(出典:滋賀県、『滋賀県災害誌(第1部』、昭和41年3月、p22-23)
天候状況
7月1日以降晴天の日は少なく、16日から19日にかけて大雨が降り、特に24日早朝からは風雨となり、25日昼前頃におさまった。また、26日夕刻から降り出した雨は月末まで続き、殊に30日は雷雨をまじえた激しい豪雨で、道路は川となって流れる程で、木之本における雨量は同観測所開始以来未曾有で、28日99mm、29日197mm、計296mmで、7月1日~31日の合計雨量は504mmであった。
また、8月6日まで連日大雨が降り、7日に至りようやく晴れた。
出水状況
7月29日、朝より各河川出水し、湖北地方の姉川・余呉川2流域内は最も甚だしく、その水源地方の山岳の崩壊多く、流水崩土を流し、崩土が川を堰止め、水勢激突して河底の土砂を浚え、巨岩を流し、堤防が決壊し、高木を折り、家屋・田畑・道路・橋梁を流し去り、川幅は3倍となる。姉川の最高水位は平水位より約22尺(約6.7m)増高し、余呉川は同日朝8時に最高水位となる。姉川流域は30日朝より、余呉川は29日午後1時頃より減水したが、高時川は数日を経ても平水位に復しなかった。
被害状況
特に著しかったのは坂田・東浅井・伊香・高島の各郡であった。県警察部勤務森本兵二郎警部は、8月2日伊香郡丹生村尾羽梨(おばなし)と鷲見(わしみ)の間にある古呂立(ころだち)という所で救護活動中に殉職した。
激甚地の状況
東浅井郡虎姫村は、田川の河水停滞により、姉川・高時川の水流流し、全村の家屋殆ど水中に没し、住民は、天井あるいは屋上に難を避けて頻りに救いを求めたが、水深く、長浜より舟数十隻をもってきて救助した。
伊香郡片岡村柳ヶ瀬は、余呉川の氾濫により、3棟を除き全部ことごとく浸水した。避難所が設けられるや、罹災者は争って移ったが、その後も出水甚だしく、食料運搬できず、避難所と浸水しない土地との間に通路や物流ルートを一本確保し、これによって食糧や通信を送った。同村椿坂・中河内・丹生村奥川並・鷲見・摺墨・尾羽梨・針川も同様惨状をきわめた。
市町名
水害履歴調査
水害履歴マップ
水害写真