野洲市(旧中主町)西河原周辺から出土した95点の木簡のうち、野洲市が所有するのは西河原森ノ内遺跡、西河原宮ノ内遺跡、光相寺(こうそうじ)遺跡、西河原遺跡、及び虫生(むしゅう)遺跡から出土の31点である。
西河原森ノ内2号木簡として著名なものは、「衣知評平留五十戸(えちのこおりへるのさと)」に置き去りにした稲を「舟人」を率いて運搬するよう指示した長文の文書木簡。「郡」についての令制前の標記である「評」、「里(郷)」についての同じく「五十戸」という表記などから明らかに7世紀後半期の史料である。また益須(やす)郡馬道郷(うまみちのさと)の人名(大友村主(おおとものすぐり)など渡来系氏族が多い)を列挙した人名録など公文書が多く、地方役所としての西河原遺跡群の性格(安評家→野洲郡家か)や古代の地域史を解明する上で、貴重な史料が多い。
滋賀県所有分の64点とあわせて95点の規模は地方木簡として有数のもので内容も豊富であり、なおかつ7世紀代の律令国家形成期のものを中心としていることから、『日本書紀』・『続日本紀』などの編纂史料を補う古代史研究上の一次史料として、極めて重要である。