体験者の語り 男性 (昭和9年生まれ)
【大堤防決壊の危機】
8月13日の晩は、春日神社の灯明の日だった。
決壊はしてないけど、姉川左岸の観音堂の地先の堤防が、少し低かったんやって。堤外地の水嵩がまして来た時に、水が流れてきたわけや。
で、役員と消防団員が水防活動に取り組み、「水が盛り超してくるぞ」とみんなが警戒をしてた。ほんで、土嚢用の砂を準備してないさかいに、近くの畑の土を”カマス”に入れて堰止めをしていたわけや。
堤防を上がったり下りたりしてるもんやさかい、自分たちの足で堤防を壊してしもうたわけや。そうしたら、堤防から水が滲んできたわけや。「これはあかん、堤防が切れてまう」ということで、月輪工法をやったんやって。
姉川の対岸の町内の人たちに応援を頼もうと思っても、頼む事が出来なかった。なぜなら、旧大井橋は小堤防だけに架かる高さの低い橋だった。そのため橋から水が集落に流れ込まないように、大堤防にある”切り通し”に土嚢や角材で封鎖しているから、虎姫方面は通行止めやった。そして対岸の町内に人たちも、自分たちの堤防の警備で応援にでられない状態だったんです。
水防活動の最中に警察が堤防の見回りに来て、「なにしてんのや、そんなもん(堤防)をほって逃げよ」って言って。そこに妙蓮寺があるやろ、大きいお寺や、床も上がっとって、水が入ってきたかて浸かんということで、「そこへ避難せい」ということで。おばあさんとか子どもとか、お寺さんへ20人ぐらい逃げてたんやて。お寺の釣り鐘をガンガン鳴らして非常事態発生を知らせてた。幸い雨も止み、下流のどこかが決壊してか堤外地の水が引いてくれたおかげで、水の盛り超しと堤防の決壊はなかったんやけど。
【水が盛り超してきた原因】
川の水が盛り超した時は、ちょうど大井よりすこし上流にある”ものつくり橋”と呼ばれる橋が、水で流れたから。
この橋は、宮部の人たちが利用していた橋で、姉川左岸にある田んぼに農作業に来るために通る、木造の橋だった。それが水で流れてもうて、旧大井橋に板橋や流木が引っかかった。流木とか木製の橋やらが、真っ直ぐに流れてくるんやったら良いけど、堰になったから水嵩が上がるわけ。それが原因で盛り超したのかは、検証してないから分からないけど。
もう1つの原因は、堤防が低かったということやな。その後、堤防が低い箇所(約500m)に1mほど盛り土がされたんや。
体験者の語り (昭和9年生まれ)
8月13日か14日だから、酢のお墓へ参ったんです。お墓へ行くのに、長靴を履いて行くほど浸かっていたということです。もう水はないやろと思って行ったら、水があった。