戦争体験談・資料提供のお願い

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1:戦場・戦地の人々 軍隊で中国語の通訳をしていた夫と結婚、満州へ

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-有里さんが、初めて語った731部隊の話-
中村有里さん(大正7年生まれ 大津市)

日本は本当に酷いことをしました

「今、初めて言うんです。日本は本当に酷いことをしました。私ももう90歳ですからね、死んだら話せませんからね。」と言う有里さん。

昭和16年1月、有里さんは、731部隊の軍属として中国語の通訳をしていたご主人と結婚し、満州(現在の中国東北部)の哈爾濱(ハルピン)に渡りました。

「初めは主人がどんな仕事をしてるのか、知りませんでした。だけど、なんとなくわかってました。主人の様子と世間の噂でね。」

有里さんの夫が所属していた731部隊とは、細菌・化学戦研究の為に生体解剖などを行ったとされている部隊で、中国人政治犯など約3,000人をマルタと称して人体実験に使い、死なせた、と言われています。


当時の家族写真(ご主人、妹さん、有里さん、娘さん)

人体実験の犠牲者の数をあらわすかのよう

有里さんは「主人の仕事はマルタを連行することと、その通訳だったと思う」と当時を振り返り、そして、有里さん自身も「731部隊の縫製工場で、マルタに着せるズボンと上着を縫っていました」と言います。
倉庫には、人体実験の犠牲者の数をあらわすかのように、有里さん達がつくった洋服が積み上げてあったそうです。

一夜にして生活は一変

昭和18年、夫の転属命令と共に有里さんは731部隊のあった哈爾濱を後にし、新京に移動しました。一家は、何不自由のない生活を送っていましたが、終戦を迎え、一夜にして生活は一変しました。夫はシベリアに抑留され、有里さんは幼な子を抱えての難民生活を余儀なくされました

有里さんが日本に帰ってきたのは、昭和21年7月でした。

 
 

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