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滋賀に気づいた人INTERVIEW#28 赤澤誉四郎さん

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「異業種への転職で滋賀へ。得たものは、楽しさと新しい価値観でした。」

東京で約20 年間、本の編集に携わった赤澤さんは、45 歳で福祉業界への転職を決意。「おかげさまで二つの業界が経験できました。」と赤澤さんは語ります。滋賀県の魅力がたくさん見つかり、毎日が充実しているそうです。プライベートでも仕事でも発見の日々。思い切った決断の先には、新たな喜びがありました。

福祉の仕事は、やりがいがたくさん。

___今、どんな仕事をしていますか?

私は、東京都で約20 年間勤めていた会社を辞めて、転職を機に滋賀県に移住しました。今は高齢・障害分野をはじめ、多種多様な事業を展開している社会福祉法人グローの芸術文化部で、自立生活支援員と広報をしています。障害者による作品等を展示した「ボーダレス・アートミュージアム NO-MA」では、主に広報やボランティアをしています。
福祉× アートをテーマに、障害者という壁を無くして「表現」を感じてもらえる、全国に誇れる取り組みです。場所は、近江八幡市の中心部、重要伝統的建造物群保存地区にあり、昭和初期に建てられた町屋を美術館として再生させています。モダンな雰囲気も楽しめる美術館ですよ。ここでは主に地域の70 代、80 代の方がボランティアで参加されています。とてもお元気で、最初は圧倒されて戸惑ったこともありましたよ(笑)。

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___異業種に転職して良かったですか?

福祉の仕事は、誰かの役に立てている実感を得られます。滋賀県では、町おこしに携わっている人が多く、皆さん自分のことよりも地域や人の役に立ちたい!という意識が高いように感じます。「誰かのために」って言葉は、ちょっと気恥ずかしいところがありますが、皆さん素直にそういった心構えで仕事していますね。福祉の現場だからですかね。自分が動けば皆さんが喜んでくれるので、地域の人を思いやるとか、誰かの幸せを想う仕事にやりがいを感じています。

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新たな出会いを求めての決断でした。

___滋賀県に来てから友達はできましたか?

ここに来てから、お一人おひとりと向き合う時間が増えました。だんだんと仲良くなって、そのうちに交流が生まれていますね。昨年の3月には、妻もボランティアに参加してくれて、受付に座って色々なことを教えてもらったと喜んでいましたよ。妻は、それをきっかけに地域の方と食事に行ったりもしているようです。

私は昨年から、地蔵盆を伝える事業もしていて、地域の人をインタビューしています。自治会長やお寺の住職とお話ししたり、明日も2つの町内会をまわります。お店の人とも仲良くなったり、SNSで繋がったり。滋賀県に来てからフェイスブックの友達が100 人以上も増えました。滋賀県では、フェイスブックをされている年配の方が多いですよね。

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___20 年勤めた会社を辞めて、転職した理由は?

新しい発見を探すためです。でも、転職を決めた時は、先が全く見えていませんでした。以前は、プロサッカーのファンクラブの月刊誌を作っていました。約20 年間、編集の仕事にやりがいと誇りを持ち続けてきましたが、新しい何かを吸収したいと思いました。「東京に疲れた」というようなものでもなく、今までも楽しかったけど、前向きな変化を求めていました。リセットではなく、積み上げてきた実績や人間関係は自分の宝物にして、東京を離れて新たな世界を見ようと思いました。

職探しの際には、東京都有楽町にある、ふるさと回帰支援センター内の「地方就職支援コーナー」や「移住相談センター」にお世話になりました。地方就職に関するイベントやセミナー情報が集まっていて、遠距離の就職活動では、交通費や宿泊費が支援されることなどを教えていただきました。

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心を打つ景色は、麦畑でした。

___新天地での生活に、不安はありましたか?

最初は「不安」も「ワクワク」もなくという感じでした。転職を決めたものの、滋賀県は未知の土地でした。妻と「一度、行ってみよう」ということになり、住んでいた横浜市から車を走らせました。新緑の5月が終わり、少し湿った梅雨入りの時期でした。

先ず琵琶湖を見に行きましたが、その時は曇っていたこともあり、ときめきはありませんでした。その後、湖岸道路を走ると稲がだいぶ成長した時期で、青々とした田んぼが広がっていました。するとある瞬間、目の前がパッと黄色になって、黄金色の平原が広がったんです。一瞬、収穫時の稲穂かと思いましたが、そんなわけがありません。調べると麦畑ということがわかりました。その瞬間、不思議と心が華やいだというか。これから新しいことが少しずつ始まって「知らないことに触れる喜び」があるんだなと感じました。

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___滋賀県に来て、生活の変化はありましたか?

生活もしやすいですよ。車を運転していても、道を譲ってくれることが多いですね。新幹線の駅もあるので横浜にも帰りやすいです。すれ違う子供たちが、挨拶をしてくれたり。近所のお店とか、地元とのつながりを感じることが増えました。勤務地へも、車だと15 分で通えるので、通勤のしんどさはなくなりました。家でくつろぐ時間が増えたので、仕事後に映画鑑賞をすることも。

何より滋賀県には理屈じゃ言えない良さがあります。今日の夕陽もそうだし、昨日の 虹もそう。優しい空気が流れているというか。価値観はそれぞれですが、私は日本のどこでも一緒じゃないと思っています。

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琵琶湖は、気軽に色々と遊べる場所です。

___どんな趣味を楽しんでいますか?

私は歴史が好きで、滋賀県は歴史が深い土地なので今、とても楽しんでいます。聖徳太子のゆかりのある地域で、高島市のメタセコイヤ並木や安土城などの観光地もたくさんあります。小説家の司馬遼太郎も、近江が大好きだったようです。

滋賀県は、日本のほぼ真ん中にあるので全国各地、どこにでも行きやすいです。趣味は御朱印集めなので凄く助かっています。海無し県ですが、個人経営の美味しい飲食店が多いんですよ。それを探して見つける楽しさにはまっています(笑)。今は「人生ってすごく楽しいことがあるんだよ!」と声を大にして言いたいですね。

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___叶えたい夢はありますか?

職場の人は、皆さん良い人でピュアです。12 月の音楽祭は人生最高の仕事でした。皆さんと一緒に作ってきたものが、最後に出来上がる達成感には泣けました。現場で触れあう度に、表現に障害は関係ないと実感しています。滋賀県は福祉について、献身的な面があります。その価値を近江八幡市から世界に発信したいという使命感でいっぱいです。移住して3年経ちますが、毎日が驚きと発見の日々です。新しい世界で、私の価値観は広がりました。私を受け入れてくれる人も多かった。その出会いの一つひとつが、人生の財産になっています。

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ある一日のスケジュール

  • 7時00分起床。朝食をとる
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