皆さんこんにちは。お昼後のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
今日の談話は、副知事の大杉がお届けいたします。
今日の気温は30度超えということで、湿気も相まって大変暑い一日ですね。皆さん、体調に気を付けて涼しくしてお過ごしください。
また、伊吹地区の土砂災害には心よりお見舞いを申し上げたいと思います。一日も早い復旧をお祈りします。
今日、こういう機会をいただいたということで、何を話そうかと悩んでいたんですけれども、いくつか秘書課からリクエストの質問をいただきましたので、それに沿ってお話をしたいと思っています。
一つ目です。「就任して2年が経ちましたが、これまでの一番の想い出・大変だったことは何ですか。」という御質問をいただきました。
一番の想い出は色々ありますけれども、やはり滋賀で生きている子どもたちとの出会いというのが一番の想い出かなと思います。
子ども県議会の子ども議員で歴史が大好きなお子さんで、私が安土山図屏風の講演をしたときにも足を運んで歴史の魅力を教えてくれた中学生が居たり、仕事でフリースクールにも行かせていただきましたけれども、子どもたちが、副知事が来るからと心配して「この場をなくすような変な奴が来たらやっつけてやろう」と思いおもちゃの剣を隠し持っていて、その後仲良くなってその剣を見せてくれた小学生が居たりだとか、好きなものがたくさんありすぎて、読むことも走ることも好きで絵本を抱えながら園庭の小山を駆け上っている園児さんも居ました。
高校生でも、自分も海外進学を考えているけれども、後輩のためにもなりたいということで、自分のことだけでなく後輩の探究活動を見守って、後輩の見方・考え方が深まるような問いを投げかけている高校生ですとか、言葉にならないような大変な思いを、生きるための叫びみたいなものを絵にして見せてくれたヤングケアラーの中学生だとか、色々な子どもたちに出会いました。
子どもたちとの出会いや対話が2年間の仕事のモチベーションであり、これからのモチベーションになっていくと思っています。
「大変だったこと」も色々あって、もがき続けた2年間でありましたけれども、一言多すぎ大杉住子に色々言われた職員さんの方が大変だったかと思います。
一緒にもがいてくださった職員さんに心から感謝ですし、色々な課題に的確にアドバイスをくださった県議会の先生方にも感謝ですし、何よりも悩みにお付き合いいただき御指導くださった三日月知事や江島副知事、それから井上さんをはじめとする秘書課の皆さん、私の配慮が及んでいない半歩先の未来を見据えながらサポートしてくださった、こういう環境で仕事できたのは幸せなことだなという風に思っています。
それから、御質問2つ目です。「着任前と現在とで、滋賀県の印象の変化はありましたか」ということですけれども、着任前に滋賀好きの方から色々お話を伺っていて、普段はあまり語らないけれども滋賀に行くとなった途端に滋賀のことをたくさん教えてくれました。その中で、歴史の深さや文化の豊かさは聞いていたとおりですし、それ以上だなと思います。
自分の変化でいうと、食の好みが確実に変化したと思います。淡水魚を全然食べなかったのを本当に美味しくいただくようになりましたし、日本酒もそんなに飲まなかったんですけれども美味しくいただくようになったり、お米の味にもこだわりが出てきたり、ふなずしを切るように水産課からサーモンスライサーが良いと言ってもらいそれを買ってきたりですね。次の狙いは、お米を美味しく食べている方は自家用精米機があるとのことなので、自家用精米機がほしいなというのが次の狙いです。
信楽では狸も作らせていただきましたが、器もたくさん求めさせていただきましたので、今後の食生活が豊かになりそうだなと思っていますけれども、本物は滋賀でないと食べられないので、私も滋賀好きの仲間入りかなと思っています。
三つ目です。「これまでに副知事が行かれた中で、個人的一押しのお店はどこですか。」という質問をいただきました。
湖のもの、山のもの、店主さんのこだわりが詰まった芸術的なお料理を堪能させていただきましたので、なかなか一押しを決めがたいので、別の観点から申し上げると、ふるさとではない滋賀というところに来て心の拠り所になったのは、やはり滋賀で見つけた「おおすぎさん」ですね。
大津のうなしゃぶの「おゝ杉」さんですとか、木之本のダイコウ醤油の大杉さんですとか、坂本には「大杉茶屋」というものがあったりしますね。
地名に広げると、八幡堀のあたりに「大杉町」というところがあったりして、そういう滋賀の「おおすぎさん」が初めての土地での心の支えになったかなという風に思います。
心の支えということで言うと、少し話は逸れるんですけれども、滋賀での最初の心の支えになった人物として、小田豊先生が居ます。見た目はSLAM DUNKの安西先生みたいな先生なんですけれども、幼児教育の専門家です。
滋賀大学教育学部で20年間、滋賀県の幼児教育の実践を支えてこられた方で、文部科学省の主任視学官、国立特別支援教育研究所理事長をされて、私が滋賀に着任する前に亡くなったんですけれども、私自身が悩んだときに「この人ならどうするかな」という風に脳内で対話をする方の一人です。
滋賀に初めて来させていただいて、色々な幼稚園・保育園・こども園にお邪魔して、ここの実践はいいなとか、この先生の話はずっと聞いていたいなと思うと、必ず会話の中に「昔小田先生がね…」という風に小田先生が現れるんですね。そういう意味では、小田先生はお亡くなりになりましたけれども、滋賀で待っていてくれたなと、最初の心の支えは滋賀にある「おおすぎ」さんと小田先生だったなと思います。
今は本当にたくさんの方にお世話になって、たくさんのお店も訪れさせていただいて、たくさん滋賀で心の拠り所ができたなという風に思っています。
それから四つ目「残りの任期中にやり切りたいと思っていること」。
これから議会でお決めいただくことではありますけれども、自分の任期については少し早い段階から、知事から、任期の目途について知事としてのお考えをいただいていたところです。そこから逆算して仕事を進めてほしいということも言われておりました。
文化・スポーツ・教育、色々課題はありますけれども、どの大きな課題もだいたい自分の任期中ではなくて、完成するのは自分の任期の後。任期中は成果を刈り取ることはできないタイミングでの着任だということは分かっておりましたので、自分の役目は「次につなぐ基盤をつくること」だと思いながら、マイナスの要素はしっかり出し切ってつまびらかにして、御批判をいただきながら見直すべきは見直して次の議論につなぐことというのが役割だなと思いながら仕事をしてまいりました。
そういう意味では、十分でない部分とか遅すぎた部分とかさまざま御批判もあると思いますけれども、御批判を受けることも含めて全力投球でやり切ることはやり切らせていただいたなという風に思っています。
成果を見届けるまで皆さんと一緒に走れず心苦しいんですけれども、自分の立場でできることはしっかり今後ともやっていきたいと思います。
プライベートでは、本当は船舶免許を取って藻刈り船を運転して、琵琶湖でもやもやしている藻を刈ることが夢だったんですけれども、年度末に骨折してしまって船舶免許を取れなかったんですけれども、いつかきっと免許を取って藻刈り船に乗れたらなというのが一つの夢であります。
最後の御質問です。「今、県職員に改めて伝えたいこと」ということですけれども、もやもや、藻の方ではなく自分の中のもやもやですね。滋賀の現状を見つめておられる中で色々なもやもやが生まれてくると思いますけれども、そのもやもやを大事にしていただいて、放っておかずに、誰かに「何とかしてくれ」と言うだけではなく自分で向き合っていく。そういうことをしていくと、自分がもやもやに対して何ができるのか、何ができないのか、自分が磨かなければいけない力が何なのかが見えてくるのかなという風に思います。
仕事上の事でも、生活上の小さなもやもやでも、そのもやもやについて何かをしていくということが、たくさんの人の幸せにつながることもあるかなという風に思いますので、自分だけで抱えずに、お互いのもやもやを受け止めあって。県庁の魅力である「総合力」ですね。教育だけ、文化だけ、スポーツだけではなくて色々な分野が繋がれるということ。この総合力を最大限生かしていただいて、また、大学とか民間の知恵も生かしていただいて、大切な人たちをどんな未来に連れていきたいかとか、どんな未来をデザインしたいかということを問い続けてほしいと思います。それができる素晴らしい職場がこの県庁という場じゃないかなと思います。
ということで、いくつか質問に答えさせていただきました。
最後のもやもやを巡る、問い続ける旅、そういう探究の旅の中でまたきっといつかお出会いする機会があると思いますので、「さよーなら またいつか!」
ありがとうございました。