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重要文化財(建造物)の新指定について

令和6年5月17日に開かれた国の文化審議会文化財分科会において、次の建造物を重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申されました。

新たに指定される重要文化財(建造物)

園城寺(おんじょうじ)1件 5棟

 観音堂(かんのんどう)、札所鐘楼(ふだしょしょうろう)、百体堂(ひゃくたいどう)、

 観月舞台(かんげつぶたい)、絵馬堂(えまどう)

 附(つけたり): 棟札(むなふだ)3枚、 旧伏間瓦(きゅうふすまかわら)1枚、石竃(いしかまど)1基

 

今回指定される1件5棟が重要文化財に指定されると、滋賀県内の重要文化財(建造物)件数は、190件、277棟(うち国宝22件、23棟を含む)に変更になります。

園城寺観音堂、札所鐘楼、百体堂、観月舞台、絵馬堂東面俯瞰
園城寺観音堂、札所鐘楼、百体堂、観月舞台、絵馬堂東面俯瞰【提供:園城寺】

建造物の概要

園城寺札所伽藍について

 園城寺は、琵琶湖西岸の長等山(ながらやま)を寺域とする天台寺門宗の総本山であり、その開創は七世紀に遡ると伝え、中世には北院(ほくいん)、中院(ちゅういん)、南院(なんいん)の三院からなる広大な境内を構えました。このうち南院の観音堂を中心とした札所伽藍(ふだしょがらん)は、延久4年(1072年)に後三条天皇の病気平癒のため長等山山頂付近に創建された聖願寺が後に正法寺(しょうぼうじ)と改められ、現在地に移されたものを前身とします。正法寺は近代以降の法人再編の際に廃され、札所伽藍の建造物は現在園城寺の管轄となっています。

 観音堂などの札所伽藍は、琵琶湖への眺望に恵まれた南院の高台に位置しています。西近江路から参道を通り石段を上った正面に観音堂が東面して建ち、その北方に西から札所鐘楼、百体堂、観月舞台が並び、石段の南脇には絵馬堂が建ちます。江戸中期以降に寺社参詣が盛行する中、西国三十三所観音霊場第十四番札所として広く庶民の信仰を集めました。前身の観音堂の焼失により現在の観音堂が元禄年間に再建されて以降、現在の札所伽藍を形成する建造物が、江戸中期から末期にかけて漸次整備されました。

各建造物の概要

観音堂:礼堂(らいどう)、合の間(あいのま)、正堂(しょうどう)を接続した複合仏堂で元禄2年(1689年)に上棟されました。当初は正堂と礼堂を合の間で繋ぐ簡明な構成でしたが、江戸後期以降、合の間の拡張や不動堂、位牌壇(いはいだん)の増築など数度の改修を行い、現在の複雑かつ独特な平面構成となりました。

札所鐘楼:観音堂の北方に南面し、文化11年(1814年)に再建されました。材質を総欅(けやき)造りでまとめ、禅宗様(ぜんしゅうよう)の様式を取り入れた装飾性の高い建物です。

百体堂:西国・秩父・坂東計百所霊場の観音像を安置するための小堂で、石段を挟んで札所鐘楼と並んで南面して建ち、延享元年(1744年) 頃の建立と伝わります。

観月舞台:琵琶湖への眺望に最も優れた境内北東部に南面して建ち、現在の建物は嘉永2年(1849年)に再建されました。簡素ながらも建物の高さを低くおさえ、足元は高床とし、檜皮葺の大きな屋根をかけた優美な舞台建築です。

絵馬堂:観音堂の南東、正面参道石段の南脇に建ち、寛政13年(1801年)に上棟されたものです。四方を開放とし、名前の通り絵馬を納めるほか、一時期は茶所とも呼ばれ内部には石製の竈が残ることから参拝者に湯茶を振舞うための接待施設としても用いられていたことが分かります。

 園城寺の観音堂は、札所参詣の隆盛に伴う拡張・改造による独特な平面を残すものとして貴重です。また観音堂をはじめとした建造物群からなる札所伽藍は、近世に建てられた札所特有の堂舎が高台の境内地に軒を連ね、立地を含め特色ある景観を造り出しています。これらは近世の西国三十三所観音霊場の建築と信仰の形態を今に伝えるものとして歴史的に価値が高い文化財といえます。

園城寺札所伽藍配置図
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