文字サイズ

木造聖観音坐像

木造聖観音坐像
  • 名称 木造聖観音坐像【もくぞうしょうかんのんざぞう】(像内に永和二年丙辰八月十八日、三条門弟讃岐宝眼堯尊の墨書がある)
  • 員数 1躯
  • 所有者 青岸寺
  • 所有者の住所 米原市米原669
  • 所在地 米原市米原669
  • 法量 像高79.7センチ、髪際高60.4センチ
  • 品質構造 木造、寄木造
  • 時代 南北朝時代(永和二年=1376)
  • 説明

国指定の庭園で名高い青岸寺(せいがんじ)の本尊として、本堂の厨子内にまつられる。桧の寄木造(よせぎつくり)で、等身よりやや小ぶである。頭・体の根幹部は、前後に二材を矧(は)ぎ合わせ、内刳(うちぐ)りを施す。現状は素地仕上げとし、頭髪や目、唇に彩色を施す。天衣(てんね)、条帛(じょうはく)、裙(くん)を身にまとい、左手で未敷蓮華(みふれんげ)を執り、右手はこれに添えるようにかまえ、右足を外にして結跏趺坐(ふざ)する。
像内には墨書で「近江州坂田南郡箕浦庄内/米泉寺本尊聖観音像一尊也/願主隣溪庵主桂薗/当寺住侶良範/金剛仏子乗日/作者三条門弟讃岐宝眼堯尊/永和二年丙辰八月十八日謹誌之」の銘文が記される。これにより、本像は、永和2年(1376)に、桂薗、良範、乗日らが願主となり、三条門弟讃岐宝(法)眼堯尊(ぎょうそん)を仏師に、米泉寺(青岸寺の前身寺院)の本尊として造立されたことがわかる。作者の堯尊の来歴について詳細は不明であるが、「三条門弟」を名乗ることから、当時、京都の三条に工房を構えていた円派(えんぱ)仏師の系列に属し、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した同派の主流仏師の一人である堯円(ぎょうえん)の弟子筋にあたると考えられる。
鋭い彫り口やバランスの取れた体躯の表現など、衰微期と目される南北朝時代の仏教彫刻の中でも高い水準を示し、制作年・願主・仏師・安置場所が明らかな基準作として彫刻史上、評価できる。