「水と暮らしの文化」「水と祈りの文化」「水と食の文化」・・・水に感謝をしながら育まれた文化は今も引き継がれ、そして清らかで豊富な水は1450万人の暮らしを支えています。
近江盆地の中央に琵琶湖を有する滋賀県は、周辺の山麓に降った雨が河川をつたって流れ込む水の豊富な地域であり、和の暮らしと祈りを映す「水の文化」が各地で生まれ育って、今日に伝わっています。 (日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が認定するものです)
「水と暮らしの文化」針江・霜降の水辺景観
針江・霜降地区には、豊富な湧水を謙虚で豊かに利用する「カバタ」があります。湧水を飲み水用、炊事用などに分け、洗い場には鯉を飼って残飯を処理させて水路につながるお隣やその先の河川・内湖・琵琶湖のために、できるだけきれいな水のまま流しています。
「水と祈りの文化」白鬚神社
白鬚神社は、琵琶湖に浮かぶ大鳥居が有名な、参拝客も多い滋賀県の絶景スポットです。境内には著名な歌人の歌碑が多数あり、これも見所の一つになっています。
「水と食の文化」オイサデ漁
人々の暮らしと祈りの姿を育んだ「水」は、地域ならではの独自の生業や食文化も育んできました。琵琶湖や川の河口では、接岸したコアユを生きたまま捕獲するため。鳥の羽をつけた竿で網に追い込む「オイサデ漁」が春の風物詩になっています。
滋賀県には510本の一級河川があり、そのうち117本が直接琵琶湖に流入します。一方で琵琶湖から流れる川は瀬田川の1本だけです。瀬田川は宇治川・淀川と名前を変えて大阪湾に注ぎます。日本最大の面積・貯水量を有する琵琶湖の水は、滋賀県だけでなく、京都府・大阪府・兵庫県のおよそ1450万の人々(滋賀県の人口の10倍)の暮らしを支えています。
琵琶湖の水は、人工の琵琶湖疏水からも流れ出ています。この琵琶湖疏水の目的は、東京遷都で衰退の危機にあった京都を再興しようと、水車動力・水力発電による工業の近代化、運輸の確保、田畑の灌漑利用、飲料水・防火用水の確保などでした。工事は1885年に着工され、1890年に完成に至りました。鉄道輸送や道路網の発達に伴い、1951年には、船を用いた輸送は姿を消してしまいましたが、近年、「琵琶湖疏水沿線 魅力創造協議会」が設けられ、2018春から、観光船の本格運航を開始しています。
▲琵琶湖疏水 観光船の様子このページは、2018年3月に滋賀県が発行した「びわ湖を学ぼう」(琵琶湖ハンドブック概要版)を一部修正して掲載しています。一部の画像は(公社)びわこビジターズビューロー提供。
原文はこちら(URL:/ippan/kankyoshizen/biwako/11346.html)
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