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第73回 「こんにちは!三日月です」

  • 対話相手日野町連合青年会の皆さん

地域に根差した様々な活動を進めておられる日野町連合青年会の皆さんの日頃の取組について御紹介いただくとともに、今後の地域振興の在り方や思い描く日野・滋賀の未来像について意見交換を行いました。

知事から

今回の対話にあたって

●今週5日から明日までの5日間、日野町民として生活・寝泊まりし、日野町内の色々な場所に行って歴史を教えてもらったりして、様々な魅力、ある意味では課題・可能性を確認しているところ。

●日野町について、やはり綿向山の存在は大きいと感じる。周りの人々も、山や、山からの水の話をされ、多くの人の精神的支柱になっているのかなというのが一つのイメージ。

●昨日、わたむきの里(社会福祉法人わたむきの里福祉会)へ行かせてもらい、色々な福祉活動やエコドーム等を見させていただいたが、難しく考えるのでなく、「自分たちのまちのことだから、自分たちでできることをやるんだ」という自治の気概が強いまちだなと感じている。また、外から来た移住者等に対して、すごく優しくて、皆で一緒にやろうという雰囲気がある。

●なんと言っても日野町は、県内で一番若い町長が先日誕生されて、まさに青年町長がリーダーとしてこれからまちを盛り上げていこうとされている。青年会の皆さん、OBの方も含めて色々な活動を行い、繋がりを作っていただいたりしているので、ぜひ、滋賀県全体を盛り上げるため、知恵を皆で出し合いたいなと思い、今日ここに来させていただいた。(堀江日野町長も意見交換に参加)

●新型コロナウイルスのことがあるので、私も現在、ウィズコロナ・ポストコロナの社会創りについて、どのようなことがキーワードになるのかなと思い、色々な人と会ったり、話したりしながら考えているところ。

●明治時代から続いてきた、東京、都会への一極集中、学校に皆が一堂に会して同じ勉強をするというやり方、グローバル化、市場経済主義、効率一辺倒、こういったものを一回見直すきっかけにしたらいいんじゃないかなと思うし、こういう自然豊かなところで人と人とが仲良く交じり合って暮らせる、そういうよさを、あらためて発信していきたいと考えている。

●ただ、そうは言っても、皆さんの同級生もそうだと思うが、「都会へ行きたい」「東京へ行きたい」「一回まちへ出たい」という人たちに対して、どういう言い方とかやり方をしていけばいいのかな、といったことも悩みながら考えているところ。

●あとは、どうしても、僕は知事、堀江(和博)さんは町長、あと行政、青年会(青年団)というと、なかなか日頃の繋がりが薄かったりするかもしれないので、できるだけ青年・若者の意見が採り入れられる、こんな県行政、そんな町政を、世代も近いので一緒に創っていけたらいいなと思っている。今日は、そのためのきっかけになりますよう、よろしくお願いします。

参加者の皆さんから

参加者の皆さんの自己紹介

Aさん

○今年度より連合青年会の会長をさせていただいている。

○現在4人で活動をしている。主な活動事業として、町民駅伝大会、サンタ事業と町民年賀状展の三大事業を主催している。中でも町民駅伝大会は毎年500人近くの選手やスタッフの方々に携わっていただいており、昨年は50回記念大会を例年以上に盛大に企画させていただいた。

○三大事業の他にも機関紙『ひのせいねん』の発行や、模擬店の出店、他市の青年団の事業に参加するなど、さまざまな取り組みを行っている。

 

Bさん

○6月まで日本青年団協議会の会長をさせていただいていた。15年ほど前に日野町連合青年会、その後、県の会長も務めさせていただいた。

 

Cさん

○日野町連合青年会の副会長をさせていただいている。

 

Dさん

○日野町連合青年会事務局次長を務めさせていただいている。

○地元が愛知県であり、昨年の9月から仕事の関係で日野町に勤務することとなった。愛知県との違いとか、そういった点も含めてお話しできればと思う。

 

Eさん

○西大路ユースクラブ会長を務めている。

○西大路ユースクラブは、綿向山がある西大路地区の、(日野町連合青年会の)支部団体として活動しており、連合青年会は4人であるが、こちらは2人で活動をしている。

○連合青年会の手伝いであったり、数年前まで田園の中でバレーボールをするどろんこバレー大会を行っていたり、地区の納涼祭等で模擬店もさせてもらっていたりする。

 

Fさん

○西大路ユースクラブの副会長を務めている。

○仕事の都合で不参加の予定であったが、ぜひ、知事とお話ししたかったので、早く切り上げて来させていただいた。

 

Gさん

○日野町連合青年会に2年前まで在籍していた。また、5年ほど前まで西大路ユースクラブの方でも活動させていただいていた。

 

Hさん

○平成28年、29年と日野町連合青年会の会長を務めさせていただいた。

 

Iさん

○10年ぐらい前に連合青年会で会長をさせていただいており、堀江町長とは同級生にあたる。

 

Jさん

○I君と一緒に日野町連合青年会、また県青年団の活動も行っていた。

 

Kさん

○10年ぐらい前に日野町連合青年会、その後、西大路ユースクラブをさせていただいていた。今は役場で務めさせていただいている。

 

Lさん

○5年ほど前まで日野町連合青年会の方で活動していた。

 

Mさん

○5年ほど前まで日野町連合青年会、西大路ユースクラブ、県の青年団の活動をしていた。

Nさん

○少し前まで西大路ユースクラブで会長を務めていた。

 

Oさん

○数年前まで西大路ユースクラブで活動をさせていただいていた。

 

Pさん

○十数年前まで日野町連合青年会で活動させていただいた後、西大路ユースクラブを復活させ、いろいろな活動をさせてもらってきた。

○現在(西大路ユースクラブの)メンバーは、E(さん)・F(さん)だけになっているが、その当時は十数人おり、当時のように連合青年会もユースクラブも人数が増えていってほしいと思っている。

○現在のメンバーにも、この場で何かを得て、持ち帰り、また、メンバーを増やしていくきっかけにしてほしいと思っている。

 

Qさん

○昨年度まで2年間、日野町連合青年会の会長をさせてもらっていた。現在は滋賀県青年団体連合会の理事をさせていただいている。

○今年度は、新型コロナの影響でイベント等が本当に何もできておらず、今日の話をきっかけに、もっと滋賀県を盛り上げられるように、そのために何かできるように考えられたらと思う。

 

堀江町長

○今日は本当にこのような機会を設定いただき、また参加をさせていただき、ありがとうございます

○皆さんと同じ世代であり、一緒に盛り上げていければと思いますので、よろしくお願いいたします。

 

その他、県より司会(広報課員)、子ども・青少年局員が参加。

日野町での暮らし、青年団の活動について

Fさん

○私も、一度日野を出て、5年程関東の方に住んでいたが、結婚を機に日野で暮らそうという気持ちがあったので戻ってきた。

○青年団を始めたきっかけは、もともと友人が活動を行っており、先ほどE(西大路ユースクラブ会長)の話に出た「どろんこバレー」に助っ人として来てほしいと誘われたため。地域活動を通じて日野をもっと盛り上げていきたいとか、西大路地区を盛り上げていきたいと、強く思いながら活動を続けているところ。

○親から聞いている話だと、かつては、言ってみればなかば強制的に青年団の活動というのがあり、参加者も多かったが、今は色々なものが溢れ、スマートフォン等の普及により人と人との繋がりが希薄になり、青年団の活動を行う人が減っている。

○団員の募集の仕方というか、勧誘にあたってのアピールの部分が課題かなと思っており、色々な人に、活動内容を知ってほしいと思う。知事も、こうして日野に住んでくださり、青年団をはじめとする若者の活動が素晴らしいということをぜひ発信いただきたい。

 

知事

●もちろん、そういった魅力を伝えていきたいと思う。今、課題とおっしゃっていただいたが、課題も裏返せば「可能性」だと思っており、常々言っている。人・仲間を増やすためにどうしたらいいのか、どうすれば活動の魅力が伝わるのかというのを、たくさん話し、発信すればいいと思う。社会人になってからも、こうして同世代が繋がりあえるのは素晴らしいこと。

 

Eさん

○同級生のほとんどがまちを離れてしまっている。そうして都会に流れていくのは、色々な可能性を求めてだと思うが、まちに魅力があれば、何かをきっかけに帰ってきてくれるのではないかと思っている。ユースクラブとしても、その魅力をつくって提供ができる側になりたいと思う。楽しく、魅力的な活動ができ、それを推して勧誘できれば一番素晴らしいと思う。

 

知事

●私も同感である。転出することが悪いのではなく、このまち、滋賀に戻ってきたいなと思う何かがあれば戻ってくる。日野商人もそんな心持ちだったのではないかと思う。

 

堀江町長

○(OBではないが)こういった人と人との繋がりのよさというのは、皆さんが一番よくご存じだと思うが、最初はそうでもなくても、実際に入って活動してみたら結果「よかった」というケースもあると思う。こういう団体さんに加わることの重要性について、まちとしても訴えていく必要があるというのは普段からすごく感じている。

 

Cさん

○私は、現在も日野町民ではないが、少し前まで、2年前までわたむきホール主催で実施されていた「わたむきお化け屋敷」というイベントが活動を始めるきっかけであった。お化け役は、エキストラというかたちで若者に応募をかけていて、連合青年会のメンバーも参加していた。私は知人の誘いで参加することになった。

○実際にやってみるとすごく楽しくて、このような楽しい活動を他にもしてみたいと思い、入団することになった。

 

知事

●そのお化け屋敷はすごく有名になったが、今もされているのか。

 

Iさん

○残念ながら2年前に終了した。最大で6時間待ちになり、テレビ局から取材が来たり、雑誌に掲載されたりもした。お化け屋敷のランキングに有名テーマパーク等との並びで掲載されたこともある。

○お盆の時期を中心に数日間拘束されることになるので、お化け役も、結婚や、子どもができてしまうと参加が難しくなる。

○あのままずっと続けていれば、「日野の夏と言えば」「夏といえば日野のお化け屋敷」というイベントになっていたと思うし、なくなったのは町としても正直痛いが、メンバーの状況をみても仕方がないとは思う。

 

Qさん

○現在の連合会のメンバーと、こうして参加者が減っている原因について話し合った結果、周知不足が一番大きいのではないかという結論に至った。

○私自身が会長のときも、人を集めるということが本当に大変であった。

○青年団について分かってもらえない、そもそも知らないという若者が本当に多い。

○実施しているイベントについて、例えば、駅伝大会として知っておられる町民は多いが、それを日野町連合青年会が主催しているということまでは知らない。自分自身もそうであった。

 

知事

●皆さんと同年代が難しいということであれば、さらその下の高校生等を勧誘するというのはどうか。

 

Kさん

○私自身も京都・大阪へ出て帰ってきた人間。大学を卒業し、少しでも大きな企業・都会へと、特に何も考えずに就職するのは一般的な思想であったりする。

○滋賀県はものづくり県であるので、そういう分野に従事することにより地元で活躍するのは十分に可能。都会へ出て、ふと地元に帰ろうかとなった時に、こういう繋がり(青年団)が後押ししてくれる可能性は高いと思う。

○そういう意味では、高校生・大学生のころに、そういう活動をし、繋がりがあったということは、すごい強みになると思う。コロナ禍の中で、呼び戻すチャンスは一層広がっていくのではないかと思う。

 

知事

●結婚したり、子どもができたり、人生を見直すきっかけって実は結構あると思う。ちょうど皆さんの年代ぐらいなら、そういうふうに思っている友達等も多いと思うし、積極的にアプローチしてみていいと思う。

 

Pさん

○自分が引退してしばらく経つが、日野町の中で面白いイベント、例えば音楽フェスが増えたり、クラフトビールを売り出したりと、日本全国へ向かって発信するような面白い企画が増えていっている。やはり、人ってそういう所に行くのだろうなというのは、自分自身も参加する側として思う。

 

Oさん

○自分たちが在籍していたころの連合青年会は、常に団員が10人くらいはいた。現在の団員は、2人とか4人とか、そもそも少人数での活動となるとそれだけで苦しいし無理が出てきてしまうのかなと思っていて、その状況で勧誘しても、それこそ楽しんでもらえるのかなという不安を持ちながらの活動を強いられるのではないかなと感じる。

○例えば、活動後の打ち上げからでもいいので、とにかくまずは現在の団員たちが楽しめるようOBとしてもサポートしていきたい。自分も、現在は子育・仕事で目一杯であり、地域づくりに参加したいけど、機会すらも失っている状況。ただ、現役の頃のように常に活動に参加するのは難しくても、OBとして協力したいという人はたくさんいると思う。

 

 

日野町・滋賀県のこれからについて

Pさん

○自分たちが現役の時から、団員が足りないという問題はあり、どこの青年団も嘆いていた。前述にもあったように、例えばマラソン等が趣味の人に駅伝等をきっかけに、とにかく一度活動に参加してもらう、それをきっかけに入団してもらうというのも一つの手である。

○日野町内でも地域差があるのが事実。自分は日野町内でもいわゆる田舎の方に住んでおり、青年団だけでなく、消防団とか、地元の祭りとか、色々な団体で活動させてもらってきたが、私の住んでいる地区では、人手不足で限界集落、超限界集落に向かっているという話が出て久しい。子どもがいないという地域も出てきているので、更に若者がまちに出て行くという悪循環な状態。

○やはり、若者が去り、都会へ出て行くというのは、大学や就職で一度県外に出て行き、戻ってこようと思っても場所が少ないのかなと思う。

 

Aさん

○関連する話として、若者向けの施策について、最近、「若者世代=子育て世代」みたいな風潮があり、まだ独身の人であったり、ゆくゆくは家庭を持つような世代を対象とした事業みたいなものがないように、忘れられているような感じを受ける。

 

知事

●非常に的を得た意見のように思う。私としては、行政だけでなく、皆さんと一緒に、そういう施策を考えていきたいと思う。

 

Dさん

○愛知県の安城市にある青年団の事例について。若者、例えば就職したが、すぐ辞めてしまったというような人を支援する団体、リネーブル(特定非営利活動法人リネーブル)と呼ばれているが、そこと安城青年団が、色々な交流をしている。

○そういう就職支援等をきっかけに、横の繫がりを深める。そういうための施策というのは一つありではないかなと思う。

 

Lさん

○話を聞いていて思ったのが、今は子ども会等も、すごく活動が縮小されているので、最近流行りのeスポーツ等も活用し、例えば青年会の方で、ゲームが得意な人等を誘い、子どもらとも触れあうことができるeスポーツの大会等を開くとか、そういう方面にも力を入れていくのは青年会・まちを盛り上げるための一つの手かなと思う。

 

知事

●機関誌『ひのせいねん』は、どれぐらいの頻度で発行されているのか。

 

Aさん

○年に4回。一応全戸配布でいまは6900部。B4判、更半紙で全て手書きである。

○いまは新聞も取らない人が増えてきているので、これが目に留まらなくなってきているのも課題であり、コロナで活動が制限されるなか、何か新しいことがしたいなということでYouTubeチャンネルを開設した。

 

知事

●全て手書きは本当にすごいこと。皆さんの思い・気持ちも伝わっていると思う。

 

Bさん

○『ひのせいねん』の本当にいいところは、今のこの情報化社会の中でも誰がそれを書き、どういう若者からその情報が来るのかということが一見してわかる。

○また、手渡しもしているので、高齢者の方の家でも、例えばそれが一つの介護のお手伝いをするきっかけになったりもする。

○自ら手づくりのものを渡すということが、現代社会であるからこそ注目されてくるかもしれないと思う。

 

Qさん

○私は『ひのせいねん』をきっかけに入団した。家族が机の上に置いてくれているのを見て、連絡先番号が書かれていたので電話をした。

 

知事

●皆さんがきっちり届けてくれているので、読んでいる人は間違いなくいる。その人から感想とかお手紙とかをもらったりするのも一つの手ではないか。皆の活動の力になるかもしれないし、一方通行でない分、存在感も高まる。

 

Gさん

○先ほど仕事の話があったと思うが、転出した人が帰ってくるとしても、大学生・高校生が、滋賀県日野町に残ろうと思っても、もちろん仕事が、雇用が滋賀県、日野町には必要だと思う。

○私は大津の方の大学に行っていたが、青年団の活動を続けたいなと思い県内で就職した。

○日野町の中にも、もっともっと雇用が増えればいいなと思う。例えば、理系の大学を卒業した子が、日野町内で仕事を探そうとすると、かなり少なんじゃないかと思う。大津・彦根・草津・栗東辺りまで出たらそれなりにあるとは思うが、やはりこの辺となると、すごく少ないなと思う。

○一方で、ご覧いただいたらわかるように、自然もたくさんあり、それを開発していくとなるとこの辺のかみ合わせが、すごく難しいなと思う。

 

知事

●例えば工業団地なんかを、もう少し造成し、企業誘致をして、働き口をつくるというのは一つかもしれないが、おっしゃるようになんでもかんでも造成してコンクリートにすればいいかと言うと、そうではない。

●滋賀県で工場をつくりたいという企業さんはまだあるが、もうつくるところがなくなってきているので、それは重要なテーマとして、もちろん全部を日野町というわけにはいかないだろうが、適所を開発し、雇用を増やすことによって人口増加に繋げるというのも一つの方法であると思う。

 

対話をふり返って

堀江町長

○本当に皆さん、具体的なところから本当に細かいところまですごく貴重なご意見をいただきありがとうございます

○今回は私も就任したてですので、なかなかこれからという段階ではあるが、こういった機会を、持たせていただき、行政としてできること、皆さんと一緒にできること、しっかり考えながら頑張っていきたいと思う。

 

 

三日月知事

●短い時間であったがとても楽しく、色々なヒントがあったように思う。日野町、そして連合青年会には非常にパワーと可能性がある。これからも、義務感に駆られて無理して活動するのでなく、せっかくなので自分たちのこの日野町をよりよくするために、OB・OGの人も含め、相談しながら活動していってほしい。

●あともう1点。こういう場に来たくても来られない若者もいるはず。例えば、学校に行けない、仕事に行けない、でもなかなか友達・同級生にも相談できない、また、体の具合が悪い、仕事ばかりでなかなかこのような機会を持てない、そういう人たちにも積極的にアプローチしていってはどうかと思う。

●様々なハードル、制約があって参加できない人たちもいる。そういう意味でも、この『ひのせいねん』という新聞は、そういう人たちにもきっかけをつくることができるすごいツールであると思う。

●だからこれからも期待しているし、私も町長と一緒に関わり続けるので、これからも一緒に頑張っていきましょう。