【上町流れ、下町流れ】
三雲区内では、『上町流れ』『下町流れ』と呼ばれる水害が言い伝えられている。
昭和28年に水害が発生したと言われている9月25日には、現在でも区内の旧在所が立志(りゅうし)神社にこもり、災害がないことを祈っている。
【しぶき(木流し)】
「わしらの小さい時はな、藪の竹を切ってきて、ほんで上のほうで杭打って、縄で流して。それを『しぶき』って言わはったわ。
堤防が流れてしまうやん。そうすると今度は道を欠いていく。そこに『しぶきかけよ!』って言うて、近くの藪から竹をどっと切ってきて、ダーっと水の当たってる所に流して、水の当たりを弱くする。原始的なやりかたやけど。」
【水制止め】
どないして堤防の足下を守ったかって言うと、丸太をやぐらに組むんやわ。それを連結してそこに蛇篭って言うんやけど、かごに石を入れて。それを沈めて、水の流れのキツイとこを止めるわけ。3ヶ所か4ヶ所か。すると、水を蹴りよる。それを『水制止め』って言うねん。それやるとね、堤防の裾を欠きよらへんね。
水制止めは、堤防を守るのに一番ええねん。堤防の足下を守るのに。まあ今日では原始的なやり方か知らんけど。
【めもち】
「私のおじいさんあたりが、堤防の復旧をするのに、出て行った。その時分はみんな「かっちんこ」で土を運ばはってん。それを『めもち』って言うた。
肩で土を担ぐやろ?それを1回目、2回目って札を渡さはるわけ。そういう仕事に出たってわしのおじいさんおばあさんは言うてはったわ。土を野洲川から堤防へ、みんな肩で運ばはったわけ。トロッコいうのが出来たんやけど、それ以前の話や。
明治44、5年の話かなあ。」
【治山治水】
「昔は山に、落ち葉を掻きに行ったもんや、自分らの燃料に。枯れ木も切るし生の木もちょっと切るし。ほして、きれいに落ち葉を掻いてたから、地面がつるつるしてた。その時分のポロポロっとした雨はすぐに谷川をダーっと流れてきよってん。
この頃はちっとも山に行かへんから、鬱蒼と生えすぎたる。雨が降ったかて谷川は水があんまり出てこうへん。山がそんだけ持ちよるんやわ。
治山治水、山は大事やで。堤防守るより山守れやわ。」
【昔の野洲川】
「今は、野洲川の河床がものすごい下がったるわ。昔の川底は、中郡橋の欄干の上から飛び降りれた。そのぐらい高かったんや。3mは下がってるわ。
野洲川の底が高かったから、ちょっと雨が降ったら、堤防の8割ぐらいまでは、絶えず水が流れたったな。
そらほんまに、橋の上から手が届くぐらいまで出るのは、いつもやった。降ったらそうやった、怖いほど。ほんで切れるんやわな。」
【霞堤】
「野洲川は、ここらみんな霞堤になってて、正福寺で切れたら(溢れたら)、水は天井川の高田砂川に当たるのでそのあたりに、菩提寺で切れたら(溢れたら)野洲川の頭首工のあこらに出てる。桜で切れたら大山川のとこでまた溜まる。でまた、野洲川に戻る。
ここらはそうやったっちゅう話や。溢れた水は、在所だけで止まる、次切れたら、次の在所だけで止まる、という風にして、また野洲川に出る。」
【人ごとやない】
長雨になると河川が氾濫するさかいに、その河川の川沿いの人は、長い間見て回ってはるし、田んぼでも低地の人は見に行く。大雨の中、ぐるぐるぐるぐる見てた。人ごとやない、自分のことやさかい。
【見廻りは必ず2人で行くこと】
水害ゆうのは、なめてかかったらあかん。パーッと勢いよう行って2次災害が起こると怖い。絶対2人で行かなあかんしな。小さな作業する時でも、1人が見てやんとな、2人がうつむいて仕事してたら、2次災害が起こったらかなん。
どの川が氾濫したときには、どこが危険な箇所か、まず、どこを重点的に見るのかや。
【自分らが守ることは、当たり前】
自分らの在所や自分らの資産やから、自分らが守ることは当たり前やったんや。堤防が切れんように、消防団に出てもろたり、木流しをしたり、杭打って土嚢を積んだりして。
【自主的に避難】
台風は、来るのが当たり前みたいやったわな。で、それまでもみないろいろ体験もしてるさかいに、知恵がある。そやから、勧告より自主的に避難するのも大事や。
【水害への対策】
川の改修はそう簡単には進まへんのやから、いろいろな措置もとっとかなあかん。
石部では、台風後の改修時や、開発・造成をするときには、洪水時の水の流れの調整をするために、一時的に水を貯められる調整池をたくさんつくった。中学校・高校のグランド・あけぼの公園等。また、じゅらくの里の野外広場・十禅寺公園のグランド等、降雨出水時には調整池、災害発生時にはヘリポートにも仮設住宅もできるような機能を持つ広場にした。
【顕彰碑】
石部のあたりは、よい木がたくさんあったため、昔から伐採されてはげ山が多くなったが、植林をしたり、枝葉を切ったりと、山を守ってくれた先人たちがいたため、今のようなきれいな山になった。
土砂流出も防げて恩恵を受けているということで、昭和32年に旧石部町・旧石部町森林組合と石部財産管理委員会が顕彰。