野神行事は、春、夏、秋に行われていたが、春の野神行事は田植え前に牛を連れて参るもので、終日牛を大切にすることから牛祭のような行事であったが、牛耕の衰退とともに農家で牛を飼育しなくなり行事もほとんど消滅状態になっている。これに対して、夏から秋にかけて行われる野神行事は大角豆(ささげ)小豆、芋茎(ずいき)、なすなどの野菜、鰯、飛び魚など海の魚のほか、シトギ、鏡餅、白酒などを供えて祭る。湖東地域では祠の前で子どもが相撲を取るのを特徴とし、湖北地域ではこの日に太鼓踊りやシャンギリと呼ばれている囃子を奉納する。
行事が米の収穫前に行われ、その上たとえば東近江市芝原町の野神祭では相撲に勝ったこどもに大角豆小豆が与えるなど、畑作物の収穫祭かとみられるが、餅や白酒が造られるなど稲作との関係も推測され、双方の要素を含んだ祭かと考えられる。
夏から秋へかけての野神行事は、7月〜10月に行われる。
祭場は、田の中の1本木が東近江市などではよく見られたが、その多くは耕地整理で場所を移転したようである。また、少し山に分け入ったところを祭場とする例も湖北はもちろん湖東でもあり、この場合は山の神の祭場と区別がつきにくい。また、伊香郡木之本町大見の野神では、山の中へ入り、途中からは履き物を脱いで山道を歩かねばならず、一見して何の特徴もない山中で太鼓踊りが踊られていた。かつて北陸自動車道建設のとき、山中にある野神の移転補償で国の理解が得られなかったことがあったほどである。
野神行事は、村祭りなどと異なり、田や山の中に小祠があり、ムラの主要な行事から外れていることから、簡単に省略されたり変更される運命にあり、保存伝承が保証されたものではない。また、旧甲賀郡や高島市ではほとんど野神の伝承が見られないなど、伝承地に偏りが見られる。東近江市種、同市佐野などでは「農神」と表記されるが、東北地方の農神は山の神と交流する田の神に近い作神とされ、東近江市の中には野神と田の神の双方を祭る日があり、野神は必ずしも田の神と一致しない。さらに、上記芝原町の野神は若い女性と伝えるなど山の神との類似も見られる。
以上のように複雑な伝承をもつ野神行事は、生活様式や生産様式の変化、少子化などの影響により伝承が困難になりつつあるが、素朴な自然神信仰に基づく県民の信仰生活を伝える貴重な無形の民俗文化財である。