滋賀県には約1300の城跡があり、安土城や彦根城といった巨大城郭から、小規模な城館や砦まで、バラエティに富んでいます。また、武士以外にも僧侶や農民など、様々な人々が城を築いており、城は、滋賀の歴史や文化の特徴を色濃く反映した、滋賀ならではの歴史・文化遺産です。滋賀の城は、滋賀の魅力を伝える地域の宝として全国の人々から関心を寄せられており、多種多様な滋賀の城の魅力を広く発信していくことが求められています。
さて、近江の戦国時代は、江北の京極氏・浅井氏と江南の六角氏の抗争を軸に展開しますが、永禄11年(1568)の織田信長の近江進攻によって大きく状況が動き始めます。浅井氏の離反にはじまり、姉川の合戦を経て小谷城落城によって終わる両者の戦いは、元亀争乱の中心的な戦いであり、北近江は、元亀争乱の主戦場といっても過言ではありません。浅井氏との約3年におよぶ戦いを経て、信長はようやく近江を掌握することができました。
また、本能寺の変の後、羽柴秀吉と柴田勝家が織田家の後継者をめぐって争い、賤ケ岳の合戦で激突します。秀吉はこの戦いに勝利し、天下人への第一歩を踏み出しました。このように、北近江では戦国から近世の歴史の行方を左右する重要な戦いが繰り広げられたのです。
横山城は長浜市と米原市の境にあたる横山丘陵に位置します。戦国時代後半に浅井氏によって拠点化された様子がうかがえますが、詳細な築城時期は明らかになっていません。浅井氏の本拠地である小谷城からは美濃の斎藤氏、江南の六角氏といった境目にあたる城であり、織田信長との間におこった元亀争乱においても戦いの舞台となりました。
城は、北城と南城に分かれる別城一郭構造になっています。北城は丘陵の北尾根と南西尾根に広がっており、主郭周辺からは北尾根にかけては階段状の削平された郭が堀切に遮断されながら続いてます。南城は、丘陵の南端に近い上下二段の主郭の周囲に土塁をめぐらせて竪堀や竪土塁を設けており帯郭も配置されています。
横山城は元亀争乱の前後にも軍事的な要所であり、そのたびに改修が加えられたと考えられており、北近江の戦国時代を考えるうえで重要な城です。
今回の講座では、本県文化財専門職員の案内で横山城跡をたどります。