現在の葉山川改修箇所(令和5年6月 出水状況)
撮影:滋賀県
体験者の語り 県民男性(昭和24年生まれ)元消防団員74歳
【昭和57年台風10号の概要】
昭和57年台風10号は大型の強い勢力を保持しながら、8月1日の午前9時には台風の中心が潮岬の南東約500kmの海上に達した。
これに伴い1日未明から滋賀県では全般に大雨となり、ところどころで1時間に20mmから40mmの強い雨が降った。
鈴鹿山系および田上山地では総雨量が300mmを超え、また、北部を除いた全域では150mmに達した。
県下全域で、7月31日の夜中から河川の水位は上昇し、警戒水位を突破する河川が続出した。特に県南部の河川の水位上昇は著しく、破堤、溢水等による被害は甚大なものであった。日野川、杣川を始めとする県南部の河川は、2日午前1時から4時の間に警戒水位をはるかに上まわる最高水位に達し、葉山川、大戸川においては破堤、溢水をした。
【葉山川の概況】
葉山川は野洲川と草津川に挟まれた丘陵地の山地に源を発し、琵琶湖河口部に至る流路延長10.3km、流域面積23.27平方キロメートルの天井川です。
葉山川は、国道1号、東海道新幹線、JR琵琶湖線など重要交通幹線を横過する河川で、交通の利便性が高く京阪神の生活圏でもあるため、流域は宅地開発が進み多くの家屋が集中していることから、一度洪水被害に見舞われると大きな被害が発生します。
葉山川は現在、琵琶湖河口部から随時改修中です。
【台風10号による栗東市の被害状況】
昭和57年8月1日、2日台風10号による栗東市の被害状況
〔住宅一部損壊2棟、床上浸水30棟、床下浸水44棟、その他で田の流出(失)埋没、浸水被害〕
【葉山川決壊による栗東市中沢地区の避難と被害状況】
葉山川の菌(くさびら)神社の近くの堤防が切れて、避難命令が出て地区の住民は少し高い位置にある自治会館に一次避難をしました。
私の家は床下浸水し、畳がぬれたので自分たちで交換しました。
この一帯には当時は50軒ほどあり(今は開発が進み大分増えました。)ほとんどが床上もしくは床下浸水しました。
プロパンガスボンベが流されたり、冷蔵庫が横に倒されてそのまま流された家もありました。私のとなりの家は土壁も流されました。
地区を浸水させた水は、水はけが悪いのでなかなか流れず滞留していました。下流側に鉄道の線路があり、それが堰き止めているからなかなか濁水が引いて行かないのです。この時は半日くらいかかって濁水は引いて行きました。
地元の復旧作業は、浸水により流入した泥を取り除いたり、床や壁を洗ったりしました。
地元も大変でしたが、私は消防団員であるので団活動に行っていまして、朝方に自宅に帰って来ました。
【当日の消防団の動き】
8月1日の夕方頃、当時の消防団長から、第4分団は台風接近により葉山川流域の警戒パトロールおよび被害状況を団本部に報告するよう命令を受け、第4分団員であった私は他の団員と数名とともに、消防ポンプ車で管轄する治田西学区を流れる葉山川流域を中心に、警戒パトロールおよび災害危険箇所の確認を行いました。
夜半頃になって、中沢地区内の葉山川の堤防がブヨブヨ(軟弱な地盤)になってきたのもつかの間、葉山川の一部が決壊し、その部分から濁水が住宅の近くまでに流れ出していることを現認した私は、人命の危険が大であることを察知し、住民への避難誘導が必要である旨を消防団本部へ報告をしました。
消防団長からの命令のもと、直ちに他の団員とともに、浸水してきた住宅を一軒一軒、避難をよびかけながら、安全な場所へ誘導を行いました。
その後、消防団が葉山川の堤防で菌(くさびら)神社の木を3、4本切って木流し(切った木を川の中へ投げ込むことで川の流れを緩和し、堤防の川側が崩れるのを防止する方法)をしました。若い木で幹回りが80cmくらいでしたので、他の団員とのこぎりで切りました。その堤防の足元が不安定で、また薄暗く危ない中作業をしました。
上流から流れてきて小柿地区、下鈎地区に溜まった泥を土のう袋に詰めて、もっこ棒を使い肩に担いで決壊したところに土を戻す作業がありました。軟弱な場所なので大変な作業でした。(今はユンボ等の重機があるから大変楽になりました。)
夜が明け、明るくなってきてから、自治会館に避難していた人たちが、家に戻り始め、消防団も朝には解散となりました。
【葉山川の思い出】
葉山川は天井川で通常は水が流れていないので魚とか生き物がおらず、あまり川で遊んだことがありませんでした。雨が降った時は水が流れていますので、琵琶湖から魚が来ることがありました。
子どもの頃、楽しかったことは葉山川の土手の斜面の草を利用して、すべり台として遊んだことです。
【葉山川の改修後(現在はこの地区まで改修済)】
河川改修後は安心している人もいますが、葉山川と中ノ井川との合流点の付近は水位が上がりやすいので、近くに住む人の中にはまだ安心していない人もいます。
【伝えていく】
私が小学生の時にも葉山川が切れた記憶があります。当時の葉山川は蛇行していたので堤防が切れたと思います。
昭和34年伊勢湾台風の時は、上流側の地区で堤防が切れて濁水はそちらへ流れ、中沢地区に濁水は流れて来ませんでした。
昭和57年台風10号で私の自宅敷地は浸水したので、建て替えの時に敷地高を上げました。
この地区の新しい住民の方は、堤防が決壊したことをほとんど知らないので、これからの人に伝えていくことが大事であると思います。
【消防団に入って】
この地域は第4分団で定員20人です。私は消防団員を37年活動していて団長までしました。
昭和57年台風10号の時は団員として若く、体力があり体を張って活動しました。
消防団に入って良かったことは、いつも頭も体も鍛えているので、非常時でも自然に体が勝手に動くようになったことです。
【地元の水防活動】
現在の水防活動は火災時の消火訓練はやっていますが、水害時の避難訓練はあまりしていません。一次避難場所は私が自治会長をしている時に自治会館と決めていました。指定の避難所は市で決まっていてこの地区では近くの小学校です。
参考(「滋賀県災害誌」より水害の概要)
【昭和57年台風10号 】
台風10号によって、葉山川、大戸川においては堤防決壊、溢水をきたした。
大戸川では黄瀬より上流部で一部氾濫、石居橋流出、その他道路、橋梁多数損傷。
住宅被害は全壊…2戸、半壊…1戸、一部損壊…12戸、床上浸水…120棟、床下浸水…1,101棟