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長浜市 明治28・29年の水害

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長浜城歴史博物館企画展「湖北の水害~水の災禍と人々の奮闘~」

長浜城歴史博物館 展示内容
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湖北の水害 企画展
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湖北の水害 企画展
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湖北の水害 企画展
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湖北の水害 企画展
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湖北の水害 企画展
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湖北の水害 企画展
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湖北の水害 企画展

 

企画展「湖北の水害~水の災禍と人々の奮闘~」

 展示アーカイブ

令和6年(2024)、長浜市長浜城歴史博物館では、企画展「湖北の水害~水の災禍と人々の奮闘~」を開催しました。

この企画展では、滋賀県を襲ったいくつもの水害の中から、特に被害の大きかった明治28年(1895)7月と明治29年(1896)9月に発生した水害を取り上げました。様々な資料を通じて、河川の氾濫によって起こった洪水の被害の様子や、そこから日常生活を取り戻そうと奮闘した人々の姿を紹介しました。

この記事をご覧になった方が、過去に学び、約130年前の水害の姿を、未来の防災・減災に活かすきっかけになれば幸いです。

企画展の概要

1,会期 令和6年6月15日(土)~7月28日(日)【44日間】

2,会場 長浜城歴史博物館2階展示室

3,主催 長浜市

4,協力 公益財団法人江北図書館

■展示内容

第1章水害の被害状況

 明治28年(1895)7月下旬から連日雨が降り続きました。豪雨により、山岳部の降水量が非常に多くなり、いくつもの河川があふれ、橋梁や堤防は決壊しました。道路が破損し、至るところに山崩れが起こりました。濁流は田畑や家屋を押し流し、その被害は甚大なものとなりました。

翌明治29年(1896)、滋賀県は、8月末から9月初旬にかけて豪雨に見舞われました。琵琶湖の水位が急上昇し、約4メートル増水した地域もあったようです。湖北地域では、琵琶湖に面していない地域でも、川の氾濫により、人々は家財道具や食料を運び出す間もなく着の身着のままで逃げたことや、押し流された木に家が引っかかり一命を取り留めた人々を救助したことなど、当時の混乱した状況が記録されています。

水害による直接的な被害だけではなく、衛生環境の悪化による感染症のまん延や、田畑が荒れたことで収穫量が激減するなど様々な影響がありました。

展覧会では、明治28年、29年に分けて、洪水発生から浸水、被害の状況把握にかかる通信連絡手段に関する資料を展示しました。また、伊香・西浅井郡役所の職員(吏員)が、被災状況のレポートに記した浸水位や河川の増水位を体感できるパネルを掲示し、数値だけではなく身をもってこの水害の恐ろしさを知ることができるように工夫しました。

 【主な展示資料】

●「明治二十八年水害ニ関スル書類編冊」

明治28年(1895)紙本墨書 公益財団法人江北図書館蔵

 明治28年7月下旬、連日の大雨により水害が発生。24日から降り出した雨は、28日には暴風を伴い、高時川の増水は1丈7尺余(約5m)に達した。本資料には、災害の発生から復旧作業、義援金の配当などの関連書類が綴じられている。

資料の冒頭に、複数回にわたる電報の記録がある。これは、水害発生当初、伊香・西浅井郡長を務めていた遠藤(えんどう)宗義(そうぎ)が、大津に出張しており不在であったためである。遠藤は急ぎ伊香地域に戻ろうとするも、汽車は姉川や高時川を渡川できず、長浜で足止めされてしまう。その後、舟を用いて北上し、伊香・西浅井郡の馬上(まけ)村(現在の長浜市高月町馬上)を経由して、ようやく8月1日夜に郡役所に戻ることができた。その間、遠藤と郡役所間の報告・指示は電報でなされた。一連の流れから、水害発生当初の慌ただしい状況をうかがうことができる。

以下、電報の記録をいくつか抜粋する。

(日付、発信者→宛先、本文の順に記述し、表現を一部変更した)

1、7月29日(県職員)シミズタニ→伊香・西浅井郡長 遠藤宗義

余呉川出水の模様。いかが。

2、7月29日遠藤宗義→宛先不明

姉川出水のため、陸路も帰れぬ。汽車便待ちおると。遠藤より。

3、7月29日遠藤宗義→(伊香・西浅井郡)藤田書記

姉川渡れぬ。馬上を経て帰る。よろしく。

4、7月29日伊香・西浅井郡役所→坂田・東浅井郡役所

遠藤郡長への電報渡し方頼む。貴地のステンショ(駅)に居らるるはず。

5、7月29日藤田郡書記→坂田・東浅井郡役所にて遠藤伊香・西浅井郡長

水害甚だし。妹川その他皆落ちる。朝比奈書記不在。すぐお帰りありたし。

6、7月29日遠藤宗義→滋賀県知事大越亨

川合橋も皆流失す。又流れ家十余戸。その他調べ中。

7、7月30日遠藤宗義→(滋賀県)古市技手

高時川・余呉川の橋皆流失す。堤防破壊、道路破損甚だし。通行差し支える。すぐお越しありたし。水勢益々甚だし。

8、8月2日伊香・西浅井郡役所→(犬上郡青波邨後三条滞在伊香・西浅井郡役所第一課長)朝比奈辰静

昨夜郡長帰れた。

 

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明治二十八年水害ニ関スル書類編冊 公益財団法人江北図書館蔵
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明治二十八年水害ニ関スル書類編冊 公益財団法人江北図書館蔵

 

第2章水害からの復旧

 雨が止み、水害によって引き起こされた被害を目の当たりにした人々は、日常生活を取り戻すために、復旧作業を始めました。土砂で埋もれた道の整備や、橋の掛け直しなど、どのような活動が行われたのかに注目しました。

【主な展示資料】

●「丹生杉野道災害復旧工事書類」

 明治29年紙本墨書 公益財団法人江北図書館蔵

 明治29年の水害により、山崩れや河川の氾濫が発生した。その際の交通が途絶された道路の復旧工事に関する書類。杉野道、神明道、丹生道のうち洪水によって土地が荒れた箇所を図示しており、掲載箇所は杉野村周辺である。画面を横断する白線が川を示し、川の周りは「浸水土地荒」として黄色で塗られている。道路を示す朱線上には丸印(山崩れを示す)、三角印(河川の氾濫のため川のようになったことを示す)を示し、被害状況を知らせている。改修費用として、杉野村周辺だけで土砂の除去などの土木工事に1449円575銭(現在の価格換算でおよそ2900万円)、橋の掛けなおしに2410円383銭(現在の価格換算でおよそ4820万円)が掛かった。

●「議事堂(ぎじどう)等(とう)建設(けんせつ)日延(ひのべ)嘆願書(たんがんしょ)

明治29年(1896)

公益財団法人江北図書館蔵

伊香郡役所は、かつて木之本浄信寺の広間を借入れていたが、寺の都合のため移転することとなった。新庁舎となる適当な家屋がなかったため、その頃建築を予定していた議事堂、木之本税務署(収税所)とあわせて3棟、加えて外に物置1棟を新築することになった。明治29年8月1日に起工したが、8月30日および9月6日以降の暴風や豪雨による水害のため、調達していた木材が流失したり、工事現場へ向かうための道が土砂崩れなどで交通途絶していた。そのため、当初予定していた竣工日である10月15日に間に合わない見通しとなった。

このような事情から、工事を請け負っていた文室市治郎(郡役所担当)、谷口清兵衛(議事堂担当)、山田善兵衛(税務署担当)は、それぞれ工事日程の延長を嘆願。10月14日には、11月15日まで1カ月の日延を依頼し、その後11月30日、さらに12月15日まで工事延長の嘆願書が提出された。結果、一部仕様の変更などが行われた上で12月13日の竣工となり、当初の工期から約2カ月遅れての完成となった。

 

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明治二十九年 丹生杉野道 災害復旧工事書類 公益財団法人江北図書館蔵
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明治二十九年 丹生杉野道災害復旧工事書類 公益財団法人江北図書館蔵
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明治二十九年 丹生杉野道災害復旧工事書類 公益財団法人江北図書館蔵
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明治二十九年 丹生杉野道災害復旧工事書類 公益財団法人江北図書館蔵
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議事堂他附属建物建築関係書類 公益財団法人江北図書館蔵
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議事堂他附属建物建築関係書類 公益財団法人江北図書館蔵

 第3章非常時の自助・共助・公助

水害の被害にあった地域の人々はそれぞれに大変な思いをしました。そのような中にあっても、他の人に手を差し伸べる思いやりの心がありました。この章では、当時行われていた災害時の備えや、公的な支援に目を向けました。特に明治14年(1881)創立の伊香相救社の活動について取り上げました。

【主な展示資料】

●「恩賜(おんし)金(きん)分配(ぶんぱい)関連(かんれん)通知(つうち)

明治28年(1895)公益財団法人江北図書館蔵

明治28年の水害を受け、滋賀県に対して、天皇皇后両陛下から金500円が下賜(かし)された。この恩賜金の分配については、郡ごとに比率が設けられ、罹災(りさい)状況別の等級に応じて、町村大字ごとに定められた2名以上の委員によって、受給者の金額を査定することとされた。恩賜金500円のうち、伊香西浅井郡各村合計で204円48銭4厘が分配され、全体のおよそ41%を受け取ったことになる。

この恩賜金のほか、滋賀県が窓口となって集めた義援金、伊香西浅井郡役所が窓口となって集めた義援金、県の災害救助金、備荒儲蓄(びこうちょちく)金(きん)※からの援助金など3種類の金銭的な援助があった。

※備荒儲蓄金…不慮の災害を被った地域住民を救助し、また天災のため地租(税金)を納めることが難しい者に対し、租額を貸与するために設けられたもの。

●「明治丗三年議事録」

(掲載箇所)明治29年(1896)紙本墨書 公益財団法人江北図書館蔵

伊香相救社は、明治14年(1881)に創立された民間団体で、伊香・西浅井両郡において罹災救助や窮民救助などを実施した。

本資料は、伊香相救社の総代議員による会議の議事録で、この綴りには大洪水が発生した明治28年、明治29年の議事録が含まれる。会議は原則として6月と12月に開催されていたが、明治29年12月26日の会議では、大洪水によって救助・支援を求める者が600人以上にのぼる旨が報告されている。最終的には相救社の活動史上で最も多い651人に、金額としては歴代3位となる総額2,606円25銭2厘の罹災救助金が支出された。

 

 

 

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明治33年議事録 公益財団法人江北図書館蔵
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明治33年議事録 公益財団法人江北図書館蔵

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