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第1回 「こんにちは!三日月です」

  • 対話相手沖島町自治会の皆さんと環びわ湖大学・地域コンソーシアム学生支援事業「沖島活性化プロジェクト」参加の県内大学生の皆さん

「沖島町自治会の皆さんと環びわ湖大学・地域コンソーシアム学生支援事業 「沖島活性化プロジェクト」参加の県内大学生 」の皆さん

 今回は、沖島町自治会の皆さんと環びわ湖大学・地域コンソーシアム学生支援事業「沖島活性化プロジェクト」参加の県内大学生の皆さんと対話を行いました。

 環びわ湖大学・地域コンソーシアムは、県内の大学・短期大学と地方自治体・経済団体が相互連携し、個性輝く大学づくりを進め地域社会の発展に貢献することをめざして、多種多様でユニークな連携事業を実施されています。

 同コンソーシアムの学生支援事業は、県内の大学から選出された学生スタッフが、地域の人々との交流を通して地域を理解し、ボランティア活動を通じて社会について学び、滋賀の奥深い魅力を発信することを目的に進められている事業です。

 この事業の一つである「沖島活性化プロジェクト」では、参加学生の皆さんが、沖島でのボランティア活動や宿泊研修等を通じて、沖島について理解を深め、課題について地元住民の方と意見交換し、大学生の視点を活かした解決策を提案されていきます。

 今回は、この事業に参加されている沖島住民の皆さんと学生の皆さんに、滋賀の未来への想い(県基本構想)について知事と語り合っていただきました。

知事から

今回の対話と滋賀の未来への想いについて

  • 今日、沖島で皆さんと一緒に午前中にボランティア活動をして気づいたことが三つある。一つ目は、琵琶湖はまだまだ綺麗だということ。今日、皆さんと清掃したところは水が綺麗だった。二つ目は、それでもゴミもたくさんあるということ、三つ目は、皆で清掃したら綺麗になるということ。短い時間だったが、湖岸が綺麗になった。
  • いろんな問題がある。人口が減り始めていること、長生きできるようになったがお年寄りが増えて高齢化していること、東日本大震災があって、原発が動かせない、省エネ、節電しないといけないこと。そういう時に、行政だけ、政治家だけではなくて、みんなで、その地域や国を良くするという、こういう取組が大事だと思う。
  • そのためには、新聞で見た、テレビで見た、インターネットで意見交換したではなく、実際に会って、「どういう滋賀県にしよう」「こんなところがいいですね」というように、対話の中で、共感をつくって、そして一緒に協力して働くという協働、この対話と共感と協働というのを、是非、皆さんと一緒につくっていきたいと思っている。
  • 今日は限られた時間だが、こんなところがいいところじゃないか、こんなところが問題じゃないか、こんなところがもっと伸ばせるんじゃないか、そんなご意見を皆さんからいただけたらありがたい。
  • どんな滋賀県にしたいのかとよく聞かれる。私は、滋賀県から、滋賀県らしい、新しい豊かさを追求する、新しい豊かさを実感できる滋賀県にしたいと思っている。物が豊かなだけではなく、心も豊かな滋賀県にしたい。昔は沖島から皆都会に出て行った。みんな地方から都会に出て行った。しかし都会だけが本当に住むところなのか、老後を迎えられるところなのか、子どもを育てやすい場所なのかというと、実はそうではないかもしれない。昔は、漁業もやっていた、農業もやっていた。でも、皆、昭和40年代、50年代、平成の初期に、サラリーマンになればいいといって、漁業や農業をやめたり、兼業でサラリーマンになった。しかし本当にその人達が幸せかというとそうではない。エネルギーを豊かに使えるというだけではなく、物が豊かなだけではなく、世界に先駆けてこの滋賀県から、新しい豊かさと、一緒に住んでいる人達同士が、ここに住んでいてよかったなと感じられるような、そういう滋賀県をつくっていきたい。自然の恵みを活かして、琵琶湖の恵みを活かして、大切にお弁当を作って、つくだ煮を作って、お菓子を作って、それを皆さんに食べていただけるような、原発を動かして、エネルギーをたくさん使える滋賀県もいいけれど、風力で、太陽光で、エネルギーを生み出していけるような、世界に先駆けて、原発に依存しない新しいエネルギー社会をつくっていきたい。滋賀県の新しい目標をつくる時期なので、今、新しい豊かさを追求しようという議論を、目標を持ってさせていただいている。
  • そういう観点で、滋賀のいいところってなんだろう、新しい豊かさってなんだろう、これからの滋賀県はこういう方向で進んでいったらいいんじゃないかということについて、今日は皆さんから率直なご意見をいただきたい。

沖島自治会の皆さんと県内大学生の皆さんから

(1) 沖島の今について

 沖島で今一番の問題は無医村であること。約300人が住むが医師はいない。昭和48年頃は人口800人位だったが半分以下になった。その頃、小学生は70~80人いた。中学生は30~40人で島に中学校の分校があった。今は島外の八幡中学校に通船で毎日通っている。小学校はあるが小学生は11名、島の子どもが5名、島外の市内から通う子どもが6名。島内と島外の子どもの数が逆転した。過疎になって残念。この島から学校を無くしたら何もない。その中で提案していかなければならないことは多くある。沖島へ週1回、医師に来ていただく。過疎で皆年を取り、診察を受けに行くのに不便を感じる。常駐の医師を迎えられればと島中が悩んでいる。

 

(2) 人口が減っていく時、どうすれば滋賀県がよくなっていくか

  • 大阪出身。滋賀の良い点は名古屋にも大阪にも行けること。交通の便が良い。滋賀の大学には名古屋や大阪など様々な所から集まる。その中で滋賀の大学に来て滋賀の企業に内定をいただいた。来年から滋賀県に住む。大学と地域が連携し、大学が様々な所から人を集め、定住して働いてもらうことが、今後、人口が増えるきっかけになるのではないかと思う。
  • 岐阜出身で実家が山間部。地元の人口も減っており共感する面がある。人口が減るのは仕方がないと考えている。人口を増やすことは難しいと思う。地元も交通の便がよくないので近くの病院へ車で40分位かかる。医師が少ないことは滋賀県だけでなく他の地域にもあり解決すべき問題。それ以外に例えば病気の早期発見ができるようなつながり、コミュニティを大切にすれば、医師がいなくても防げるものがあると思う。沖島のこともこのプロジェクトがあるまでよく知らなかった。来て初めて知ることがある。知る機会を増やすことで、つながりを増やしたり新しいものが生まれて、解決策につながるとのではないか。
  • 長浜市に住んでいる。今まで滋賀県は人口増加率が高い県に入っていた。北部は高齢化が進んでおり人口が増えていたのは南部の話だと思う。滋賀県の情報を知らせる「しらしがメール」で、台風や大雨の時などに川の危険水位を超えたというメールは姉川や長浜市辺りの川の情報がよく来る。そういった被害のおそれがある場所から人が減っていく可能性もあると思う。住みよいまちづくりや定住しやすい環境づくりをすることで住みやすくなる。滋賀県全体を見て北部の方のことも考えていただけたら嬉しい。
  • 東近江市に住んでいる。近くの小学校は廃校が続いている。理由は山の近くで交通が不便なことがある。道が狭く交通事故がよくある。冬場はスリップ事故が多い。道路が整備されると事故が減ると思う。観光地だが店は繁盛している感じがない。お客として来る人の側からするとよくても、地元住民からすると不要ということもある。観光客目線と地元目線で共通したものができると人口が増えるかもしれない。人口を増やすという面から見ると、医療機関を作っていただけると住みたいと思う人が増えるのではないか。
  • 実家は奈良県。一度、東近江市の山間部の地域に行った。そこは高齢化し人が少なく獣害対策などをさせてもらった。地域の方達と話す機会があり、過疎化した地域だがよいところはどこか聞くと、地域のコミュニティーが強く、何かあっても向かいの家の人が気遣ってくれるから一人でも平気だと言われた。都会では無いことで感動した。不便なところを聞くと、交通、買物できる場所、病院とのことだった。老後は外出も難しいので、そういうものを整えるとよいのではないか。
  • 「地方創生」とはどういうことか担当大臣へのインタビューがあり、大臣は地方に仕事を作ることだと言っていた。沖島に当てはめると、ここに仕事を作るのは至難の業。漁業の町で何百年も漁業を引き継いできた。最盛期には多くの人が暮らし魚も多くいたが、今は最盛期の半分以下に減り高齢化し、魚も減った。この伝統を引き継いでいく義務がある。まだ魚は残っているが漁業を受け継ぐ人がいない。ここをどうするかが問題。地方に仕事をということはわかるが、沖島にどのような仕事を持ってきたらいいのかが悩んでいるところ。離島振興法の適用を受けることになり、そのときにアンケートをした。漁業を継いでいかなければならないという意見もあったが、観光に少しシフトしたらどうかという意見もあった。観光となると今は窓口は堀切港だけ。もう一、二ヶ所、沖島へ通じるルートがあれば、多くの人に寄ってもらえるのではないか。高島から近江八幡を結び沖島を中継地にすることで多くの人に来てもらえ観光につながるのではないかと思う。有事の際に湖上交通ルートが必要になる。そうした時にも高島から近江八幡のルートは有効な手立てだと思う。
  • 沖島を観光地化するならば、知らない人が多く来ることになる。今は自転車や家の施錠があまりされていないなど、外部から人が来ないので平和な場所だと思う。観光地化して外部からお客さんを呼び寄せると島民の方の防犯意識を高めないと大変なことになるという心配がある。
  • 観光地とするなら島ならではのアピールポイントを明確にして発信するなど広報にも力を入れないといけない。沖島で一番素敵なものは料理。例えば巨大なレストランを作り、ここで採れた新鮮な魚を料理してお客さんをもてなすなど。湖岸にゴミが多かったが、個人の土地との境界が曖昧な場所にゴミが多いようなので、その線引きを明確にして島全体を美化するなどし、島全体を歩きやすくしてはどうか。
  • 大津市出身。小学校5年生の時にフローティングスクールうみのこで竹生島の方には回ったが、沖島の方には寄っていない。沖島で地引き網などを小学校の時に体験できたら、沖島という島があることを小さい時からわかる。おいしいご飯を食べたことなどの思い出があると、また来たいと思うこともあると思う。そういうプログラムに組み入れると、沖島のことを小さい時からもっと知ることができるのではないかと思う。

 

(3) 20年後、40年後にどんな地域に住みたいか、この滋賀県をどのようにしていたいか

  • サイクリングをする人達にとって、琵琶湖一周は一つの大きな達成目標になっている。ロードバイクは速く、多くの人は1日で走れるが、そうでない人は琵琶湖一周を1泊2日でするので、どこに泊まるかという問題が出てくる。滋賀県の交流人口を増やすならば、サイクリングをする人達に焦点をあて来てもらいやすい環境を整えたり、宿を増やしたり、沖島に橋が架けられるならば整備して、自転車が通れるようにできれば、ビワイチの充実度も増す。そういうものがあれば、サイクリストにとって滋賀県は更に魅力的な場所になるのではないかと思う。
  • 県民に知ってもらうならば、沖島の山の方は景色が綺麗と伺っているので、ハイキングコースを整備して、漁業の体験などをしてもらうことで、沖島に限らず県内の子供達にも漁業に興味を持ってもらえると思う。子供の頃から滋賀県のことについて知る教育は大切だと思う。ハイキングコースや漁業体験など、子どもが楽しめ家族が楽しめることを観光として推していくことは大切ではないかと思う。
  • 夏休みに関東を旅行した。人が多く集まる観光地は必ず外国からの観光客の方が多い。有名だから外国から観光客が来るのか、外国の方も楽しんでもらえるものがあるから外国からも来るのか。例えば滋賀に空港などを作り、滋賀から世界へ、また世界から滋賀へつなぐことで、大きい観光地ほど交流人口も増えるのではないかと思う。
  • 交流人口を増やすことについて、県立大学に「近江楽座」という、地域に大学生が入り、地域でカフェを開くなどしているものがある。私も彦根市でお酒のラベルをデザインさせてもらった。大学と地域が協力し、カフェをつくるなど何か新しいことをして、観光客の人に来てもらうことで、その地域のファンになってもらい、何度も来たくなるようなものを作ると、交流人口を増やすことができるのではないかと思う。
  • 最近サイクリングしている人を見かけることが多い。自転車が車道を走るところがあるが、運転するとき非常に怖い。琵琶湖一周は非常にいいと思うので、交通量の多い所は自転車の通れる道路を増やしていかないといけない。北の方はそうした道路があまり無いので怖いのではないか。
  • 湖西の方は道路が狭い上に人が多いので怖いことがある。
  • 岐阜県出身。地元は山奥の観光地として売り出した地域。観光地にするなら注意してほしいことがある。観光に行くのは土日休日なので、観光地には土日休日は仕事がある。しかし平日はお客さんは来ない。有名なところならば来るが、商店街や地域だけの所にはなかなか人は来ないので、お金が地域に落ちない。一部の大きな商業施設や有名な観光地でないとお金が落ちない。平日でも続けられること、沖島ならば漁業が中心なので漁業を続けていくことにプラスして、観光地としていこうということならば、いい形になるのではないか。平日の収入源は生活をしていく上で大切だと思う。それでさらに人口を増やせるのではないかと思う。この島に来て一つ不思議に思ったことがある。地方に行くと離島や山奥には合宿施設などがある。こういう所であれば人から離れて集中していろいろやりたいと思う。せっかく道路を車が通らない安全なところなのに、合宿施設がないので不思議に思った。そういうこともやってみると面白いのではないか。
  • 定年の後に放送大学に入って勉強している。放送大学の滋賀センターでは約650人が登録している。その中の半分以上は60歳以上の人。70歳前後の人が元気で、様々な活動をされながら勉強楽しんでいる人がたくさんいる。様々な勉強の仕方がある。放送大学のようにすれば、いろいろな形での交流ができるのではないかと思う。
  • 去年から今回まで合計4回沖島に来て気が付いた。近江八幡駅から堀切港までのルートで、沖島はこちらですという看板は一つもなかった。堀切港にも沖島はこちらという看板はなかった。外からお客さんを呼ぶならば、港にもう少し入りやすくするとか、沖島はこちらという看板を立てるなど、沖島へのアクセスをわかりやすくすることが観光客を誘致する上で強力な手段になるのではないかと思った。
  • 沖島ではいろいろな大学と交流している。皆さんのご意見のように交流することで、地域住民の意識を変えていかないと、急に180度変えることは無理。徐々に変えていかないとなかなか成功はしないと思う。計画はあるがなかなか実行に移せない。徐々に意識を変えてやっていこうと考えている。
  • 先ほどの意見に沖島へ案内する看板のことがあった。そういうこともわかっているのだが、たくさん来られても駐車場がないという問題がある。堀切港に多くの車を停められると、すぐ満杯になる。そういうことがあるので、離島振興の方では、対岸にもうひとつ駐車場のある、観光客で車で来られる方の玄関を作って受け入れをしていきたい、車で来られる人の玄関を作ることを要望している。また、皆さんとも、こういう機会があれば、いろいろ意見を聞かせていただいて参考にさせていただきたい。

知事から

対話を振り返って

  • 過疎、人口減少、医師がいない。こういう所は滋賀県で沖島以外にも山間部に出始めている。滋賀県の人口は推計で来年まで増える。今141万6千人だが、来年からいよいよ滋賀県も減少すると言われている。すでに減り始めている地域もある。
  • 琵琶湖の中に人が300人住んでいる島があることを知っている人は少ないかもしれない。しかし、知れば、行こうという気になるし、また行けば、住んでもいいかなと思えることもあると思う。
  • 沖島の方からも、買物に船を使うため重い荷物を持って何回も往復するのは大変なので、橋をかけてくれたらもっと住みやすくなるとのお話があった。
  • 仕事がないと人が住めないので、伝統の漁業をどう継いでもらうのかということは極めて重く深い話。漁業をされている皆さんのお子さんは漁業を継がれていないということで、こういう現実がある。
  • 滋賀県の小学校5年生は皆、1泊2日で環境学習船「うみのこ」に乗る。しかしこの沖島には来ることができない。自治会からも、「うみのこ」が停泊できるように港を作ろうというご提案をいただいている。これは宿題としていただいて帰りたいと思う。
  • 皆さんのご意見から様々な課題があった。仕事、交通、アピールポイント、つながり、防犯、医師、過疎化。そういう問題を克服して、20年後、40年後に、今20代の人は40代、その時にどんな地域に住みたいか、この滋賀県を、日本をどうしていたいか。おそらく、その時には皆さんのご両親は医療も整っているしまだまだお元気だろう。だが、医療費は今よりもたくさんかかるかもしれない。しかし子どもの数は少なくなっているから、働くひとも減っていて、そういう人達を支える負担は増えているかもしれない。今よりも、人口が減っている所が多くあり、過疎化が進んでいるところが多くあるかもしれない。その時に、どういうところに住んでいたいか。どうすればそういう状態が解消できるか。私が一つ考えたのは、定住人口は減るかもしれないが、交流人口を増やせばどうか。ここに住む人は減るが、ここに来る人、ここに泊まる人、ここで食べる人を増やせば、経済は活性化していくのではないか。こういう視点を滋賀県は持てるのではないかと思っている。これは昔から街道があるし交通が便利だったことがあるから。交通の便を今よりも良くすることで交流人口を増やして、滋賀県経済を元気にしていく。
  • 自然の中で体感をして漁業も含めて体験するということは大事。最近、滋賀県では農家民泊が修学旅行などで人気があり、多くの皆さんが泊まりに来られている。
  • 今回、皆さんと一緒に参加して、希望を持ったことがある。皆さんは今回沖島に来て、地引き網をして、明日の運動会に一緒に参加される。絶対に沖島のことが思い出として残る。そして将来また家族と一緒に沖島に行ってみようと思うことがあるだろう。一回行ってよいと思えれば、また行きたいなと思える。そういう地域とのつながりを大学生のうちに持っておくと、将来のつながりになると思う。
  • こうして皆で顔を突き合わせて、一緒にご飯を食べて、一緒に感じた中で、どうしていこうかと話し合うことは、大事だと思っている。いろいろな機会に議論できたらと考えている。
  • この後、外に出て地引き網体験がある。引き続き、この島の魅力を体験、体感ということで、一緒に頑張っていきたい。また、引き続き交流し続けることで、いろいろな、こうすればいいんじゃないかというアイデアも出てくるので、また、一緒に頑張っていきたい。