群馬大学大学院工学研究科 片田敏孝 教授
防災講演会講演スライド
【司会】
皆さん、こんにちは。大変暑さ厳しい中、大勢の皆さんに参加頂きましてありがとうございます。本日は群馬大学の片田先生をお招きして、「地域防災力を高める処方箋」ということで、ご講演を頂くことにしました。県関係、各市町、また一般にご案内しましたところ、大勢の皆さまに参加頂きまして、誠にありがとうございます。
防災講演会を開始させて頂くに当たりまして、嘉田知事からごあいさつを申し上げます。
【嘉田知事】
皆さん、おはようございます。大変暑い中、また平日にもかかわりませず、このようにたくさんの皆さんにお集まり頂きまして、ありがとうございます。日ごろは本県の防災行政の推進につきましてさまざまな場面でのご協力を賜りまして、あらためて厚く御礼申し上げます。
さて、近年各地で災害が多発しておりますが、今年も能登半島地震や新潟県中越沖地震などの地震災害、そして、この7月には梅雨前線末期の台風4号、5号による大雨等により、全国各地で大きな水害、土砂災害が発生しております。あらためて日ごろの災害に対する備えの重要性を痛感しているところでございます。
幸いにして、本県においては人命にかかわるような大きな被害はありませんでしたが、しかし、現在、琵琶湖西岸断層帯地震や南海・東海地震等、高い確率で発生すると言われております。また、水害に対しましても、地球温暖化の流れの中で、施設の整備水準を超えた水害がいつ発生するか分からない状態でございます。災害から地域住民の皆さんの命や財産を守る、そのような行政としての公助、公に助ける役割は大変重要でございます。県といたしましてもさまざま努力させて頂いておりますけれども、ただ、地震あるいは河川のはんらんなど、どうしても広域的、また同時多発で発生致します。そのようなことを踏まえますと、それぞれの地域の皆さんがお一人お一人、また家族で、あるいは地域社会、コミュニティとして自分や地域を自分たちで守るという、自助・共助の活動が大変重要になってまいります。
実は私自身滋賀県内30年、各地を水と人のかかわりを調査させて頂いていろんなことを教えて頂きました。特に人と川、人と水が近かった時代、いろいろ恵みもありました。魚を自分たちで元気につかんで食べる。そしてまた、水も自分たちの地域の水利権、慣行水利権の中で引くという恵みもありましたが、同時に災害のときは自分たちで守るという備えもございました。大雨のときに堤防を自分たちで見守り、場合によっては破堤したとき、もちろん避難の体制も含めて、後の補修も自分たちでするというような地域自治の仕組みが生きておりました。幸い滋賀県にはこのような伝統が今もまだまだきちんと維持されております。
私は毎月、防災広報番組「くらしsafty」の中で各地を訪問させて頂いていますけれども、例えば、この4月には日野町西大路地区で皆さんのお話を伺う機会がありました。ここでは大規模災害が発生することを想定して、隣近所数軒でまず要援護者を自分たちで確認をして守ろうということで、訓練もしながら日常の備えをしておられます。
特に、この要援護者の問題は個人情報の開示等も含めて大変難しいデリケートな問題でございますけれども、何よりもまず日常の身近な人たちが自分たちで守るという大変大事な蓄積をしておられることに、あらためて感銘いたしました。
今後各地でこのような地域社会がございますので、発掘して頂き、そして、それぞれの地域の動きをお互いに伝えて頂く中で、住民と行政がどのように協力していったらいいのかということを、実践に基づいたかたちで積み上げていきたいと思っております。
そのようなところで、本日、片田先生のご講演をお願いいたしました。
群馬大学、遠路からお越し頂きましたけれども、片田先生の本日のテーマ、「地域防災力を高める処方箋」ということでございます。私たちは日常どのように災害のリスクを感じ、そして、それをどのようにしていざというときに役立てるのかという、まさにリスクコミュニケーションの分野では、現場の大変きつい部分を支えながら実践的になさってこられた。私は以前から片田先生の論文を読ませて頂いて、こここそがまさに私たちの防災・減災の出発点の知恵が、処方箋がおありだと思っておりましたので、今日はあえて遠方からお願いを致しました。
これから2時間余り、レジュメを見せて頂きますとわくわくするような大変貴重な情報・経験が詰まっております。ぜひとも片田先生のご経験とお知恵を私どももしっかり受け止めながら、滋賀県のこれからの減災・防災計画に生かさせて頂きたいと思っております。
本日午後には、第1回の「流域治水検討委員会」も開催致しますが、そちらにご参加頂く皆さま、丸一日の長丁場となります。暑い中にもよけい熱く燃えて頂けるかとも思いますけれども、どうかそれぞれの地域の皆さんの現実の課題に引きつけて、片田先生のお話を聞いて頂けたらと思います。
どうか本日の講演会が、皆さんの今後の災害に強い地域社会づくりに向けて有効にご活用頂けますようお願いを申し上げまして、少し長くなりましたけれども、最初のごあいさつとさせて頂きます。本日はどうもありがとうございました。
【司会】
片田先生には遠路はるばるお越し頂きました。ご講演をお願いしましたところ快くお引き受け頂きまして、誠にありがとうございます。
先生の略歴はお配りしております資料の次のページに書いてございますが、豊橋技術科学大学大学院博士課程を修了されまして、その後、岐阜大学や名古屋商科大学を経て群馬大学に移られました。現在は群馬大学大学院工学研究科の教授をなさっております。またその間、京都大学防災研究所やワシントン大学に客員教授として赴かれております。
また、「受賞歴・表彰歴」のところに書いておりますとおり、「自然災害への社会的対応に関する総合的研究」など、いろいろな方面での数多くの論文を発表されて賞をお受けになっております。
また、政府関係や自治体関係の委員会、審議会にも数多く携わっておられて、土木学会や日本自然災害学会、災害情報学会等の委員会活動も数多くなさっております。
また最近では、特に豪雨災害とか津波、土砂災害を事例として、住民の危機意識、避難意思決定に関する研究等々をなさっておりますし、また、地域防災力向上のためのリスクコミュニケーション、まさに本日ご講演をお願いするところのテーマでありますが、その方面の研究をなさっているところでございます。またNPO法人を立ち上げるなど、幅広くご活躍されているところでございます。
それでは先生、よろしくお願い致します。
【片田教授】
皆さん、こんにちは。ただ今ご紹介を頂きました群馬大学の片田でございます。私、今は群馬県に住んでおりますが、生まれは隣の岐阜県でございます。山の中ですが下呂温泉の近くの山の中の集落の出身でして、幼いころは、朝から晩まで川で遊び、真っ黒に日焼けして、夜は夜でウナギを取りに行ったりしましたので、昼間だけではなくて一日中川で遊んでいたという、そんな幼少期を過ごしておりました。
今現在群馬大学におります。群馬に行って12〜13年になりますが、その前はずっとこの東海地方におりました。隣の岐阜県の工専を出まして、豊橋の大学に編入して、そのあと、もうなくなりましたが東海銀行の研究所に居たり、岐阜大学の助手をしたり、名古屋商科大学に居たりして、東海地方が本当は生まれでございます。仕事の都合で今群馬におりますけれども、私にとって岐阜県この辺を含めて、どちらかというと地元という感じがしておりまして、今日はそんな感覚で話をさせて頂きます。
日ごろ私自身あちらこちらで「地域防災力を高める」という話をして、住民の皆さんとどうやって地域の防災に取り組んでいくべきかということを考え、数多くの実践をしてきました。正直申し上げまして、これでいいんだという結論を僕自身は得ているわけではございません。
地域ごとの事情があり、また住民の意識、行政の方々との関係、それまでの歴史、いろんなものの中で決まってくる問題ですので、こうすればいいんですと、大層に「処方箋」なんて書いてしまいましたが、処方箋を示せるぐらいなら、私はここでこんな話をしていなくてもっと偉い人になっております。とてもこんな処方箋を全部示しきるような話はできませんが、私がこれまでどんな取り組みをしてきたのか、私がどんなことを考えているのかということを少しご紹介させて頂き、皆さんのお役に立てばと思います。
最初に申し上げておかなければいけないのは、今日は流域治水の話ですので、皆さんは僕のことを河川の専門家だとお思いかもしれませんが、そんなことはございません。僕は防災、特に避難の問題をやっておりますので、洪水ですとか、土砂災害だとか、津波だとか、ここは津波には関係ございませんが、そういう問題からいかに住民の安全を守るのか、命を守るのか、そうなってくると避難の問題が重要になってきますので、専門は何かと言われれば、平たく言えば「逃げること」です。「逃げること」が専門でちょっと格好悪い専門ですが、最近の災害が多い中では重要な話かなと私は思っております。
それでは早速話に入らせて頂きます。
非常に自然災害が多発している、そんな感覚を皆さんお持ちだろうと思います。全部書いたら書ききれません。かいつまんで書いただけでもいっぱいになります。
台風4号、5号による今年の災害を見ましても、全国津々浦々あちこちで災害が起こるという状況があります。どうしてこんなに災害が多いのか、諸説あると思います。
これは台風4号の軌跡を描いたものですが、雨域が非常に広がっています。滋賀県は幸いにもこのところ大きな水害には見舞われていませんが、どこでこういう雨が降っても不思議でないという状況は、この絵を見て頂いても分かると思います。
これは衛星から台風4号の写真を撮ったものですが、はるか北の方まで来ても台風が衰えていない、南の方で発生した台風がずっと強いまま北上してくるという状況になっています。
最近、こういう雨の降り方が多くなっています。何でこんなに強い雨の降り方になったのでしょうか。これは、日本周辺の海水温の分布を見たもので、気象協会にデータを作ってもらいました。赤いところが大体25度以上、26度といった所です。台風は大体26度ぐらいから発生するのです。
通常、台風は日本に近づくにつれて偏西風の影響を受けて曲がり始めるわけです。曲がり始めるころから大抵海水温が低くなります。ところが、ここを見て頂くと分かるように、海水温の高い所がずっと北の方までありますから、言ってみればずっと餌の供給を受け続けて、(勢力が)強いまま来てしまうのです。
ピンクの方が平年よりも高い温度を示していますが、この軌跡を見ても高い所をずっと来ているということで、台風が強いまま近づいてくるという状況になっています。
平成18年も大変被害が多く、えびの(宮崎県えびの市)では1週間に1300mmの雨が降りました。大体30mmの雨が降ると、車のワイパーを動かしても見にくいという状況です。これが1日10時間降って300mmです。それが4日続いて1200mmです。そんな雨の降り方が起こっています。そのほか全国津々浦々、1週間で1000mmを超える所が頻繁に出てくるようになってきています。
幸いにも滋賀県は、周辺を山に囲まれているという地勢もあるでしょう。このところ大きな雨がないことは確かですが、いつ何時こういう雨の降り方をしてもおかしくない状況にあることだけは、皆さんも念頭に置いておいて頂いた方がいいと思います。
これは平成18年の姉川・高時川の出水の状況を見たものですが、このときには幸いにも、危険水位は突破したけれども溢水までには至らなかったという状況もあります。特に滋賀県内の河川というのは一般に流域の小さな河川が多いものですから、降った雨が川に流れ込んであっという間に増水するという形態です。危機管理としては非常に難しい河川が多いということも重要なことだろうと思います。
これは国土交通省が出している資料です。先ほど、30mmの雨で車のワイパーを動かして見にくいという話をしましたが、50mm以上の雨が降った頻度を、昭和52年から61年、62年から平成8年、平成9年から18年と見たものです。明らかに発生頻度が200回、234回、313回と、どんどん増えてきています。これが100mm以上、こんな雨が1時間、2時間降ったら川は溢れかえります。こういう雨が降っている回数も明らかに増えてきています。何でこんな雨の降り方になってきているのかというのは諸説ありますが、明らかに気象の影響はあるだろうと言われています。
先ほど台風が、ずっと北の方まで海水温が高いから餌の供給を受け続け、台風にすれば餌である海水温の高い所をずっと通って強いまま来てしまうという状況はご説明しました。もう一つは、日本のような、いわば温帯地域の雨の降り方というのは、例えばパリやロンドンのしとしと雨、「シェルブールの雨傘」とか、ああいうしとしと雨、雨を楽しむというような降り方が温帯の雨の降り方です。本当は日本ではそういう雨の降り方をする地域のはずです。ところが、こういう雨の降り方というのは、南方のスコールです。南方のザーッと降る雨です。その北限が上がってきているのではないかという方もいます。
諸説あるのですが、いずれにしてもこういう雨の降り方が全国津々浦々で起こっているということで、ここ滋賀県も幸いにもここしばらく来ていないのですが、いつ何時こういう雨に見舞われるか分からないということだけは、他人事ではなく念頭に置いておいて頂く必要があるということ、これをまず初めに申し上げたいと思います。
こういう雨の降り方がこのところ非常に多いわけですが、2000年の東海豪雨、この少し前に福岡の水害もありました。福岡の水害では、地下街に水が流れ込んで中で人が亡くなり、「都市型水害」が2000年前後に注目されました。これは都市がアスファルトで覆われて、降った雨がそのまま下水管に入り、処理能力を超えて溢れかえる。そんな中で街の中に溢水していく。降った雨がそのままたまっていって水位が上がっていく、そういう雨の降り方、これが問題にされたのが2000年前後からです。この問題は、まだ片付いていません。相変わらずこの情況です。
最近はこれに加えて、中小河川の水害が加わってきました。ちょっと前までは都市部での水害が取りざたされていたのですが、最近はそれが地方に及んでいます。典型的なのが新潟豪雨、福井豪雨、あの2004年の水害です。共通するのは中小河川ということです。これは、滋賀県(の河川)もそうです。琵琶湖に注ぐ川は120河川あるそうですが、押しなべて全部流域の面積の小さな中小河川と言って構わないでしょう。
こういった狭い流域の中に局所的に大変大きな雨が降ると、あっという間に川に流れ込んで増水します。ちなみに刈谷田川、五十嵐川という新潟豪雨の河川は、中小河川の中では大きい河川ですが、雨が降り始めてから破提するまでわずか5時間です。
5時間というのはどういう時間かというと、「上流ですごい雨が降り始めたぞ」という第一報が入るのは多分1時間ぐらいたってからでしょう。1時間降って、「このままいくとまずいなあ」と思いながらも情報を見ながら、もう1時間様子を見ると2時間たっています。この段階で破堤のわずか3〜4時間前になっているのです。
「おい、これはちょっと警戒しないといけないんじゃないか」と言いながら、「ぼちぼち動き始めようか、注意しようか」と言っていると、もう2時間前です。そこで慌てて避難勧告を出して2時間前です。住民に「一般にどれぐらい前に避難勧告が欲しいですか」と聞くと「2時間前」というのが非常に多いのですが、もうこの時間になっているわけです。おろおろしていると、あっという間に1時間前です。新潟豪雨のとき、中之島町が避難勧告を出したのは破提のわずか数分前です。「そんなんで逃げられるわけないじゃないか」という住民の怒りが非常に出てくるわけです。
中小河川は勾配がきつくてあっという間に増水するので、オペレーションの時間がありません。これは滋賀県にも共通することです。いつ何時これが起こるか分からないということを滋賀県の方々にはぜひ分かって頂きたい、認識として持って頂きたい。
洪水に対する対応は、国管理の大きな河川の場合、100年に1回の降るかどうかの雨に備えてやります。これは大きな河川の場合のいわゆる想定外力といいますが、100年に1回だとか、そういうレベルで対応します。何を意味しているかというと、「100年に1回、もしくはそれよりも大きい雨が降ったら、初めから対応のしようがない」ということです。この数十年、少なくとも皆さんが今の職業に就かれてからこれまでの間に大きな災害はなかったということをもって、「滋賀県は安全だ」と判断されるのは根本的に間違いだということです。
100年に1回というと、例えば最近降っている大きな雨、東海豪雨などでも計測の仕方によっては数百年、数千年に1回というような雨なのですが、そういう長い長い時間間隔の中で時々起こる大きな災害があります。皆さんが勤めておられる数十年の間災害がなかったことをもって、滋賀県は災害が少ないという判断をされるのは根本的に間違いだということは、よく念頭に置く必要があると思うのです。
よく災害現場でテレビ中継があります。そうすると地域のおじいさん、おばあさんが出てきて、「わしは70年この方ここに住んでいるけど、こんなことは初めてだ」と話しているところをよく耳にします。それはそうですね。何度もそんなことを経験しているのだったらテレビには出てこないはずですから、その70年の間に(災害が)なかったのはいわば当たり前のことです。誰にとっても初めてのことが起こるから災害だということも言えるのです。
そういう面において、このところ久しく滋賀県では(水害が)ないという状況、それはそれとして「よかったですね」ということは言えますが、それは今後の安全を保証していることでも何でもないという認識が必要です。皆さんは主に行政の方々ですから、こういう物言いをすれば分かって頂けると思いますが、深刻なのは住民の皆さんです。
「もう昔と違う、堤防もできた。上流にはダムもある。水路もしっかりしているし、ポンプもある。昔と全然違うから、もう水害なんかないんだ」。昔であれば霞堤があったり、いろいろな災いをやり過ごす知恵があって、「ここには家を建てるなよ」なんていう中で地域の安全が守られてきたわけです。先ほどお話を伺っていると、今や霞提のある所にも新興住宅地ができているとか。(水害が)単にここ数十年ないという実績もあって、住民の皆さんの危機意識の低下が、この滋賀県では随分と起こっているというお話も伺いました。
これは滋賀県では、行政も住民も、ひょっとしたらここしばらく(水害が)ないということに対して、安全ボケになってしまっているのではないか、その状態が僕は一番危険な状態だろうと思います。
2004年はとても特別な年でした。台風が10個上陸しました。毎年であれば多くて2〜3個、それがこの2004年、平成16年は10個上陸し、新潟豪雨に始まり、直後に福井豪雨があり、23号の豊岡、円山川が破提するという災害だらけの年でした。おまけに新潟は、この前も中越沖地震がありましたが、この年中越地震もありました。最後の締めくくりはスマトラ沖地震です。災害ばかりの年でした。
毎年、清水寺の和尚さんが今年1年の漢字を書かれますけれども、この年は「災」という字を書かれました。これぐらい災害が多かった年なのですが、僕はこの年を「防災行政転換の年」と定義づけています。
なぜ「防災行政転換の年」と僕が考えているかというと、私は今群馬県に住んでいますので、お隣、新潟県の豪雨があったときにすぐ現地に入りました。学生とともに、とにかく1週間黙って水に浸かった現場を歩いて、炎天下の中、軒下から土砂をかき出している方々の姿を拝見し、なぜこういうことが起こったのかということを僕らなりに考えながら歩いてみました。
いろんな人と話をして、そのあとアンケート調査をやりました。新潟豪雨で、あちこちで聞いたことですが、とにかく住民の行政に対する不満が出てきます。特に中小河川で情報がもらえなかったことに対する不満が噴出です。
アンケートでは最後に1ページに白紙を付けたのですが、9割方の方は、そこに行政もしくは情報に対する問題、いろんな問題をいっぱい書いておられます。(ここに)典型的なものを書き出しましたが、ほとんど情報の話ばかりです。
「防災スピーカーやサイレンを設置して、早く危険を知らせてほしい。とにかく連絡もなければ動けない」、「避難勧告がせめて2時間前に出ていれば、車は何とかなったのに、わが家は2台も駄目にした」、「浸水が進んできている状況になっても避難勧告はなかった。だから、避難できなかった。市の責任は重い」。情報に対する苦情ばかりです。
それはそうでしょう。住民にすれば、何の情報もないまま、はたと気づいたら水が来て、あれよあれよという間に、破堤しているものですから水位が上昇して、あっという間に水に浸かってしまって家財も何もかもなくしたというような状況の中、「何で情報をくれないんだ」という不満が噴出するのも至極当然のことです。
これは新潟の例を書いていますが、こういう状況は福井豪雨の足羽川でもそうでした。円山川でもそうでした。みんなわずか5〜6時間の間に破提するような状況になるものですから、情報の問題ばかりが非常に表面化しました。
これを受けて国はいろんな対応を取りました。そこが「防災行政転換の年」だということなのですが、まず国土交通省が社会資本整備審議会の中に、「豪雨災害対策緊急アクションプラン」をまとめる委員会を立ち上げました。そこでいろんな議論をしたのですが、最終的にまとまった報告書の筆頭の項目に挙がっているのは、「送り手から受け手情報への転換を通じた災害情報の提供」です。つまり、皆さんも情報を出す立場の方々なのですが、皆さんの立場で「情報は伝えたぞ」というだけでは駄目だということです。現に住民は動いていないではないか、住民がちゃんと受け止めて対応するような情報の出し方を考えろ、ということが筆頭項目です。
二つ目は、「平時においても防災情報の共有化を図れ」です。地域にある災害のリスク、危険度情報はちゃんと事前に住民に伝えておきなさいということ、つまりハザードマップです。これによって、事前にどういう所が危険なのかをお伝えすると同時に、いざというときの対応の仕方もちゃんと周知しておきなさいということです。災害時、そして平時です。こういう情報の問題が筆頭項目に挙がってくるわけです。
国土交通省はもう一つ委員会を立ち上げました。「水災防止体制のあり方に関する研究会」といって、要は水防法の改正委員会です。これによって、当時全国2300、今は市町村合併の影響で1500に減ってしますが、1500の自治体でハザードマップを住民に公表することを義務化するという水防法の改正が行われました。
内閣府でも「集中豪雨時における情報伝達および高齢者等の避難支援に関する検討会」を立ち上げました。ここでは、従来市町村の首長さんは住民に対して避難勧告、避難指示を出しますが、それよりも前に避難準備情報を出しましょうということになりました。特に避難困難の方々、お年寄りや障害のある方々等、避難に困難が伴う方々に対して、一般の方々と同じように「避難勧告だ」と出したのでは対応するのに遅くなってしまうので、もう一段前に避難準備情報を出しましょうということまで議論されました。
国はこの三つの委員会を中心に情報に関する議論を散々行いました。僕はこの三つの委員会の委員としていずれも参加しました。そして、現場を歩いた感覚と照らし合わせながら、何でこんなに積極的な情報開示をするのかとあらためて考えてみました。
そもそも、これだけの情報開示を平時にそして災害時にしなくてはいけないのか、その背景の方が重要だと僕は考えています。背景はどこにあるのでしょうか。従来のように住民の安全を行政が確保する、住民の命を守るのは行政の役割なのだ、という感覚で守り抜くということであるならば、また、それができるのであるならば、情報なんてこんなに精緻に出さなくていいのです。もし、行政が完全に守りきれるならば、そんなにハザードマップなんかを配って住民を不安に陥れる必要も何もありません。
ところが、災害というのは、例えばハード対策を考えても、先ほども言いましたが、多くの場合100年に1回の雨を想定してなどと、想定外力があるわけですから、それを超えて災害はやってきます。相手は自然ですから、必ずそれを超えてやってくる場合があるわけです。そのときに守りきれないわけです。守りきれないからこそ、今ここで情報を開示して、自分の命を自分で守るということを再確認して頂く、そのための情報開示なのだということ、ここの背景が極めて重要だと僕は思います。
新潟水害にあった方々のフリーアンサーを書き出しました。皆さん、先ほどもこれを見て頂いて何の違和感もなく、「そうだろうな」と思って読まれたでしょう。でも、この3点目を見てください。「浸水が進んでも避難勧告がなく、避難できなかった」と言っています。どういうことかというと、「水は来ていたのに、避難勧告がなかったから私は逃げられなかった」と言っているわけです。
僕は新潟豪雨のときの三条市で何人かの人から同じ話を聞きました。特に記憶に残っている一人のおばさんの話を致します。その方は一人暮らしでした。平屋建て、床上1m50cmぐらいまで浸水していました。土壁が、ちょうど1m50cmから下の所が溶けてしまって竹の骨組みだけが出ているという状況です。暑いさなかでした。「大変でしたね」と入っていきましたら、おばちゃんは首からタオルを掛けて汗を拭き拭き「ちょっと見てよ」と家の中を案内されました。
もちろん畳は外に出してあるし、床板もはいで下の泥をかき出しているような状態です。「こんなになっちゃってねえ」ということで涙ながらにいろんな話をされました。「おばちゃん、こんなになって、逃げたんでしょう?」と聞いたら、「私は逃げなきゃいけないと思ってリュックサックに全部大事なものを入れて玄関まで出ていた。そうしたら、堤防が切れたという話を聞いたものだから、避難勧告はいつ来るか、いつ来るかと耳をそば立てて聞いていた。でも、ついぞ避難勧告はなかった。そのうちに水がさあっと入ってきて」と。破堤しているものですから、水位はあっという間に上昇してくるわけです。畳の間から水が噴き出してきた。「おばちゃん、そのとき逃げなかったの?」と聞いたら、「あんた、そこまで水が来ているのに、それでも避難勧告はないんだよ」と仰るのです。「で、逃げなかったの?」「だから、避難勧告なかったんだよ」と、この押し問答になります。「そのあとどうしたの?」「どんどん水位は上がってくるから、台所に行ってテーブルの上に上がった。テーブルの上に上がったら、テーブルのところまで水が来て、どんどん上がってきて胸まで来た。これ以上水位が上がっていたら私は死んでいた」「その間1回も逃げようと思わなかったの?」と言ったら、「あんたね、避難勧告、その状態でないんだもんね」と。
途中で床上浸水になったときに隣の人が「逃げるよ」って来たそうです。そのときに「あんた、まだ避難勧告出てないがね」と言ったというのです。水はそこまで来ているのに、「避難勧告がなかったから私は逃げなかった」と、住民は言っているのです。何でこんな状態になってしまっているのでしょうか。
僕が今お話しした例というのは、1人だけの話ではありません。中之島町でも聞きましたし、新潟豪雨の被災地では何カ所かで聞きました。
僕はその状況を聞いたときに、先ほどご紹介しましたこの三つの委員会、緊急アクションプランだとか、水防法の改正だとか、内閣府の委員会だとか、この委員会で議論しようとしていること、これは本当に正しいのだろうかと考えました。彼らがこれから議論しようとしていることは、「情報がちゃんと出せませんでした。申し訳ございませんでした。これからはちゃんと情報を出すように致します」ということです。
一方、住民の方を見てみると、情報がないから動けなかったと言うのです。つまりそこで見え隠れするのは、住民側に見えているのは、極めて自分の命を行政に委ねられてしまっているという行政依存の状態、もしくは情報依存の問題です。「防災」というものが非常に大きく行政に委ねられてしまっているという状態が出来上がっているのです。
何でこんな状態になってしまったのでしょうか。確かにハード対策は進んできました。昔から思うと堤防ができダムもでき、また、内水処理のポンプもできたりしました。いろんな形で、いわば、時々起こる小さな水害はハード対策の整備のおかげでなくなってきました。でも、結果として何が出来上がったかというと、よく浸かった小さな水害はなくなったのですが、その一方で同時に、住民が災いをやり過ごす知恵もなくしていき、いつしか、「防災は行政がやってくれる」と思うようになってしまったのです。
はっきり言えば皆さんも悪いのです。こういう防災施設を造るときに、「この堤防を作ればもう大丈夫」というようなことを言って、現に造ってきたのです。時には、これを造ればもう大丈夫かのごとく、大丈夫だとははっきり言わなかったのかもしれませんけれども、大体において、こういう事業を進めるためにそんなような説明をしながら進めてきたという過去もあると思うのです。そんな中で築き上げられた行政と住民の関係なのです。
確かに昔から比べれば水害の頻度が低くなってきたということは国民の福祉の向上、県民福祉の向上という面からは非常にプラスなことです。そうではありますが、どうもここで見え隠れするのは「災害過保護」、言葉がきついでしょうか、つまり、災いをみんな取り除いて、災いをやり過ごす知恵をなくしていってしまった住民が今ここに残っているのです。
例えば、子どもの健康を守るということを考えましょう。子どもの健康をちゃんと守ることは大事なことです。そのときにどうしたらいいのでしょうか。方法は二つあります。一つは、子どもの周りのすべてのばい菌を取り除いてやる、危険を取り除いてやる、いわば無菌室に子どもを入れるという状態です。こうしておけば病気になりません。でも、それは本質的なのでしょうか。本当は、世の中には、ばい菌も危険もいっぱいです。落ちたものを食べていいとは言いませんけれども、3秒ルールとでも言いながら、「フッ、フッ」とやって食べてもおなかが痛くならないぐらいの元気な子どもに育てることの方が大事なんじゃないか、こういうふうに考えることもできます。
そのときに、今、日本の防災はどういう方向で進んできたかというと、何だかんだといって無菌室に住民を入れていくような、災いを取り除くような方向で来たという、そういう方向にあるのではないかと危惧するわけです。もちろん、それで完全な安全が作り上げられるならば、それも問題なかろうとは思います。でも、相手は自然です。最初に申し上げましたように、時に大きな振る舞いをするのが自然です。
この滋賀県は水の都で、こんなにも水に恵まれ、水の文化の中で水の恵みを最大限享受し、その中で暮らしてこられました。最大限自然に近づくということは、最大限自然の恵みに近づくことであると同時に、時に自然の大きな振る舞いにも近づいているということです。恵みは享受するけれども災いは知らないというのはあり得ないわけです。
確かに人為的に防災施設を造ったりすることによってわずかな制御はできますが、時に大きな振る舞いをする自然に対して全部制御することはできません。でも、相変わらず恵みは享受するけれども、災いは知らないよというわけにはいきません。災いをやり過ごす知恵も、よく浸かった小さな水害が取り除かれることによって、災いがなくなることによって、その対応力もなくなっていき、そんな中で恵みは相変わらず享受していくけれども、災いをやり過ごす知恵をほとんどなくしてしまっているという状態が今の滋賀県、滋賀県民なのではないかと、そんな気がするわけです。
ひょっとすると行政の皆さんにも先ほどから耳障りなことを言っているかもしれません。今のポジションに就かれてから、もしくは役人になられてからこの方大きな災害もなく、「滋賀県はええとこや」「滋賀県の防災ならやってもええわな」というつもりでおられるならば、それは大きな間違いというか、そこに一番の危険があるのかもしれないと僕は考えます。
いずれにしてもこういう状況の中で、今、防災が行政に委ねられてしまっているこの構造を何とかしなくてはいけないと同時に、皆さんも、これまで住民に対して取ってきた県民の命、地域住民の命を「自分たちが守りきるのだ」という、その高い志は重要なのかもしれませんが、できもしないことを言わないことです。かえって「守りきるのだ」という意識が、守りきれない事態に備えることをやめさせてしまっていることがあるかもしれません。その部分を何とかしないと本質的な防災の進展はないのではないかと僕は考えています。
そんな中で、今日の主題は、「地域防災力を高める」ということですが、ではそもそも地域防災力って何なのでしょうか。もちろん行政の防災力が高いことも大事でしょう。そして、住民が自助の力が強いということも重要でしょう。そして、地域の防災、例えば水防組織がしっかりしているだとか、地域で、みんなで力を合わせて災いをやり過ごす体制が整っている、こんなことも地域防災力の項目でしょう。だけど、非常に獏とした概念になっておりますので、具体的な例を見ながら、地域防災力が高いというのはどういうことなのかということを考えてみたいと思います。
これは新潟豪雨の中之島町です。ここに刈谷田川が流れていまして、このように蛇行しています。こちら(左)が災害前、こちら(右)が災害後です。明らかに見て分かるように、川の色ももちろん茶色になっていますし、市街地の色も水にやられたという所が分かるかと思います。
そして(被災後の写真を)よく見ると、土のうをいっぱい積んだ白い跡があります。ここが破提点です。川は上流から流れてきますので、一番危ない所はどこかというと水衝部、水の当たる部分です。ところが、ここは切れていません。ここが切れずに跳ね返ってこっち側(対岸側)で切れています。そこに中之島町の市街地がありました。
僕はこの新潟豪雨のときにすぐ現地に入って中之島町も随分歩きました。地図を見ながら「あれ、おかしいな」と思ったのです。何で切れたのがここなのだろうか。一番危ないのはこの(対岸の)水衝部ではないかと思って、すぐ橋を渡ってこちらの地域(見附市今町)に行きました。そしてここの区長さん、兼水防団長さん、兼氏子総代、兼檀家組織代表といった、要は地域の長老という人の所へ行って話を聞きました。正直言いまして感動しました。
まず、そのときの話を聞きました。この日の朝、この長老はここの堤防まで来ました。猫興野という地域ですが、水が当たっていつもここが切れるものですから、この地域の人はここが危ない所だとよく知っているのです。
区長さんがここの堤防まで見に来たら、既に地域の人が何人か堤防の上に張り付いて川を見ていたそうです。「おい、こりゃまずいぞ。上流でだいぶ降っているみたいだし、さっきから見ているけど川の水位の上がり方が速い。こりゃまずい」というので、区長さんはすぐにそこにいる人たちに、「集落に戻ってすぐに子どもと年寄りを避難所に逃がしてくれ。全部回ってくれ。残っている若い者、水防団も含めてみんな出てこい、土のう積みをやるぞ」と言って、土のう積みを始めたのです。その土のう積みがこんな感じで行われているわけです。切れた場所が向こう側です。
土のう積みを一生懸命みんなでやっていたのですが、積んでも積んでも水位が上がってきて、ついに土のうの上を越水してくるようになりました。これ以上やっていると危ない、堤防が切れて、上で水防活動をやっている者の命まで危ないから、「もう撤退しよう」と言ったさなか、水位が急にふいっと下がったというのです。見たら向こうが切れていました。
そうしてここは助かったのです。自分たちの地域を守り抜く、自分たちの地域を守り抜けば向こうが危ない、上流が守られれば下流が危ない、これが川のリスクです。
昔から木曽三川の輪中地帯は、川の両岸で中が悪いと言います。水位が上がると、ほおかむりして舟をこぎ出していって、月夜の晩に向こうに鍬を入れて、向こうが切れればこっちが安全だと、昔はそんなことまでやったということです。だから、今でも川の向こうとこっちは仲が悪いという話があります。
対岸との関係は少し横に置いておいて、ともかくここでは、自分たちの地域を自分たちで守り抜きました。自分たちの地域の安全を自分たちが心得ていて、自分たちみんなで守りぬいたという事実、僕はこれが地域防災力なのだろうと思います。
その後、川の両岸の住民にアンケートをやりました。「自分の地域がどの程度水に浸かる危険があると事前に思っていたか」と聞きました。こちら(今町地区)では、家が押し流されるとか、1階の半分以上が浸かるというのが、約半分ぐらいの人がそういう危険を感じ取っています。ところが、こっち(中之島地区)は合わせて30%ぐらいです。この違いのように、そもそも危険度認識が違うわけです。
それから、「川が溢れそうな状況を見に行った人が居るか」という質問です。そういう人が居るというのが、こちら(今町地区)は51%居ますが、こちら(中之島地区)は31%です。川に対する注目度が全然違います。
そして、「水防活動に参加した人」。川のこっち(今町地区)側で10.5%、川のこっち(中之島地区)側は10.9%と、変わりないです。水防の組織率はこの地域ではこれくらいなので、川の両岸で変わりはないのですが、ここ(今町地区)の29.2%という数字を見てください。これは個人として参加したという割合で、こちら(中之島地区)は5.9%です。(今町地区では)地域に残っている若者がみんなこぞって出てきて土のうを積んでいるのです。
結果として、行政に頼ることもなく、自分たちの地域を自分たちで守り抜きました。この滋賀県は、まだこういう水防活動が盛んだと聞いていますが、要は、この地域もそういう知恵が本来ある地域だと思うのです。この力が潜在的にある地域、水に対する文化がある地域だと思うのです。自分たちの地域をこのように守り抜き、地域の安全を自分たちで確保するという状況、これをなくしてはいけないと僕は思うのです。これぞ地域の安全を自分たちみんなの力で守りぬくということだと考えるわけです。
川のことですので、リスクを順番に上から下ろしてくれば下の方にたまっていくということはありますが、でも、それでも自分たちの地域をみんなで守り抜くという意識のある住民たち、そういう中で安全が守られているというこの事実は、非常に重要なことを示唆しているのではないかなと僕は考えます。
そんな中で、滋賀県のデータも見てみますと、伊勢湾台風当時は水防団、消防団の団員数が非常に多かったわけですが、それからはずっと減ってきて、昭和45年段階からほぼ横ばい状態で維持しています。そういう面では、今減りぎみではありますが、滋賀県は水防活動が盛んなのかなというふうにも見受けられます。
ただ、ご他聞に漏れず高齢化というのがあるようで、まず50歳以上の消防団員が昭和55年当時は4%だったのが、17年には10%に増え、40歳代が13%だったものが19%というようにと、少し高齢化が進んでいます。10代、20代の若者が昔は23%居たのが、今14%となっています。これは人口構成そのものも高齢化していますので、一概に水防団や消防団だけが特別高齢化しているわけではないかもしれませんが、いずれにしても、全国的な状況としては、水防・消防といった、地域の、地先の、自分たちの安全を守る活動は、全体的に低下傾向をたどっていると言えると思います。
そして少し気になるのは、サラリーマン団員が74%、4分の3を占めているという状況で、昼間何かあると居ないという状況があるものですから、これは地元の企業の方々にも協力を仰いで、いざというときには水防、消防活動をしっかりできるような体制を整えて頂くことも必要なのかなと思います。
そんな中で、今、確かに住民側の過保護という問題を「災害過保護」だとか言って、住民側の問題を多く指摘したわけですが、僕はそれもそうだけれども、行政の方々の意識にも一つ大きな問題があるのではないかなと考えています。今、日本の防災の根源の一番大きな問題はどこにあるかというと、災害を巡る行政と住民の関係、ここに問題があると考えています。
この模式図は、日本の防災はどういう構造になっているのかを描いたものです。日本では自然災害に対峙しているのは行政です。堤防を造り、ダムを造り、住民をお守りします。そして、「逃げなければいけないときには逃げろと教えてあげるから逃げてね」といった情報の問題です。ハード・ソフトとも行政主体に進んできました。その庇護の下に住民が居ます。確かに防災施設ができることによって、すぐに浸かる小さな水害はなくなってきました。確かに「地域の安全は高まった」と住民は思い、確かに昔から思うと災害の頻度も低くなってよくなったのは確かなのです。また、逃げなければいけないときにはハザードマップもくれる、避難勧告も出してくれる、非常にいい世の中だと住民は思うようになってきています。
ところが、自然ですから時に大きな災害、この防御のレベルをはるかに超えたものが来ると、この防御を超えて住民の所まで届いてしまいます。そうすると住民は「何だ、守ってくれるんじゃなかったのか」、「逃げなきゃいけないときには情報をくれるんじゃなかったのか。裏切られた」「何だ、行政の対応は十分だったのか」というような責任追及がなされます。皆さんが批判されて悪者になって、それで一つの災害が終わる。こういうことを繰り返しているわけです。
このときに行政が批判されるのは、対応がうまく行かなかった場合は仕方のないことです。だけど、非常に大きな問題はどこにあるかというと、住民もこういう構造の下だから、行政の対応が悪かったというところだけで結論づけてしまって、自分たちの対応力のなさに気づかずに、単に一元的に皆さんの対応が悪かったということで終わってしまうことです。相変わらず住民の方の防災力が高まらないという状態、行政の防災力を高めることだけを求めて住民の防災力が高まらないという状況の下で、災害の経験がうまく彼らの経験につながっていかないという構造、これが今あるように思うのです。
今そんな中で、さすがに行政の皆さんも、守りきれない、情報も出しきれないことに気づいてこられて、言いにくいのだけれどもやっと言うようになってきたのは、「自助・共助・公助」という言葉です。少し前なら皆さんも言えなかったでしょう。自助、自分で守ってくださいということです。何となく「自助・共助・公助」と三点セットにすることによって言葉を緩めておられるところもあるかもしれませんが、要は、行政は行政でやることがあり、住民は住民でやることがあって、「皆さんは皆さんでやることをやってね、我々は我々でやることがあるから」と、そういう枠の中で「自助・共助・公助」という言葉が使われるようになってきました。
「公助」とは何でしょうか。行政がやるべきこととして、想定外力の範囲で、社会的なコンセンサスを得られる範囲の中で防災施設を整えていくことは重要でしょう。僕は、防災施設はやはり必要だと思います。必要な所に必要だと思います。それをやっていくことは明らかに災害の頻度を減らしますから重要なことです。これは行政がやるべきことです。そして、想定外力があるということは、それを超えるものがあるということですから、「想定外力を超えるものに対してちゃんと備えてください」と言うことです。従来は「防災」という言葉を使ってきました。
今でも使っていますが、日本人は結構まじめですから、「防災」と書くと災いを防ぐと書きますから、防ぎきることを考えます。防ぎきれないことはあってはいけないとなります。そんな「防災」という言葉が先行していく中で、防ぎきれないことを考えません。それを超えるような状況、つまり、災害が起こるような状況があるならば、それが起こらないように何とかしろという方向にばかり行って、それを超えて防ぎきれない事態に備えることに対しては、非常に文化がないという、そんな状況があろうかと思います。
そんな中で、例えばハザードマップもそうなのです。ハザードマップを住民にお示しすると、「何だ、こういうことになるのが分かっているんだったら対応しろよ」と、皆さんも言われてしまうわけです。「分かっているわけだろ?分かっていて放っておくのか」と言われるものだから、ハザードマップも出しづらいという、そういう状況で来たわけです。
それはともかくとして、公助というのは、防災の想定外力の範囲で備えるということ、そして、備えられないものに対しては危機管理という形でやることです。
それから一番重要なことは何かというと、我々でも対応できないことがあるということを、ちゃんと住民に言うことです。あたかも今まで防災は全部行政がやるみたいな雰囲気の中で来ておりますけれども、そうではない、限界があるのだということもちゃんと言わないといけないと思います。これは行政がやるべきことです。
そして、堤防を造ろうが何をしようが、そんなものはしょせん一つの外力を想定して、その範囲のものでしかありません。それを超えるものがあって、それが来たときには自分の命は自分で守るのがやはり鉄則なのだということをもう一遍住民に再確認して頂くこと、これはすごく重要なことです。これが自助と公助なのだろうと思います。
自分でやれ、自分でやれといっても、中にはお年寄り、要援護者等々、自分で備えられない人もいる。これはやはり社会で、自助と公助の間に挟んで何とかするというコンセプトが必要になってくる。この部分が共助というわけです。
こういうわけで自助・共助・公助という枠が最近言われるようになってきたのです。今こういうふうに解説をしておきながら、実は、僕はこれにも違和感があります。なぜかと言うと、「公助って誰がやるんですか」と聞くと、「行政」となります。そうでしょうか。パブリックなことは全部行政がやればいいんでしょうか。違うのではないかなと思うわけです。
例えば、滋賀県ではあまり関係ないかもしれませんが、雪深い地域を考えてみます。雪下ろしをしなければいけません。自分のうちの雪を下ろすのは、自助です。隣の一人暮らしのばあちゃんの家の雪を下ろしてやるのは共助です。では、下ろした雪はどうするかというと、役所に電話をして「おい、片付けろ」と、皆さんのところに電話がかかってくるようなのが今の状況ですけれども、地域で降った雪を道路に捨てて、道路の雪を掃くぐらいのことはやはり地域でやってもらわなければいけません。それは住民がやる公助です。住民がやるパブリックな側面、水防団なんかもそうです。これも公助です。
もし行政がやることを公助と言うならば、今こんな言葉は使わないでしょうけれども、取りあえず「官助」と言っておきましょう。官助があるならば、それに対して民助があるはずです。住民の側でやってもらいたいことです。自分の命を自分で守るというのは、多分自助の概念の中で当然重要なことでしょう。隣のばあちゃんのこともちょっと気に掛けてやろうよ、自分のことばかりではなくて、ちょっと地域のみんなの安全というもの、例えば水防活動だとか、みんなでこの地域の安全を守ろうよという、そのパブリックな心がある人たち、そういう人たちが全部この民助の中に必要だと僕は思うのです。こういう心を持った人たちが多い社会、民助力のうんと高い社会、これが恐らく僕は地域社会の中の地域防災力が高いという状態なのではないかと思うのです。
今、もちろん公助、この部分も大事でしょう。従来で言うところの公助、ここで言うところの官助、これも重要です。でも、これは皆さんが公共事業を財政逼迫の折いろいろ頑張りながらやっておられます。その皆さんのご努力も十分に分かります。そして、できない部分については情報を出すというようなことも含めて、ハード・ソフト絡めていろいろ頑張っておられます。でも、そこの部分だけで空回りしてはいないでしょうか。
先ほども言いましたけれども、情報も住民の側は、ただ口を開けて待っているだけの状態です。そういう状態ではなくて、自分たちの安全、もちろん役所もやることをやってくれ、俺たちもやることはやるんだと、そんな中で地域全体として横並びで地域の安全を高めていくことが必要です。
そもそも先ほどの自助・共助・公助も、何が前に来るわけではないのです。従来は公助が前に来ているのですが、それは違います。役所がやるべきことは役所がやる、住民がやるべきことは住民が一生懸命にやる、これが横並びなって、それぞれの役割分担をしっかりできるようになって、これで一つの地域社会です。災害に対峙しているのは行政ではなくて、災害に対峙しているのは地域社会なのです。そこの中に行政があり住民がありという、こういう感覚をもう一遍住民の方々にしっかり分かって頂くことが必要です。役所もやることはやるけれど、住民の側でもやることをやってねと、特にこのパブリックな部分、民助側の公助の部分を地域、地域で頑張って頂くという方向に皆さんも地域を誘導していかないと、地域全体の安全は担保できない状況にあるのだろうと僕は考えています。
そんな中で、土砂災害も豪雨災害の中の一つの形態ですので、洪水で言えばハザードマップ、土砂災害で言えば土砂災害警戒区域図が今配られるようになって、住民にリスク情報が積極的に開示されるようになっています。この土砂災害警戒区域図を住民に配りながら地域の安全をどう高めていったのかという一つの取り組みの事例をご紹介します。
洪水ハザードマップでも、土砂災害警戒区域図でも、そこに描かれていることは、あなたの家が水に浸かってしまいますよとか、土砂にやられて潰れてしまいますよと、真っ赤に塗って住民に配るわけです。こういう情報を出すことに今まで随分躊躇がありました。なぜならば、従来の行政と住民の関係は、「こんなふうになるのが分かっているのだったら、やれよ」という一方的な要求で終わる関係構造だったので出し辛かったのです。
でも、今こういうご時世の中で守りきれません。それでもやはり守るのは皆さんの責任でもあるわけですし、情報を知り得ているのだったら、それを開示する責任は皆さんにもあるわけですから、そんな中でこういう土砂災害警戒区域図なんかも配られるようになってきているわけです。
土砂災害について、皆さんは大変難しい災害だということはご存じかと思います。土砂災害(の予測)は全然当たらないのです。先行雨量がたくさんあればわずかな雨でも崩れてしまいますし、案外カラカラ天気が続いたあとではすごく降ったのに「何だ、崩れんかったなあ」ということもありますし、なかなか当たらないのです。
そんな中で土砂災害が最近厳しい状況になってきていることも言われるところなのですが、そもそもこの手の情報は、住民の見方と行政の皆さんの見方が全然違うということをここからしばらくお話ししようと思います。
まず土砂災害です。この滋賀県でも縁辺部はずっと山あいの地域があって危険な所が多くあるかと思いますし、土砂災害というのは全国で頻発しているとお考えでしょう。全国に危険個所は52万カ所あります。いいですか、52万カ所です。私の住んでいる群馬県でも7600カ所あります。膨大な数があるわけです。これを全部対策するなんて到底できません。
そんな中で土砂災害は頻発しています。平成18年には46都道府県で起こりました。1441件です。全国津々浦々です。本当にどこもかしこも起こっています。
そこで行政の皆さんは、「土砂災害は頻発している、これは緊急の課題だ」と考えるわけです。ところが住民はどう考えているかというと、被災履歴がないことが一般的です。交通事故で全国で7000人死んでいると聞いても、自分は当事者にならないと思っているように、全国のあちこちでいっぱい土砂災害が起こっていると聞きいても、「今まで一回もないからね」と、当事者感が全然ないのです。これが土砂災害の、まずそもそもの情報の出す側、出される側の感覚の違いです。
そんな中で最近土砂災害に関する情報は、天気予報を見ていると、過去一番危ない状況ですというようなことを言っています。「いつどこで土砂災害が起こってもおかしくない」という言い方をしています。(情報を)出す側は、「いつどこで起こってもおかしくないぐらい危ないのだ」と言いたいのですが、よく考えてみると、いつどこで起こってもおかしくない、つまり位置も時間もよく分からない状況を伝えているわけです。
どこからいつ何が来るか分からないぐらい危ないと言われて、それに対応しろと言っても、それは無理です。位置、時間が特定されていない災害に対する避難を要求されるものですから、当然、当事者感もなければ切迫感もないのです。いつ何時危ないかということが全然分からないような情報です。出している側は、すごく今までよりも緊迫感を持って伝えているつもりなのですが、住民は全然そうは思わない、こういうことになっているわけです。こんな中で、今、土砂災害の対応をやっていかなければいけないのです。
これは群馬県のみなかみ町粟沢地区という所で、わずか34戸、人口100人ぐらいの集落です。そこにこのような土砂災害警戒区域図を持って行きました。
実は、これは群馬県の砂防課の方が私のところに来られまして、「安全な個所がほとんどない。ほとんどの住居が黄色か赤のゾーンになってしまう。こんな図を持っていって説明をようせん。ちょっとやってみてくれんか」と依頼されました。そういう要請を受けまして、この地図を持って現地に行きました。
34戸の集落ほとんどが特別警戒区域(赤のゾーン)、または警戒区域に入っているという状況の中で、この地区は平成10年、14年と2回も土砂災害に遭っていまして、非常に住民の意識も高いところです。危険な場所だという認識を非常に持っている、そんな中で、あの地図を持っていったわけです。何が起こったかというのは、火を見るより明らかです。
大体夕方の7時ぐらいから(集会を)やりますので、皆さん、じいちゃん、ばあちゃんが晩酌を一杯引っ掛けてから来るわけです。そこにあの赤い地図を配りますと「ほう」と言いながらのぞきこみます。これは配って説明し始めるところですけれども、何が起こるかというと、まず開口一番、「何やこれは。役場はこれをどう考えとるんや」と、ここから始まるのです。
そうでしょう。こんな状況を住民が納得できるわけがないのです。こう分かっているのだったら、当然役場は何かやるものだという感覚しかないわけです。皆さんも各地域の住民のことを思い出して頂くと、大抵こんなような状況は想定されると思います。「おい、役場はどう考えてるんだ」となるわけです。
僕もこのコーディネーターみたいなかたちで行っているわけなのですが、僕もすかさず役場の職員に向かって、「そうですね。で、役場の対策はどうなっているんですか」と追い討ちをかけるわけです。役場の課長さんはずるいんですね、(ここには)出てきません。若い職員が出てきていまして、説明させられているわけです。若い兄ちゃんは、「いやあ」と言って玉のような汗をかきながら頭をかいているわけです。僕まで「役場の対応はどうなっているんですか」なんて言うものですから、僕にも裏切られたという感覚ですね。「いや、そうは言われても」といった感覚の中で「いやあ」と言っている。その散々困ったところを住民によく見せて、そこから、「何で役場のこの若い兄ちゃんは、今こんなに口ごもって困りきっているのか分かりますか?」というところから話に入ります。
まず、群馬県内7600カ所危険個所があるということ、この一つの斜面を張っても何億円とかかるということ、この下の家の数を数えると6軒か7軒しかないのですが、何億円もかけて6軒、7軒しか守れないということ、さらにそのお金を下の集落に持っていったら50軒守れるのだから、当然そちらの方が先でしょうと、話します。みなかみ町の役場だって財政逼迫、赤字の病院の経営もしなければいけない、福祉関係の老人ホームもやっていかなければいけない、学校教育もある、防災だけやっているわけではありません。こんなにいっぱいあって、すぐにやってほしいという皆さんの意識は分かるけれども、でもこれを役場ができますかと、続けます。ここだけではなく、この町だけ数えても数百カ所あるわけです。250カ所ぐらいあったと思いますが、全部なんかできっこないでしょうと。
役場の職員が困っているのは、皆さんにこれを見せたら、やってくれるのが当然だと思われるのだろうけれども、それができないという現実の狭間の中で、この役場の若い兄ちゃんは玉のような汗をかいているんだ、分かっているんだと、やらなければいけないことは百も承知でも、できないんだということを説明するわけです。僕は、まずハードの限界、「全部やったからといって、これで100%の安全が確保できたかというと、そうでもない」ということも言いました。
つまり、ハード対策の限界をそこでしっかりまずお話ししなければいけないです。その現実の中にあなた方は住んでいるのだという事実をしっかり住民に包み隠さず言うこと、それが全部できないのだということもしっかり言うことが重要です。それでもあなた方はここに生きているのだという事実の中で、どうあなた方はここの現実に向かい合うべきなのかを一緒に考えようという姿勢を、まずこの地図によって示すことなのです。
まずこれでハードの限界、納得したかどうかは分かりませんけれども、とにかく「まあしゃあないわな」という状況まで住民は行きます。今度は、そこからです。
僕は最初の自己紹介では、「僕は土砂災害の専門でも何でもございません」と言います。さっきも僕はここで最初に「僕は河川の専門家じゃありません。逃げる専門家です」と申し上げました。(そこで住民は、)「だから先生は避難の話をしに来たんだな。ということは、当然、情報はくれるんやろな。逃げなきゃいかんときは、わしらも逃げる。この現実を突きつけられた以上わしらは逃げるから、情報はくれるんやろな」となります。僕もすかさずまた役場の若い兄ちゃんに向かって、「当然逃げなきゃいけないときぐらいは、ちゃんと情報を出しますよね」と続けると、また役場の兄ちゃんが「いやあ」と言いながら、「できる限りの情報は県とも協力してやりますが、完全な情報提供となりますと・・・」と言うわけです。「何や、それは」と、もう住民は怒り心頭です。
ハードは駄目なので逃げろ、と言っておいて、では情報はくれるかと言ったら、情報もまともに出せないとなると、「ええかげんにしろ。一体わしらはどうすりゃいいんだ」となるわけです。
僕もすかさずもう一遍、やりづらいのですが、土砂災害というのがいかに情報として外れるのか、平成18年の砂防部の結果では災害発生前に避難勧告を発令した市町村は3%にすぎなかったことなどを説明します。土砂災害については、警戒情報を事前に出すことは本当に難しいのです。出さずに土砂は崩れるし、出したところで崩れないという状況の中で当てになりません。それぐらい現象として難しいのです。これは科学技術の限度でもあり、情報の限度であると言うわけです。
例えば気象庁でも、ある程度面で予測してこの辺が危ないということは言えますが、この沢のこの崖がいつ何時危ないかなどということまでの解像度を持って情報は出せません。というようなことまで言って、情報の限界をしっかりお話しするわけです。
こちらがいくらしっかり話そうが何をしようが住民は、「ハードも駄目、ソフトも駄目、一体わしらはどうすればいいんだ」という状態になります。でも、ここまでは現実なのです。
僕はそこで、ここからはちょっと勇気が要るのですけれども、「あなた方、どうしても100%安全が欲しいんですか」と言うと、「欲しい」と答えられます。そこで、「答えは一つしかない。出て行くんだ」と話します。ここまで言うには本当に度胸が要ります。「出て行けとは何や」と来る場合もありますし、そんなことを言われると思っていないものだからあっけに取られるという状況、そちらの方が多いです。そういう状態になったとき、ここからが勝負です。
「僕は、あなた方に出て行けと今言ったけれども、事実として災害の危険度はこういう状態にある。そして情報もまともに出せない。だけど100%の安全がどうしても欲しいというのであれば、それはここを出て行くという選択肢しかない」という意味なのだと話します。「それでも、あなた方はここが好きでしょう?」「僕から見れば単なる山の中だけれども、あなた方にすれば川が流れ、山菜も取れる山がすぐ裏にあり、こんないい所でしょう?」「ここに住み続けたいんでしょう?そうであるなら、ここで最大限の努力をして住んでいくよりしょうがないじゃないですか。」「ここの安全は100%じゃありません。でも、あなた方はここに住みたい、この問題をどういうふうに解決するのか、これを今皆さんと議論しなければいけない。」と話すわけです。
さらに続けて、「この地図を持ってきたときに、皆さんが『おい、役場、何とかせい』と言うことは分かっていた。でも、われわれは危険だということが分かっている以上、この事実を皆さんにお伝えしなければ行けないと思って持ってきた。そう言われることは分かっていた。でも、この事実を伝え、その中で皆さんにちょっとでも安全にこの地域で住むための手立てを一緒に考えるために、この地図を持ってきたのだ」と話します。そこでやっとスタート台に立ちます。そこからなのです。
僕はこういう集落に入るときに最初に現地を回ります。お墓に行くのです。一番古い墓石を見付けて、読めない場合が多いですが、何とか読み取ったら600年前の墓石を見付けました。僕はこの地域の人たちに言ったのです。「この地域の100%の安全はあり得ない。だけど、勇気づけられる話も一つある。それはこの地域は少なくとも600年前から続いている。墓石に600年前のやつがあった。ハードもない、ソフトもない、何にもない。自分たちの力だけで守らなければいけない状態の中で、この地域は脈々と600年続いている。何で600年も続いてきたか。それは災いをやり過ごす知恵を最大限に生かして、何に頼ることもできない状況の中で自分たちで災いを何とかやり過ごして600年この集落を続けてきたのではないか」と。
そこから僕は、話をもう一遍ぶり返しました。「今この地域が危ないのは、土砂災害に対してではない。土砂災害に対して危ない所はこの群馬県内にごまんとある。全部危ないと言っても構わない。この地域が何に対して危ないのかというと、僕がこの地図を見せたときにあなた方は何と言いましたか?『おい役場、どうする。真っ赤っかやないか。張るのは当たり前や。対策するのは当たり前や』。それができないと分かったら、『じゃあ、逃げなきゃいけないときには逃げろと教えてくれるんやろうな』と。何から何まで行政に委ねてしまっている状況、それが一番危ない。それでもあなた方はいい」。ちょっと言葉はきついのですけれども、お年寄りが来ているものですから、「あと30年、この地域の安全が何とかなりゃ、じいちゃん、ばあちゃんもみんな畳の上で死ねるやろうけど、でも、その姿勢でじいちゃん、ばあちゃんが暮らしていて、そこの下で孫が育っている。何かがあるとすぐ役場に電話して、『おい、役場』と。ひどいときには『屋根にアオダイショウがいるから何とかせい』と、そんな電話まで役場にかける。そんな状況の中で、それを見て育っているその孫たちまでが畳の上で死ねるとは思えない。自分たちの安全を守るという文化をあなた方が崩して、その姿を孫たちに見せている。それが間違っているんじゃないのですか。その状態がこの地域の一番の危険ではないのですか」、そういう投げ掛けを致しました。
さすがに、孫の話は反則技ですが、そんな中で住民たちは“災いをやり過ごす知恵"というキーワードに反応しました。
「そういえば、うちのばあさんが言っとったんやけど、あそこの沢から水が出て来たときには危ないと言っとった。」「あそこの池の水が急に枯れていったときには何かある。危ない。そんな話も聞いた」、そのような話がでてきます。「それが、災いをやり過ごす知恵じゃないですか。それをみんなできるだけ出してください。」と言って書き取ったら、出てくるわ、出てくるわ。
実は本当は(災いをやり過ごす知恵が)もっとありました。これを持って現地をみんなで歩いて回って確認を取りながら、これは確かだというものだけを残したものがこれです。これが、この地域の災いをやり過ごす知恵の集大成です。この知恵を使ってこの地域は少なくとも600年の間は災いをやり過ごしてきました。なのに、今この知恵はほとんどなくなろうとしているし、こういう知恵を伝承することもなくなってしまっています。この知恵を生かしてこの地域の安全を守っていこうよというのが僕の提案であったわけですし、住民もそれに気づいてくれました。
その中で限度はあるけれども、「でも、やっぱり役場は情報くれよな」と、「当たらんかもしれん。でも、それは重要な情報だ。昔にはない近代的な情報だ。それも使いたい」というように、住民の情報を受け取る姿勢が根本的に変わってきました。情報を最大限生かし、自分たちでその情報を取りに行く、そしてそれを生かすという意識がどんどん芽生えてきて、彼らはここから相談を始めて、自分たちでこれをチェックリストにしました。
「わしが住んどるのはここやから、わしが気づけるのはこれか、これか、これぐらいしかない。でも、これは任しとけ」と。みんなが分担をして地域のセンサーになって、それを見付けたら、情報を区長に一元化しよういうことになりました。その地図に基づいてそれを見付けたら、区長さんに連絡する。区長さんはそれが何項目か集まったら、区長発の自主避難勧告を出す。
孫がいっぱい居るときにやりたいという地域の要望で、今年の夏休みに自分たちで自主避難訓練をやります。模擬的に何番目の項目を発見しましたと区長さんのところに電話を入れ、区長さんは何項目か集まると避難勧告を出して、役割分担を決めていて、ばあちゃんをおんぶして、リヤカーに乗せてなんていうような避難訓練を、この地域みんなでやるようになってくれました。
今この地域でもハザードマップを作ることがどんどん進められようとしています。単なる情報の開示ということではなくて、これを使って地域の防災力を高めることに、このように使い方によっては持っていけるのです。
ただ、皆さんはおっしゃると思います、「おまえは大学の先生という立場やからできるやろう。役所はそんなもんじゃない」と。そうなんです、それはよく分かります。僕はそれはどうやっているかというと、JCを使っています、青年会議所です。大体JCの若い人たちというのは地域のリーダーにならんとする人たちですし、もともと彼らは地域に対する貢献をしようという意識の高い人たちですから、こういう話をJCの方々にどんどんしています。我々の取り組みの現場にJCの方々にどんどん来てもらって、こうやって地域の安全を高めていこうとしています。
こういう議論の中で、「あそこのばあちゃんどうする。俺らは昼間みんな勤めに出とって、若い者はおらへんやないか」なんていう議論もどんどん出てくるようになります。そんな中で、「でも、あそこの作業場に町の方から人がいっぱい来ているから、あの人たちに頼んでおこう」という話も出てきます。そのうちに「このばあちゃんは誰が対応する」、「このばあちゃんは誰が対応する」などという話もどんどん出てきて、本当にこの地域の防災力は高まったと僕は思います。
こういう動きをJCの方々に話していく中で、これは防災だけの話ではないとなってきます。地域のことをみんなで考え、先ほど言いましたけれども、パブリックな心を持った住民を地域の共通の敵であるハザード、災害に対してみんなで備えるという、その固まり意識、それは単に防災を進めるということだけではなくて、まちづくりだとかコミュニティーの育成だとか、そんなことを含めてみんなの連帯意識も出てきます。こういう取り組みというのは、防災を起点にして、この地域で非常にうまく回り始めたなと僕は思っておりますし、いい方向に導けたなと思います。
今ご紹介したこの粟沢というのは、群馬県で2カ所目です。1カ所目は既に僕の手を離れて自立して、自分たちで毎年夏になると防災訓練をやり、みんな防災頭巾を作ったりいろんなことをやっています。子どもたちは子どもたちでケチャップの缶をみんな持っていて、雨が降り始めると自分たちで庭先に出して、それが何cmになったら区長さんに連絡するというのです。それをやるとき子どもたちは「子ども気象通信員」だったか、何か区長さんからもらったものを胸に付けまして、子どもたちは子どもたちで機能を果たすということをやっています。
こういう動きは少しずつ今群馬県内で広がりつつ始めています。大変難しい取り組みですし地道な取り組みですが、地域防災力が高まるということはこういうことではないかなと僕自身は考えています。
今年の1月でしたか、この地域は3mぐらい雪が積もる所で、冬場はこういう活動はあまり行けませんでしたが、正月休みのうちに、粟沢の区長さんたちがみんなそろって何度か議論をして、自分たちで避難マニュアルを作ってきてくれました。この中には仕組みがずっと書き込まれていまして、地域の防災を自分たちでやることが明確にうたいこまれ、みんなの総意で作ってくれました。そういう状況になっています。
今、1枚の地図、土砂災害警戒区域図、いわば土砂版のハザードマップですが、そういうったものを配るという機会を通じて、地域の防災力を高めるという一つの事例を紹介しました。今ハザードマップは全国各地で作成が進んでいて、この滋賀県でも作成が進んでいると聞いております。ハザードマップというのは使いようによっては今のように非常に有効なツールになります。単に国交省が作れと言ったから作る、県が作れと言ってうるさいから作る、今年のうちだったら補助金が付くからどうのこうのとか、そんな話ではないのです。
このハザードマップを配るときというのは、今皆さんに大きく委ねられてしまった防災を、住民の側にしっかり返すべきところは返し、住民としっかり手を組んで地域の防災を高めることに最も効果的なものの絶好のタイミングなのです。
そんなこともあって、もう時間も迫っておりますが、最後にハザードマップの話をさせて頂こうと思います。
これは彦根の愛知川のハザードマップです。こういうハザードマップが滋賀県内でどんどん作られようとしているわけです。これを見てみますと、作成済みの所と平成19年作成の所を含めて結構な数が作られています。このままどんどん作成が進んでいくのだろうと思います。ここでハザードマップ作成の経緯を見ておきます。
実は割と歴史は新しいのです。平成6年6月に当時の建設省の治水課長の通達で作成が始まったのですが、当時は遅々として全然進まなかった。なぜかというと、先ほどの土砂災害警戒区域図と一緒です。「危ないと分かっているんだったら、やれよ」という住民の反応を恐れたのです。要は、初めから日本の防災は行政と住民の関係が「分かっているんだったらやれよ」という言葉に象徴されるような関係になってしまっていて、住民側の防災が非常にないがしろにされてきた。本当に防災を住民の側に返してやらなければいけない部分ができていなかったものですから、「こんな情報だけ出して」みたいな話の中でなかなか勇気を持って出すことができなかった。
平成6年にスタートしたのですが、平成9年の段階ではまだ36しかできていない。平成10年8月に豪雨災害が東北地方、阿武隈川でありまして、そのときに日本で初めて洪水ハザードマップの実践的な使用がされたのです。洪水ハザードマップに効果があるということが確認されました。(洪水ハザードマップを見た人は)1時間早く逃げる、10%多く逃げるという数字が実証されたのです。
そういうことに基づいて作成が進められて、平成11年9月の段階で57でした。そのあと東海豪雨があって、そのときにも岐阜県の多治見のハザードマップが有効だったという話もあって、その年の河川審議会で、何とこれは驚いたのですけれども、「これからは、川は溢れることを前提にしましょう」という答申だったのです。そんなの当たり前じゃないか、時に川が溢れるのは当たり前だ、というのが僕の感覚ですけれども、河川行政からすると、川は溢れてはいけないもの、溢れるなどというのは考えてはいけないことという常識の中にあったということなのです。
これが溢れることを前提にするということが河川審議会の答申で出されまして、それに基づいたのかどうか分かりませんが、とにかく水防法の改正でハザードマップを積極的に作っていきましょうとなりました。特に県管理の河川なんかも浸水想定区域の公表対象になったというのが、この13年の改正です。
そのあと平成14年12月段階で、まだそれでも209しか行っていません。そのあと平成16年に災害が多発しました。水防法の再改正の中で作成が自治体2300に義務化されました。今、市町村合併で1500になりましたけれども、ほとんどの自治体に作成が義務づけられるということになってきました。
全体で1500ですが、今のところ550ぐらいで、まだ進みが遅いようですが、いずれにしてもこの作成が進んでいくということです。
先ほど、ハザードマップの効果の話をしました。これは、皆さんもこれから作らなければいけない所、もしくは作られた所の方々が多いと思いますのでちょっと聞いておいて欲しいのです。ハザードマップ、これは確かに効果がありました。
これは阿武隈川がずっと流れているのですが、上流でやはり1週間の間に1300mmぐらいの雨が降って阿武隈川の水位が上昇しました。郡山では、阿武隈川の水位が上昇し、破堤はしなかったのですけれども、内水によって相当な被害が出ました。これは8月ですけれども、この年の1月に洪水ハザードマップが事前に配られていました。初めて、ハザードマップを見た人、見なかった人でどういう行動の違いがあったのかということが実証されたのです。
まずこのときの水害なのですが、水位が二山あります。このピンクのところが避難勧告です。(一旦水位が)下がったものですから解除されて、また上がって避難勧告、避難指示と出ております。
これは避難勧告が発令されたときにハザードマップを見た人と見なかった人で行動にどんな違いがあったのかを調べたものです。
黒い実線の方がハザードマップを見た人です。避難勧告が発令されると避難率が高くなって、解除されるとちょっと低くなって、また発令されると高くなっています。立ち上がりの段階で避難率に10%の違いが出てきます。非常に早い段階で避難率が10%違うということです。
洪水による避難指示は朝9時半に出されました。この避難指示に対する避難の開始時刻を見たのがこれです。ハザードマップを見た人がこの黒い棒、見なかった人が白い棒です。ハザードマップを見た人は発令された時間帯にピークが来ています。つまり、発令と同時にみんな行動を取っているということです。
見なかった人は1時間遅れにピークが来ます。平均して55分の違いがありました。
つまり、この段階でわかったハザードマップの効果というのは、1時間早く、10%多くということです。これは非常にシンプルな数字ですし分かりやすいものですから、時の河川局長にだいぶ気に入られまして、この数字が随分使われました。
実はこの調査は私がやったのです。やった本人が言うのも何ですが、この調査結果はちょっとうそです。どういうことかといいますと、今、僕は便宜上ハザードマップを見た人は10%多く1時間早く逃げたと言いました。事実はそうなのですが、そうすると、あたかもハザードマップを配ると(避難開始が)1時間早くなって10%多く逃げるようになるみたいでしょう?でもこれはうそです。卵が先かニワトリが先かの話ですが、ハザードマップを見るような人は早く逃げ、10%多く逃げるのです。
つまり、ハザードマップを有効活用するような人はちゃんと逃げるということであって、問題はハザードマップを見てくれるかどうかということ、それを活用できるような住民であるかどうかということの方がより重要なのです。何かハザードマップを配ったら、自動的に1時間早く10%多く逃げる、だからハザードマップを配ればいいと、そういう話ではないのです。
だけど、僕は基本的にハザードマップを作ることは重要だと思っていますから、10%多く、効果です、効果ですと言っていますけれども、これはちょっとうそです。それをあえて告白しておきます。
そんな中でハザードマップは効果があったという話をしましたが、ここからが重要です。皆さんはハザードマップを今作っておられる、もしくは配ったばかりという状況ですけれども、ハザードマップというのは実は危険です。配るだけなら、配らない方がいい。ちょっと過激な物言いですけれども、僕はそう思います。僕がいろんな調査をやってきて、人間というのは災害情報をこんなにもいいかげんにとらえるのか、まともに受け取ることができないのかということを本当に痛感しています。
まずハザードマップは、皆さん出す側からすると、いわば球を投げているような状態です。地域のリスク情報を住民にお伝えするためにいかに分かりやすく、いろんな議論をしながらハザードマップを作り、そして災害時には分かりやすい情報、文言の問題、いろいろ考えながら情報を出しておられます。
ところが、一向に住民は避難勧告が出ても逃げない、対応しない。ハザードマップも、ある自治体でなけなしのお金をはたいて何とか印刷費を工面して業者に頭を下げて安くやってもらって、せっかく作ったハザードマップを金曜日に配って、土曜日の各地区の集会で各家庭に配ってもらった。月曜日が資源ごみの日で、古新聞の一番上にハザードマップがいっぱい出ていた。役所の人が「朝出勤しながらそれを見て涙が出た」と言っていましが、我々が委員会などに出ていかに分かりやすくだとか、これを使って何とか地域の防災力を高めるんだなんて一生懸命議論しておいて、当の住民に配ってみると「何だ、この地図は。どうせ地図を配ってくれるならこんな色なんか塗らんと、普通の地図の方がええのに」ぐらいのことを言うのです。このように、我々の思っているリスク情報というのが確実に住民に届いていません。住民に情報の取得態度がないという状況です。
少し話はそれますが、先ほど、いろんな委員会で災害情報、洪水にかかわるような情報を分かりやすい言葉という議論がされているという話をしました。最近、河川の用語ってコロコロ変わっています。今、どの言葉が最終的な言葉なのかよく分からないぐらい、危険水位という言葉になってみたり、計画高水位という言葉がなくなったとか、特別警戒水位だとかいろんな言葉が出てきて混乱していますけれども、要は、分かりやすい言葉、分かりやすい言葉、ということで一生懸命工夫しています。これは言ってみれば、球を投げるけれども住民は取ってくれないから、一生懸命取りやすい球を投げようとしているわけです。
でも駄目です。そんなことをしても全然本質的ではありません。なぜならば、住民が、その情報が自分の命を守る大事な情報だと思っていないからです。自分の命を自分で守るという主体的な態度がないからです。この情報は自分の命を守る重要な情報だという認識がない中で、言葉だけいろいろ書いたって駄目です。
そもそも災害の情報なんて面白い情報ではありません。欲しい情報ではないのです。あとになれば「欲しかった」と言うのですが、その日そのときに住民が欲しかった情報かというと、実は楽しい情報でも何でもなくて欲しいわけではないのです。やられたあとになると「何だ、あのときに情報をくれてれば」とは言うのです。でも、その日そのときに関心を持って欲しい情報でも何でもないというのが災害情報の特徴です。
大体において関心があることであれば、多少言葉なんか難しくても簡単に頭に入ります。皆さんも大好きなゴルフだったら、横文字でも何でもすぐに頭に入るでしょう。メートルからヤードへの単位換算だってあっという間にできてしまうのだけど、そもそも重要な情報だという認識がない状況の下では、「言葉が分からない」などと言うのですが、そういう問題でもないと思います。僕は、根本的には情報取得態度がないというところ、主体的に自分の命を守るという姿勢がないところに大きな問題があると思っています。
そんな中でこの郡山のハザードマップは効果があったと言ったのですが、配られて半年、そのときにあらためて見たというのが3分の1、あることを忘れていたというのが3分の1、ハザードマップなんかもらっていない、これはうそですけれども、これが3分の1、こんな状態です。これは半年後の状況です。こういう状況になってしまいます。
もっと重要な問題があります。この言葉をよく覚えておいて頂きたい、「(ハザードマップは)災害イメージの固定化を招く」。これがハザードマップの最大の問題点と言っても過言ではないと思います。ハザードマップは、100年に1回ぐらいの雨を想定してあちこち(堤防を)切って、氾濫解析をやって包絡線を取って、その地図を示すわけです。そうすると、100年に1回ぐらいの雨を想定しますから、当然浸かる所と浸からない所が出てきます。浸からない所の人はどう考えるでしょうか。「役所が浸からないことを保証してくれた」となる。洪水安全地図です。人間の情報理解というのはこういうものです。
例えば、学生が2人僕のところへ来ます。「先生、この前の試験、僕どうでしたか」、「私、単位をもらえますか」と来たとします。僕は片方の学生に向かって「君は駄目」と言って返したとします。片方の学生には何も言っていません。でも、片方の学生に「君は駄目」と言ったら、片方の学生は「じゃあ、自分はよかったんだ」と思うわけです。もしくは、片方の学生に「君は単位OKだよ」と言って返したとするならば、それ以上情報提供をしなかったら、「じゃあ、自分は駄目だったんだ」と思うのが人間です。
それと同じで、こちら(左岸側)は浸かると言われました。こちら(右岸側)については浸からないとも何とも言っていないのですが、こちら(左岸側)が浸かると言っていて、こちら(右岸側)には浸かるという情報がなかったら、至極当然、役所が安全を保証してくれた洪水安全地図に早変わりです。さすがに5m以上なんていう水深の所の人は心配しますし、逃げます。ところが、この絵の中で避難勧告が出たときに一番逃げないのは、誰だと思いますか。これ(濃い青色)が大体5mぐらいの色で、この薄い青色が2mから5mです。この黄色のところが2m以下だとか1m以下だとか、そんな色になるのですが、この中で一番逃げないのは誰かというと、黄色のところの人です。
これは東海豪雨のときにも顕著に見られましたし、各地で見られることですが、避難勧告を出すと、この人(青色のところの人)は逃げます。この人(着色されていないところの人)も逃げます。なぜならば、家は浸からないから安心して逃げられます。「それでも逃げろと言うのだったら逃げましょう」と言って逃げるのです。
ところが、黄色のところの人は、避難勧告が出るとまずハザードマップを見て自分の家は「1m」だと確認します。1mだと、人間は死ぬとは思わないのです。自分が死ぬなんてことはそもそも考えません。そうなると、1mということから想起されることは床上浸水です。とても逃げていられないのです。畳を上げなければいけない。家財を上げなければいけない。結局この人たちが一番逃げないという状況が生じます。
東海豪雨のときにも調査をしました。「避難勧告が出たときに、自分のうちはどのぐらい浸かると思いましたか」。西枇杷島町という一番浸かった所はハザードマップがなかったものですから、「どれぐらい浸かると思いましたか」ということを聞いて、その思った別に避難率を調べてみますと、「床上から若干浸かるのではないかな」と思った人が一番逃げていません。「床上から相当深く浸かる」と思った人は怖いから逃げます。「浸からない」と思った人も逃げられます。だけど、「床上から若干浸かるのではないかな」と思った人は逃げません。それは、家財の対応をしなければいけないからです。
皆さん行政の立場の方々は、避難勧告を出しますと、「あなたの命が危ないから逃げろ」というつもりですが、住民は自分の命がなくなるという状況想定はしません。よく引き合いに出すのですが、「今ここで阪神大震災級の揺れがあったとします。皆さん、1分後何していますか、5分後何していますか」と聞きますと、「1分後は机の中に机の下に頭を入れています。5分後は建物から出ています」。10分後は何しているかというと、「その辺のがれきに埋まった人を助けています」と言うのですが、「私ががれきの下でつぶれています」と言う人は誰もいないのです。
自分が死ぬという状況想定は誰もしません。そうすると、こういう状況でも避難勧告が出たときに、出す側は「あなたの命が危ないから逃げなさい」と言っていても、住民は「自分が死ぬと思わないけれども、水には浸かるということはどうも事実だ」なると、気になるのは家財の保全です。そうすると、(浸水の予想が)深いところの人は「もうこれは駄目だ」とあきらめることもできるかもしれませんが、この人たちがそれでも逃げるということは、家屋・家財の被害を受け入れて、その場を離れることです。それが彼らにとっての避難です。
そうすると、住民にとっての避難勧告と、出す皆さんにとっての避難勧告はこれぐらいのずれがあるということをよく念頭に置いておかなければいけないということになります。
さらにあります。ハザードマップは水深しか示しません。至極当然ですけれども、流れが速い急流の所というのは深さが出てきません。
そうなってくると何が起こるか。これは私の地元の群馬県の桐生市ですが、川が150分の1ぐらいの勾配があってすごく流れが速いのです。瀬になって流れています。渡良瀬川という瀬が付くぐらいですから流れが速いのですが、この町の真ん中にある野球のスタンドが昭和22年のカスリン台風のときに川が切れて、洗掘してしまうぐらいすごい流速が速いのです。桐生市で150人ぐらい亡くなっています。こういった所なものですから、水が出てからだともう危ないという状況があります。
これも瓦礫の山なのですが、家々を押し流していってダム化して、それが壊れてまた波状に壊していくという壊れ方をすると非常に危険な所です。
住民にはハザードマップを配るときに、「水が出てからでは遅いから早めの避難をしてくれ」ということを書きます。
これは建設コンサルタントがやってきた水深の計算ですけれども、薄い黄色、これは10cm以下でした。あまりにも流れが速くて水深が出ません。青いところが30cm以下です。
これでハザードマップを作ると言ったものですから、「こんな10cmだ30cmだなんていう情報で住民が逃げるわけがないじゃないか」ということで、僕はどうしたか。
この薄いピンクの色、これは10cm以下の所ですが、1m以下と書きました。10cmも1m以下ですからうそは言っていません。この濃いところは30cm以下ですけれども、2m以下と書きました。30cmは2m以下ですから、うそは言っていません。
要は、ハザードマップは水深で書けと書いてあるものですから、しょうがなく、深さの指標として1m以下、2m以下というインデックスを付けて示しただけなのです。こんな小細工までしてこのハザードマップを作りました。なぜそうしたかというと、住民は簡単にハザードマップを見て浅いと安心するのが分かっていたからです。
このハザードマップを住民に配りました。関心が高くて住民はすぐに見ました。
その結果として、「ハザードマップを見て安心感を持った」、「どちらかというと安心感を持った」を合わせて半分以上になってしまうのです。1m以下、2m以下という水深を示しても、10cm、20cmだったから1m以下、2m以下と派手に書いたのですが、それでもこんなものです。
要は、水深しか示さないと、住民というのはそこから自分の命の危なさを、なかなかハザードマップからは想起できないということになるわけです。ハザードマップの情報なんて所詮こんなものです。
リスク情報は、すごく重要なだと僕は思うのですが、皆さんの命が危ないというようなリスク情報は、住民は必ず軽んじます。好ましい情報は積極的に受け入れられますが、好ましくない情報は横に置いてしまいます。
よく引き合いに出す例なのですけれども、交通事故と宝くじと書いてあります。1年間に交通事故で亡くなる方というのは大体7000人いると言われています。「この会場の中で、自分は交通事故で死ぬかもしれないと思われる方はいらっしゃいますか」と聞いても、手を挙げる方はまずいないです。「7万人交通事故で死んでいます。自分が交通事故で死ぬかもしれない人」と聞いても、手を挙げる人はまずいないのです。
ところが、年末ジャンボ宝くじ、1等3億円が7000人に当たります。ちょっと考えてみてください。例えば東京の人なら、「全国で7000人だったら東京で3000人ぐらい出るんじゃないか。そうすると、東京で3000人だったら、池袋や新宿や銀座やあの辺のチャンスセンターの行列から100人、200人は出るだろう」と考えたりします。それで、並んで10枚3000円なんていわずに、ボーナスあとですから100枚3万円も買ったものなら気分は億万長者です。よくよく考えてみると交通事故と一緒なのです。でも、妙に宝くじだと当たるように気がしますが、交通事故だと当たらないと思ってしまいます。こういう都合の悪い情報というのは無視するのです。
ハザードマップでもそうです。いくら危険だと言われても、その情報をもってすぐに行動を取ることはできないというのは、残念ながら人間の特性です。危ないと分かっているにもかかわらず、今がそのときと思えない。
この前ペルー沖の地震がありました。津波警報が出ました。自治体の対応を見ていると、あのときには50cmぐらいの潮位変化があるかもしれないという情報がありました。50cmの潮位変化というのは、所によってはこれが3mになったりすることもあります。単なる潮位変化ですから地形によっては、これが大きく増幅されることがあって危ないのです。
ところが、自治体の対応を見ていると、夜中の1時ぐらいに出て朝には津波が来ることが分かっていて、本当は今(避難勧告を)出さなければいけないという情況でした。でも、テレビもまともに報道していなければ、自治体も津波注意報が出たときには避難勧告を出すという事前の取り決めをしているにもかかわらず、そんな対応行動を取った所は、ごくごく限られていました。住民はほとんど動いていません。そういう、今がそのときとなかなか思えないという状況が生じてきます。
結局このハザードマップ、どうも情報を出すだけだとまともに利用できないし、安心感を持ってしまうなどという傾向が顕著に見られます。これは草津市の例ですが、草津市は大したもので、ハザードマップに命を吹き込むということで、ここに自分たちで避難の経路を描いたりいろんな取り組みをやって頂いております。ハザードマップというのは、やはり単なる一つの契機なのです。ハザードマップというのは単に一つのシナリオにすぎないのです。単に一つのシナリオであるにもかかわらず住民に配ると、住民は自分の家を探して、うちは1m以下だ、うちは2m以下だと、その数字だけをしっかり頭に焼き付けて、それでおしまいになってしまいます。
でも、ハザードマップというのは一つのシナリオにすぎない。そこを基に地域の安全を作っていくためにいろんなことを取り組んで頂いています。こういう状況を作っていって頂くこと、これが非常に重要なことだろうと僕は考えています。
ただ、行政の皆さんにもあえて苦言を言うならば、全国で2500、今1500になっておりますけれども、ハザードマップを作ることが義務化されております。皆さんも作ってしまった所、今作っている所、いろいろだろうと思います。これからの所もあります。作れ、作れと言われて作ることが目的化してしまっている傾向がちょっと見られます。
これは愛知県の例ですが、愛知県の66自治体でハザードマップを作って、「公表に際して何か行いましたか」と聞きましたら、33%が「作っただけ、配っただけ」という回答でした。「広報誌などで一応周知はした」が45%ということで、作りっぱなしの状態なのです。このままだと、先ほどハザードマップの住民の理解のところで見て頂いたように、下手をすれば安全地図になったり、浅い所の人たちはよけい逃げなくなってしまうという傾向になりますので、こういう状態では、僕は極めて危険だと思います。
ハザードマップの活用実態を見ても、「ハザードマップは作ったけれども、特にそれによる取り組みは何も実施していない」という回答が7割です。作るだけという状況になってしまっています。
皆さんの自治体も草津市のように(ハザードマップを)配って、そのあとそれを避難に役立てるというような取り組みにまで持っていって頂かないと、僕は、ハザードマップは何のために作ったのか分からないと思います。
もう時間が来ましたのでこれでやめますが、最後に一つだけ。すみません、いっぱいお話したいことがあったのですが、最後にこの言葉で締めたいと思います。「居安思危」という言葉を皆さんご存じでしょうか。「こあんしき」と読むのですが、これは中国の「春秋」という本の注釈書に「左氏伝」、左さんですね、「春秋左氏伝」という書物があります。その中に「居安思危」という言葉が書かれています。皆さんこの言葉は聞いたことがないと思いますが、ただ、この最後の言葉は聞いたことがあると思います。「備えあれば患い無し」。
この言葉は皆さんよく聞かれる言葉だし、皆さんもひょっとすれば住民に対して言っておられる言葉だろうと思います。ところがこれは三段論法の三段目です。
その前には、「安きに居りて危きを思う。思えばすなわち備えあり。備えあれば患いなし」と、三段論法になっています。つまり、「何もない今だからこそ、危うきときのことを思え」とまず言うのです。つまり、これはハザードマップです。「何もない今だからこそ、そのときを思え。思わなければ備えることなんかできないぞ。備えれば患いはなくなる」、こういうことなのです。
ところが、得てして我々もそうなのですが、「備えろ、備えろ」とばかり言うのです。地震に備えて耐震補強をしなさい、水害に備えてあれやりなさい、これやりなさい。でも、住民は一向にやりません。それはそうですね。「安きに居りて危きを思う」というそのときのことを思っていませんから。ですから、今ハザードマップを配ったりして、住民にちゃんとその地域のリスクを伝え、何もない今だからこそ、そのときに備えるという姿勢を与えるためには、何もない今、住民とリスク情報を共有し、こうなったらどうするということについて議論を深めて頂く、それが重要なのだろうと思います。それがハザードマップだろうと思いますし、それを考え、それに対して備える。そして、その結果として「患い無し」というところに結び付けていく、そういう姿勢が重要なのだろうと思います。
ちょっと中途半端な話になりましたが、時間が来ましたので、これで私の話を終わらせて頂きます。どうも暑い中、ご清聴ありがとうございました(拍手)。
【司会】
片田先生、どうもありがとうございました。ご自身の調査結果、あるいはハザードマップ作成の実例等々を踏まえて、大変示唆に富むお話をして頂いたところです。
行政に携わる者としてやはり身につまされるといいますか、意識を新たにするところも非常に多かったように思います。遠路おいで頂きました片田先生に感謝の気持ちを込めて、あらためて大きな拍手をお贈りしたいと思います。どうもありがとうございました(拍手)
【片田教授】
どうもありがとうございました。
【司会】
それでは、これをもちまして防災講演会を終了させて頂きます。本日はどうもありがとうございました。