人権施策推進課では、人権に関する特集記事「じんけん通信」を毎月、ホームページ上で発信しています。
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令和4年(2022年)6月(第170号)
ロシアのウクライナ侵攻により、多くの尊い人命が失われています。国際連合の「国際人権規約」に基づき、各国から提出された報告書を審査する機関の「規約人権委員会」に日本人として初めて委員に選ばれた故安藤仁介京都大学名誉教授は、滋賀県人権施策推進審議会の会長を第1期(2001年)から12年間にわたり務めてくださいましたが、その時にいつもおっしゃっていたことが「戦争は人命を奪うという最もひどい人権侵害」ということでした。今回の侵攻でも、人道回廊や避難民の本県への受け入れなど、様々なニュースが日々報道され、皆様も関心を持たれていることと思います。
今回のじんけん通信では、「戦争と人権」をテーマに、先の大戦で600万人のユダヤ人が虐殺されたいわゆる「ホロコースト」から、特にその犠牲となった150万人の子どもたちの姿や「アンネの日記」で有名なアンネ・フランクさんを通して、日本の子どもたちにホロコーストを伝え、“ほんとうの平和を学ぶ”ための施設として設立された「ホロコースト記念館(広島県福山市御幸町中津原815、入場無料)」について、同館の吉田明生館長にお話を伺いました。
今号の取材内容にもあるように、一人ひとりが希望をもって、お互いを認め合い、行動することで、すべての人の人権が尊重される社会の実現への更なる一歩となれば幸いです。
(今回掲載した展示物の写真については特別に許可をいただいています。)
◆ホロコースト記念館の設立の経緯を教えていただけますか?
ご来館いただいた方にまずご覧いただくビデオの中で、大塚信理事長(前館長)が詳しく説明していますが、1971年に大塚理事長が所属していた合唱団がイスラエルでスイスから訪れていたアンネ・フランクさんの父、オットー・フランクさんと偶然出会ってから交流が始まり、「アンネ・フランクの形見」と名付けられたバラの苗木が贈られるなど親交が深まりました。
戦後50年の節目にあたる1995年6月に、大塚理事長が牧師を務めていた教会で「アンネ・フランク写真展」を開催し、4日間で2,400名が来場しました。それを契機に、日本で最初のホロコースト教育センターとして「ホロコースト記念館」が開設されました。開館以降、予想を上回る数の来館者があり、2007年9月に展示スペースが5倍となる現在の新館を建てました。100名が入るホールも設置しましたが、単に写真を増やしたのではなく、より多くの子どもたちが一緒に見ることができるように工夫をしています。
前述のように、ホロコーストの事実について、特に「当時の子どもたちの姿を通して、今を生きる子どもたちが分かりやすく学べるように」、というコンセプトに基づき、展示をされています。
オットー・フランクさんが亡くなられる前に、「アンネをはじめ150万人の子どもたちに、ただ同情するだけではなく、平和を作るために、何かをする人になってください。」と語られ、平和のバトンを渡してくださったことから、ここを訪れる皆さんが
を問いかけてくださることを願ったものとなっています。
この場所を通じて、ホロコーストについて知り、もっと深く知りたい、また来よう、と思っていただけたら非常にうれしいです。
◆2階の壁面メッセージ等について教えていただけますか?
エントランスホールから2階の展示室に向かったところに、写真3にあるように、ヘブライ語で「忘れないで」と記されています。
また、2階廊下には写真4のとおり燭台が飾ってありますが、ユダヤ教で使う燭台(メノラ)は通常7本のろうそくが立てられるようになっていますが、この燭台は6本となっています。これは特別に東京芸術大学の先生に作っていただいたもので、600万人のユダヤ人の犠牲者を追悼したものとなっています。
◆展示室の内容についてご紹介ください
まず、ユダヤ人への迫害に至る過程を紹介しています。ホロコーストが起こる前の幸せな頃の写真や、第一次世界大戦後の経済的に困窮していたドイツの写真、そこからアドルフ・ヒトラーが国民の不満を吸い上げ、選挙で選ばれて政権を取り、ユダヤ人排斥に至る過程をニュルンベルク法などと共に紹介しています。ここで紹介している焼かれた聖書の巻物やユダヤ人であることが示された身分証明書、写真5のユダヤ人であることが分かるよう胸に着けられたワッペンなども、「大切なものではあるが、日本に送り、より多くの人に見ていただいたほうが意味がある」と世界中から寄せられたものです。
こういうものを展示したことをきっかけに、当館を訪れた方が展示物の持ち主の親戚であることが判明し、詳しくお話をお聞きするといったこともありました。
次に具体的なユダヤ人虐殺の内容について、その過程を紹介しています。写真6のゲットー※の壁を再現していますが、その壁には一部実物のレンガを埋め込み、実際に触ってもらえるようにしています。
※ヨーロッパ諸都市内でユダヤ人が強制的に住まわされた居住地区のこと。
また、二つの模型を展示しています。一つ目は写真7の移送車両の模型です。牛6頭が入る大きさの家畜列車に100人が入れられました。強制収容所に到着するころには窒息していたり、飢えて亡くなっていた、という状態でした。二つ目は写真8の最大の強制収容所であったアウシュヴィッツ絶滅収容所(現ポーランド)の模型と収容者服です。ここにアンネ・フランクさんも送られています。収容者服は実物ですが、何度洗ってもにおいが取れなかった、と聞いています。女性は髪の毛も切られました。その髪の毛で毛布を作ったりしました。
様々な人体実験も繰り返され、働けない人はガス室に送られる、死体は金歯を含む貴金属をはぎ取られ、焼却される、といった殺人工場の様相を呈していました。
あるユダヤ人が当館に来られた際に、「この焼却の熱でパンを焼いていたことを知っているか?」と言われたこともありました。看守の居住地も近くにあり、残虐な行為をしていた看守は家に帰るとよい家人であり、人間の持つ二面性を思い知らされます。収容所ではまさに「ユダヤ人が人間ではない」、という扱いを受けていたことが分かっています。
実はオットー・フランクさんの生還は奇跡的なものでした。ソ連の侵攻によりアウシュヴィッツ収容所からのナチスの撤退が始まりますが、アンネ・フランクさんとお姉さんは体力があったのでベルゲン・ベルゼン(現ドイツ)に移送されることとなります。オットー・フランクさんのように病気で動けない者は残され、銃殺となりましたが、オットーさんは撃たれる前にソ連の砲撃が始まり、置いてきぼりとなり、ソ連兵により解放されたのです。1945年1月27日のことです。その1か月後にオットー・フランクさんが中立国のスイスにいるお母さんにあてた手紙のレプリカが写真9です。アウシュヴィッツのロゴが入っています。
一方アンネ・フランクさんとお姉さんは、ベルゲン・ベルゼンに移送され、ともにチフスにり患し、亡くなったことが分かっています。亡くなった日時はわかっていません。その後にイギリス軍が解放しましたが、もしもう少し早く解放されていれば、アンネ・フランクさんは助かったかもしれません。
オットー・フランクさんは体力が回復後、アムステルダム駅で毎日アンネ・フランクさんを捜すこととなりますが、アンネ・フランクさんと一緒にベルゲン・ベルゼンにいた人から「チフスにり患し亡くなった」ことを聞くこととなります。
また、「アンネの日記」を保管していた、隠れ家にいた時の支援者ミープ・ヒースさんから日記が返却され、オットーさんは初めて開いて中を読み、出版に至ることとなります。その後は皆さんご存知のとおり、世界でも有数の書籍となりました。
次に写真10の15cmの靴(実物)を展示しています。27年前にいただいたものですが、犠牲になった150万人の子どもたちを象徴する遺品となっています。ここでは来館した子どもたちに、「どういう子が履いていたと思う?」と聞くようにしています。想像してもらうことで、「どんな子どもだったか」、「どういう気持ちだったか」と考えてもらい、ユダヤ人ということだけで殺されたこのような悲劇が、「二度と起こらないように私たちが何をしたらいいか」ということを一人ひとりが見つけ出し、実行に移してほしいと考えています。
次にアンネが日記を書いた部屋を実寸大で復元したものです。オットー・フランクさんが準備していた隠れ家の一室です。写真11がその一室にある机を復元したもの、写真12がアンネの日記の精巧なレプリカです。オランダの「アンネ・フランク・ハウス」に作ってもらいました。この部屋をアンネは一人ではなく、家族でもない歯医者のおじさんと一緒に使います。ここでも来館した子どもたちに、「知らないおじさんと一緒に過ごすとなればあなたならどう思う?」と問いかけます。嫌とは言えない状況がどのようなものかを考えてほしいと伝えています。ここであの「アンネの日記」や14作にのぼる童話も書いていたことが分かっていますし、あこがれていた女優の写真も全く同じ位置に、同じサイズで貼っています。
また展示の最後にはあの杉原千畝さんによるユダヤ避難民の救出について紹介する展示も用意されています。いわゆる「命のビザ」を発給した後に作成したリストやそれにまつわるエピソードも多数展示しています。
当館の敷地内には、先ほど(冒頭)の「オットー・フランクさんからバラの苗木が贈られてきた」という「アンネ・フランクの形見」のバラ園(写真13)や、アンネ・フランクさんが「アンネの日記」を書いた前述の部屋から見ていたマロニエの木の二世(写真14)も植えられています。
実は今回ご紹介したもの以外にも多くの展示がされており、長時間にわたって丁寧にご説明いただきました。また、展示以外にも子ども向けの資料、「アンネの日記」の各国語版やアンネの書いた童話なども配架していますので、ご興味を持たれた方はぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか?
◆子どもたちを中心とした活動「Small Hands」等についてご紹介ください
歴史としては25年になる活動ですが、開館1周年記念の際に子どもたちのパネリストを募集したことが契機となり、その1年後の同窓会の際に継続した活動とすることとなり、大塚理事長が「平和を作り出そう、小さな手で」という思いを込めて「Small Hands」と名付けました。前述の「アンネ・フランクの形見」のバラの接ぎ木や学びの会、新聞の発行、Facebookでの発信などを行っています。その他にもアメリカのニューヨークへの研修旅行なども過去には行っています。その際には杉原千畝さんの英語劇なども披露しました。
また、地元の盈進(えいしん)中学・高校には全国的にも有名なヒューマン・ライツ部があり、当館と連携した活動も行っていただいています。アンネ・フランクさんと同世代の人たちがどのように考え、行動するかを重要視しています。
もっと小さな保育園児の受け入れもバラが咲く時期に行っています。展示は内容が少し難しいので、「アンネ・フランクの紙芝居」なども見てもらいますが、そういう子どもたちが小学生、中学生となり、リピーターとなってくれることもあります。小学生時代に来館した子どもが、学校の先生となって訪れてくれることもあります。非常にうれしいことです。
◆最後にメッセージをお願いします。
アンネ・フランクをはじめ、150万人の子どもたちが、ただユダヤ人であるということだけで命と未来を奪われてしまったことを、一人でも多くの若い人たちに知ってもらいたいと願っています。ホロコーストは人種差別の問題であり、誰の心にもある「あの人はきらい」「あの人はいなくなればよい」といった思いがエスカレートした結果であることを知ってほしいと思っています。展示にあたっては、前述の当館の設立の趣旨にあるように、単に見るだけではなく、「より深く知りたい、行動につなげたい」と思ってもらえるような工夫を凝らしています。五感を使って、より残る展示、学びを重視しています。
また、当館ではホロコーストや展示内容を紹介する貸出パネルや2種類の映像(「平和のバトン」(DVD1部300円、送料別途必要)、「わかりやすいホロコーストの学び」(DVD1部500円、送料別途必要))、オンラインセミナーも用意しています。遠方でもあり、コロナ禍ですのでなかなかお越しいただけない場合もあるかと思いますので、ぜひご利用いただければと思います。ご希望の方は、電話・FAX(084-955-9001)、またはメール([email protected])でご連絡ください。
おすすめルート(電車)
JR琵琶湖線大津駅~京都駅[乗り換え]→新幹線京都駅~福山駅
[乗り換え]→JR福塩線福山駅~横尾駅下車
徒歩1.5km 約15分
近くのおすすめ「じんけんスポット」
○福山市立人権平和資料館(広島県福山市丸之内1丁目9−1−1)、JR福山駅から徒歩10分
●1日 人権擁護委員の日
6月1日は「人権擁護委員の日」です。人権擁護委員は、あなたの街の相談パートナーとして、様々な人権侵害など、皆さんの問題解決のお手伝いをしています。女性・子ども・高齢者などをめぐる人権の問題やインターネット上の人権侵害、新型コロナウイルス感染症に関連した差別などでお困りの方は、「みんなの人権110番(電話0570-003-110)」までご相談ください。
●12日 児童労働に反対する世界デー
平成14年(2002年)にILO(国際労働機関)が制定しました。児童労働の撤廃をめざして、世界各地で様々な活動が展開されます。
●20日 世界難民の日
難民の保護と支援に対する関心を高め、世界各地で行われている難民支援活動への理解を深めるために、平成12年(2000年)12月の国連総会で決議、制定されました。毎年、世界各地で様々な活動が展開されます。
●22日 らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日
平成21年度(2009年度)から、ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給に関する法律の施行日である6月22日が「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」と定められています。ハンセン病に対する偏見・差別をなくすため、この機会にハンセン病への理解を深めましょう。
●23日 慰霊の日(沖縄県)
沖縄県が制定している記念日で、沖縄戦等の戦没者を追悼する日と定められています。毎年この日に、糸満市の沖縄平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われます。
●23日~29日 男女共同参画週間
6月23日から29日は「男女共同参画週間」です。今年度は「女だから、男だから、ではなく、私だから、の時代へ。」というキャッチフレーズのもと、国、地方公共団体などが、男女共同参画社会づくりに対する国民の理解と関心を高めるためさまざまな行事を行います。
※ ちなみに今号で紹介した「国際人権規約」に、日本が加盟したのは1979年6月21日です。