が多くなっているので、今度は、切り頃の杉の木を切った後に広葉樹や実のなる木などを植えて計画的に混ぜて行くことも考えられる。
  • 「地方創生」と言われているが、東京だけで考えたり、県でいえば大津だけで考えていてはうまくいかないと思っている。先程も、自分たちで地域づくりの協議会をつくって取組を始めているというお話があったが、そこで皆さんが考えてやろうとしていただいていることに、行政の支援が必要ならば一緒に考えたい。
  • 山を生かさない手はない。土倉鉱山の跡地もあり貴重な巨木もある。山をどう生かすか、山の木をどう使うか、一緒に考えていきたい。
  • 今の河川の工事では、水産などに関する面からも考えたうえで工事をするようになっている。もしそれができていないということがあればご意見をいただきたい。
  • 山のことや土倉鉱山の活用のこと、我々の世代がどうすれば地域に帰って来てくれるのか、住んでくれるのか、一緒に考えていきたい。