戦争体験談・資料提供のお願い

滋賀県平和祈念館は、
県民の戦争体験を語り継ぎ、戦争の悲惨さや平和の尊さを学び、
平和を願う心を育むための拠点となる施設です。

1:戦場・戦地の人々 撃たれても続けた電話の補修

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-中国大陸の通信兵-
小泉藤次郎さん(大正7年生まれ 東近江市)

電話の敷設や撤収などに従事

小泉さんは、昭和14年1月、現役で京都伏見の歩兵第九連隊補充隊に入隊しました。通信兵としての教育を受けた小泉さんは、その年の12月に中国に渡りました。小泉さんは、連隊本部で通信班の一員として、電話の敷設や撤収などに従事しました。


中国にて、同年兵との記念写真。前列左端が小泉さん

命がけの作業

「通信班は、連隊本部と大隊本部との連絡をつける仕事や、大隊長や中隊長が電話で話をして作戦を練りはるから、大隊本部と重要な中隊の間に電話線を引っ張ったりするようなことが任務です。」
作戦中も小泉さんたちは重要な役割を担っていました

「作戦に出たって、私らは鉄砲の撃ち合いはせえへんのです。電話しかせえへん。電話線を引きに行くんですわ。線が通じなかったらあかんしね。」
しかし、それは、命がけの作業でした。


電話勤務中の小泉さん

直さんことには戻って来れへん

撃たれることもありましたよ。電話線を引っ張っときますやろ。線を切られることがあるんです。友軍が切ることもありますけど。それを補修しに行かんならん。ほと、向こうからバッババッバ撃ってきますわ。はたで死んだ人がひっくり返ったり、軍馬がひっくり返って、はらわた出してることもあるしね。そやけど、直さんことには戻って来れへん。撃たれても直して、本隊の方に戻ってくる。

小泉さんの戦場での危険な任務は、日本国内への帰還命令が出る昭和17年12月まで続きました。

 
 

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