【木流し工法】
枝葉が茂った木を切り、堤に突き刺し、水の流れを穏やかにする(水防工法の1つ「木流し工法」)
【綿向山】
綿向山に雪が三回降ると、里に初雪がくる。
【野田川】
野田川は、法興寺の前を流れる川。昔は、土を簡単に盛った堤防だったので、雨が降ると、すぐに川が溢れた。野田川から溢れる水は、日野川の川原の方向に向かって流れる。そのため、溢れた水は、集落内の道路や水路に流れた。
現在でも、年に一度、みんなで川ざらいをしている。
【一番高い場所】
集落内で一番高い場所は、法興寺。昭和28年13号台風では、避難所になった。
当時、橋には柵がなかったため、避難する人のために、端にロープを渡し、子どもやお年寄りは、それを伝って避難した。法興寺に通じる橋の上で、大人の腰あたりまで水が来た。
【あるきさん】
あるきさんとは、「りん」と呼ばれる手持ちのベルを鳴らしながら、集落内を歩く人のこと。
大水で警戒が必要な時や、避難を知らせる合図として使われた。大水の時に、「りん」が鳴ると、みんながぱっと集まった。
【すぐに集まる】
「何か危険」と感じたら、みんながすぐに集まるという雰囲気があった。みんな、誰が何をしているのかをお互いが知っていて、団結力がすごかった。
【川戸(カワト)と赤土】
三在井川の水を家の庭に引き込み、それを生活に利用する川戸があった。大水になると、三在井川からの逆流により、家の中に水が入りそうになった。
その時は、川戸に通じる排水の土管に赤土をつめ、逆流してくる水を止めた。雨の季節になる前には、各家庭で赤土を準備していた。
木流しイメージ
【水防の応援】
昭和30年代までは、大水になることが多かった。大水になると、日野町の別の集落から、消防団が応援に来てくれた。日野川の堤防を守るために、川原の竹を切って、「木流し」をしてくれた。
木津の人は、応援に来てくれた人々のために、炊き出しをした。