日本古来の神が仏教に帰依した姿を表した僧形神像の古例である。明治時代の神仏分離の折、寺の東南約2キロメートルほどのところにある荒神山に所在した奥山寺三宝荒神社(現荒神山神社)から移されたものと伝えられる。
頭体の根幹部から両脚部や両手首先まで含めた像の全体をカヤの一材から彫り出し、内刳りは施さない。像の表面には彩色の痕跡があるが、現状は素地とする。頭部を円頂とし、首に三道をあらわした僧形像で、内衣の上に納衣(のうえ)と覆肩衣(ふっけんえ)を身にまとい、両手を腹前で拱手して結跏趺坐(けっかふざ)する。腹前で右手を左手の上にのせ、本来はここに笏(しゃく)をもっていたと見られる。小像ながら奥行きのある体躯をもち、厚い両足部を備えた安定感に富んだ姿は、神像にふさわしい風格が漂う。面相や肉身部は繊細な彫り口で制作時期は9世紀に遡ると推定される。
荒神山麓には東大寺領があり、周辺には行基開創伝説を有する寺院が多く点在するなど、当地は古くから南都との関係が深かった。本像は神像成立期の様相を示す希有の遺品としてはやくから注目されており、わが国の神仏習合の歴史を考察する上で不可欠の資料でもある。