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甲賀市 昭和34年伊勢湾台風

水害履歴

位置図
位置図
水害写真

甲賀市 場所不明 昭和34年伊勢湾台風

体験者の語り

■大水で橋げたが削られ、橋が流された。当時は大阪、東京を結ぶ大動脈。4トン車を含めて3台流された。3台目は前が見えづらかったのか、橋がなくなってしまった川へ落ちていった。今だに車は見つからない。

2年間位だったか、復旧するまで、車は山側へ大回りをして走っていた。

 4km大回りだったが、田舎道なので、細くて狭かった。地元の者は思うように移動できず、大変だった。それにいちばん上の所には隧道があり、大きなトラックが入れなかった。

 多分台風の目に入ったんだと思う。晴れて無風だったが、急に雷が鳴って、松の木が割れた。

 学校は休校になった。橋がなく、渡ることができず、大変だった。この年は稲刈りが早くて、となりの家はもう干して家にしまっていた。うちは杭にかけてあったが、みんな流された。横杭1段がけだった。となりの家は干し終わっていたので、水が混ざらないで良かったと思う。

 田んぼのあぜに木を植えていたのは、昭和30年代まで。昭和40年代の構造改善で機械化し、変わっていった。1段がけで、二重に重ねる事もあった。その前は、生木にだんごのようにかけた。

水口町三本柳 昭和34年伊勢湾台風

位置図
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体験者の語り (地元の方21名による) 聞き取り日:平成27年9月26日

【この調査は、立命館大学歴史都市防災研究室との協働で行いました】

 甲賀市水口町三本柳地区は、杣(そま)川左岸に位置し、信楽道、伊勢新街道、杣街道などの旧街道が交錯する交通の要所として形成された地区。杣川の渡し場にもなっていたため、宿場町としての機能も果たしていた。

 しかし、三本柳地区は杣川の渡し場としての特性上、河川のすぐそばに立地しており、それに加えて、杣川に流入する滑(なめり)川・里川・城(じょう)川の四つの河川に囲まれた地形になっていることから、大雨の時にはそれぞれの河川の増水、氾濫により被害を受けてきた。

 昭和28年には、杣川の決壊や旧里川の越水により、地区のほぼ全域が床下浸水、一部床上浸水した。同様に、昭和34年の伊勢湾台風の時や昭和40年にも地区内で床下・床上浸水した。平成に入ってからも、全国初の特別警報が発令された平成25年台風18号の時に、杣川から旧里川へ逆流して溢れた水が地区内に流れ込み数件の家が浸水した。また、城川は決壊寸前にまで増水した。

参考(「滋賀県災害誌」より各水害の概要)

【昭和28年8月多羅尾豪雨・台風13号の水害】

 8月14日~15日にかけて、多羅尾地域を中心にした甲賀郡(当時)南東部の山間部一帯で、300mmを超す雷雨を交えた豪雨となり、河川は急速に増水し随所で土砂災害も起こり、多羅尾村(当時)では、全半壊流失戸数が全村の4割という大惨事に見舞われた。

 杣川も急速に増水し、危険水位1mを越えて3mに達し、堤防の決壊や橋が流失し、建物や田畑に大きな被害をもたらした。

 その復旧作業が動き始めた1か月後の9月25日、台風13号が襲来し、再び随所で河川が氾濫、決壊した。

【昭和34年伊勢湾台風】

 9月25日夜間、台風の眼が彦根地方を通過したため、暴風雨が続き、河川の堤防決壊による洪水で、浸水地域が広がった。

【昭和40年9月 台風23・24号】

 9月9日以来、秋雨前線による雨が続くなか、10日に台風23号が・17日に24号が立て続けにやってきた。台風24号は、この年の最も大きい台風で、各河川はこれまでの増水した水量に加え、さらに急速に増水し、9月17日23時頃には各地で堤防の決壊が起こった。そのため、家屋の全半壊をはじめ、田畑の流失・冠水などによる水害被害・農作物被害が甚大なものになった。

【平成25年台風18号】

 強風域半径500kmを越える大型の台風18号は、滋賀県で過去に経験したことのない暴風雨をもたらし、滋賀県・京都府・福井県に初の特別警報(平成25年8月30日から運用)が発令された。

 このため、県内各地で記録的な大雨となり、高島市鴨川と草津市金勝(こんぜ)川の堤防が決壊したのをはじめ、多くの河川が氾濫し、人家や田畑等広い範囲で浸水して甚大な被害をもたらした。

 9月15~16日の総雨量は、大津市葛川(かつらがわ)で635mmを記録している。


伝承・言い伝え