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じんけん通信

 人権施策推進課では、人権に関する特集記事「じんけん通信」を毎月、ホームページ上で発信しています。

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令和5年(2023年)3月(第179号)

 平成28年(2016年)6月に「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(以下「ヘイトスピーチ解消法」と言います。)」が施行され、6年以上が経過しましたが、今なおインターネット上でのヘイトスピーチやヘイトクライム等について報道などで見聞きすることが、皆様もあるのではないでしょうか。

 今回のじんけん通信では、昨年4月30日にオープンした「ウトロ平和祈念館」(京都府宇治市伊勢田町ウトロ51)やウトロ地区のフィールドワーク、また放火事件(ヘイトクライム)について、金秀煥(キムスファン)「ウトロ平和祈念館」副館長の説明を中心にご紹介します。

 今号の取材内容にもあるように、お互いを認め合い、行動することで、すべての人の人権が尊重される社会の実現への更なる一歩となれば幸いです。

特集 「ウトロ平和祈念館」

■「ウトロ」について

ウトロ地区成立の経緯を教えていただけますか?

 1940年に京都飛行場の起工式が行われ、その建設に従事するため、多くの人が朝鮮半島からわたってきました。1943年ごろに、当時のウトロ地区にいわゆる朝鮮人飯場が設置されましたが、朝鮮半島から来た多くの人は、ほとんどが徴用から逃れるために来た人で、いわゆる強制連行ではありませんでした。

 1945年に終戦し、京都飛行場の建設が中断され、「経済的な理由が大きく、帰国しても生活基盤がそもそもない」、「持っていける財産にも限りがあった」、他にも「南は軍政で疫病が流行していた」、などの理由から帰国しない人々が残りました。当時GHQの調査では、いずれは帰国したい人がほとんどだったとのことです。

 その後京都飛行場用地は、陸上自衛隊大久保駐屯部隊の設置や民間企業への払い下げが行われましたが、朝鮮人飯場に残された人々への対応はなされず、ウトロ地区は在日朝鮮人の「スラム」として蔑まれるようになりました。上下水道などの生活インフラが整備されず、大雨が降ると深刻な水害に悩まされ、また生活用水も地下水をくみ上げる劣悪な衛生環境など、様々な困難に直面することとなり、日本社会から「置き去りにされた」朝鮮人のまちとなりました。

ウトロ平和祈念館について

ウトロ平和祈念館の設立の経緯について教えてください。

 ウトロ地区を含む民間企業に払い下げられた土地については、1987年にまた売却され、1989年に地権者から立ち退きを求める提訴がなされました。2000年に最高裁で住民の敗訴が確定しましたが、この間、水道問題から地元を中心とした多くの日本人支援者がウトロの人々に寄り添い、支援活動を継続し、また、国連・社会権規約委員会が総括所見(最終見解)を公表し、ウトロ住民(約70世帯、230人)を強制立ち退きから救済するよう日本政府に勧告しました。

 その後住民の運動の結果、2005年に韓国でウトロ支援募金運動が開始され、2007年に韓国国会でウトロ支援金が決定されるなど土地の購入にかかる費用が集まりました。

 また、ウトロの歴史を記録し未来へとつなぐ記念館構想が、2007年の「ウトロ街づくり計画」の中で作成されました。ウトロ全体のまちづくりが進んでいく中で記念館構想も進み、ウトロ市営住宅第一期棟(下写真参照)の入居が始まった2018年に日韓で「ウトロ平和祈念館建設推進委員会」が発足し、祈念館建設のための韓国政府の支援金も決定し、建設がすすめられました。

ウトロ市営住宅第一期棟の写真
ウトロ平和祈念館の設立趣旨について教えてください。

 この場所は、困難に直面しながら声を上げた人々と、ウトロに寄り添ってきた日本市民、在日コリアン、そして韓国市民が協力してウトロの歴史と居住権を守ったところです。

 この歴史は日本と朝鮮半島が互いに理解を深めあい、力を合わせ、地域社会で「小さな統一」をつくることによって新しい社会と未来を築いていけることを示してくれています。このことが「ウトロ平和祈念館」を建設する大きな意義です。

 またウトロ平和祈念館は歴史を継承するだけではなく、ウトロ住民をはじめ地域の人々に開かれたコミュニティの拠点として、また地域を超えて日本と朝鮮半島の未来を担う人たちの出会いと交流が深まる場としても役割を担っていきたいと考えています。

 そして戦争から生まれたウトロという地域を守り抜いた人々の姿を通じて、人権と平和の大切さ、共に生きることの意味を伝えていける場所になることを切に願っています。

ウトロ平和祈念館の概要について教えてください。

 まず、ウトロ平和祈念館の入口には、ウトロ地区に残された最後の飯場を移築するとともに、水道がなかったため当時使用していた井戸も再現しています。飯場の内部も当時の生活を想像することができるように再現しています。

 この飯場には、放火事件によって焼けてしまった台所も設置しています。

全景写真
飯場写真
放火事件で焼けてしまった台所
平和祈念館建物

 ウトロ平和祈念館は3階建てとなっており、1階に交流のための多目的ホール、2階に常設展示室―ウトロ地区の歴史、3階が企画展示室となっています。

 また、屋上は展望台として、ウトロの街の姿を一望できるようにしています。

ウトロ平和祈念館の開館後の状況について教えてください。

 2022年4月30日にオープンし、当初予想が年間2,000人としていましたが、約6か月後には約6,500人もの方にご来館いただくなど大幅に予想を上回っている状況です。また、研修の受け入れも100件を超えており、ウトロ地区を通じて、在日コリアンの人権問題、差別に向き合う行動となっていることを力強く感じています。

 実は当初目標を2,000人と低くしたのは、日本において、特に関西においては、外国人や在日コリアンの問題は、同和問題や障害者といった日本人の問題より優先順位が低いとみていたからですが、いい意味で期待を裏切られました。

 若い方にもたくさん来館いただき、大学のゼミや高校生の探求学習、若い男女がデートでも来てくれています。その状況を見て地域の人たちが、これまではウトロは怖い地域、としか思われていなかったと思っていたのにこのような状況となったと驚いています。

 このことからも、今の社会を見て嘆くのではなく、ウトロ平和祈念館として求められる社会の役割を担っていきたいと考えています。

ウトロ地区放火事件について

ウトロ地区放火事件について教えてください。

 放火事件は2021年8月30日に発生しました。当初は「漏電からの火災」と発表されていました。10年前から空き家となっていたのに、配線を加工した盗電が多いから、という理由でした。結果として住宅や空き家など7棟、その内の1棟に保管されていたウトロ平和祈念館で展示予定だった資料約50点が焼失してしまいました(下写真参照)。

 ただ、放火となると住民が萎縮するのではないか、住民がようやく前を向いて喜んでいた状況が、また差別の過去の歴史に引き摺りこまれるのではないか、と心配がありましたので、「放火ではない」ということでほっとしていた部分もありました。

 その後別の放火事件で逮捕された者の自供から放火が発覚し、非現住建造物等放火などの罪に問われ、懲役4年の実刑判決が昨年9月に確定しました。

 今回の判決では、検察の追及は相変わらず弱かったものの、判決文に「特定の人たちに対する刑事責任が大きいこと」、「排他的な思想であること」が述べられ、精神的被害が大きいと寄り添ってくれた判決であったと感じています。

放火跡
放火跡
放火跡
放火跡

最後に~田川明子館長からのメッセージ~

田川館長からのメッセージをご紹介します。

 日本人がこのウトロ平和祈念館の館長を担う責任を痛感しています。また、常々申し上げていることですが、ウトロの問題は在日コリアンの問題ではなく、在日日本人問題と考えています。

 この問題は、学校でも家庭でもほとんど教わることがない問題ですが、良いところ、悪いところと学ぶところは多く、ぜひ多くの方に学んでいただきたいと考えています。

「ウトロ平和祈念館」のご案内

・開館等案内

○開館日時:金・土・日・月曜日10:00~16:00・火曜日は有料ガイドのみ(要予約)

電話:0774-26-9222、ファクシミリ:0774-41-7276、E-mail:[email protected]

休館日:火・水・木曜日・年末年始(12月28日~1月4日)・盆休み(8月14日~16日)

入館料:一般300円/小学生100円/小学生未満無料

・おすすめルート(電車)

 JR琵琶湖線大津駅~京都駅[乗り換え]→近鉄京都線京都駅~伊勢田駅

出口より西へ600m徒歩約8分

ジンケンダーコメント

人権カレンダー3月

自殺対策強化月間

政府では、悩みを抱えた人たちに広く支援の手を差し伸べていくことにより「誰も自殺に追い込まれることのない社会」の実現を目指し、毎年3月を「自殺対策強化月間」に設定しています。月間中は、自殺対策を集中的に展開するものとし、啓発活動と併せて相談事業等の支援策を重点的に実施することとしています。

<滋賀県自殺対策推進センター 自殺予防電話相談>

 TEL 077-566-4326 / 9 時00 分~21 時00 分(年末年始を除く)

 

1日 エイズ差別ゼロの日

平成25 年(2013 年)12月1日にオーストラリアのメルボルンで開かれた世界エイズデーの式典で、国連合同エイズ計画(UNAIDS)により定められました。

 

3日 全国水平社創立

大正11年(1922年)のこの日に全国から被差別部落の人々が京都に集まり、創立大会が開かれました。そして、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」の言葉で結ばれる全国水平社創立宣言が採択されました。

 

8日 国際女性デー

昭和50年(1975年)の「国際婦人年」に国連により定められました。女性たちが、平和と安全、開発における役割の拡大、組織やコミュニティにおける地位向上等によって、どこまでその可能性を広げてきたかを確認すると同時に、今後のさらなる前進に向けて話し合う機会として設けられた記念日です。

 

●21日 国際人種差別撤廃デー / 21 日~27 日 人種差別と闘う人々との連帯週間

昭和35 年(1960 年)3 月21 日に人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対する平和的なデモ行進に対して警官隊が発砲し、69 人が殺害されました。昭和41 年(1966 年)にこの国際デーを宣言するにあたり、国連総会は国際社会に対し、いかなる人種差別も根絶するよう一層の努力をしていくよう求めました。また、3 月21 日からの1 週間は、世界中で人種差別の撤廃を求める運動が展開されています。

 

●21日 世界ダウン症の日

平成16 年(2004 年)に世界ダウン症連合が制定し、平成24 年(2012 年)からは国連が国際デーの1つとして制定しました。ダウン症のある人たちとその家族、支援者への理解がより一層深まり、ダウン症のある人たちがその人らしく安心して暮らしていけるように、さまざまな啓発イベントを通して世界中の人々に訴えていくための日です。

お問い合わせ
滋賀県総合企画部人権施策推進課
電話番号:077-528-3533
FAX番号:077-528-4852
メールアドレス:[email protected]
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