附棟札2枚建立安永二癸巳歳秋九月吉曜日の記があるもの1
瓦屋祢修覆文化五戌辰年八月吉祥日の記があるもの1
附板札1枚奎宿安永二癸巳年六月二十四日木曜上棟の記がある
附須弥壇1基
附釣燈籠2個安永巳二年九月廿七日の刻銘があるもの2
附石燈籠2基安永六年丁酉秋九月廿七日の刻銘があるもの2
毘沙門堂は、本堂の東側、硅灰石の南に広がる平坦面に、観音堂と並んで建っている。堂内に兜跋(とばつ)毘沙門天(重要文化財)・吉祥天(きっしょうてん)・善膩師童子(ぜんにしどうじ)を祀ってる。
建物の建築年代は、棟札(むなふだ)や鬼瓦、釣燈籠などの刻銘や寺蔵文書から、安永2年(1773)である。棟札や文書から建立にあたっては、紀州の藤原正勝が兜跋毘沙門天を深く信じこの堂を建てたこと、大棟梁は大津の高橋六兵衛門信勝・高橋治郎兵衛勝義で、木工棟梁は大阪の大西清兵衛尚正がかかわったこと、また、彫刻も大阪で行ったことが明らかである。
建物は正面三間、側面二間で、屋根は宝形造(ほうぎょうづくり)、桟瓦葺(さんがわらぶき)で、西面して建っている。建物の正面には石燈籠2基を備えている。
平面は概ね正方形であるが方三間とせず、側面は二間である。内部は後方一間の中程に柱列を設け、前後に区切っている。
この毘沙門堂は、建物全体に当初材がよく残り極めて保存状態が良好である。
実際には正方形の平面でありながら、間口三間に対して、奥行二間とし、方三間にしない点で特色がある。いかにも近世後期らしい大振りな絵様(えよう)や木鼻(きばな)の意匠を用い、内部は間仕切りを設けず、一室の空間にしながら、須弥壇前の柱筋に特異な架構・意匠を見せた近世らしい特色にあふれた優れた建築として極めて貴重である。さらに、棟札や寺蔵文書から、その建築の由来、工匠、さらに大坂で加工し、現地で組み立てた造営方式が判明する点からも価値が高い。