熊野曼荼羅は熊野信仰を背景に成立した礼拝画で、熊野の自然景の中に熊野三山(本宮・新宮・那智)の諸神を描く。熊野曼荼羅の制作は、文献上においては皇室や貴族による熊野詣が盛行する鎌倉時代前期からおこなわれていたが、現存作例については、鎌倉時代後期の作例を最古例とし、室町時代以前のものが約40例ほど伝わる。本図は熊野十二所権現ほかの諸尊を垂迹神であらわした熊野垂迹曼荼羅の代表的作例で、近年、現存最古の作例として評価が定まりつつある。
画面中央部を高欄付きの吹き抜け社殿とし、上段に三所権現(さんしょごんげん)、中段に五所王子(ごしょおうじ)、下段に四所明神(ししょみょうじん)と満山護法(まんざんごほう)を配する。画面上方には那智滝とともに新宮・那智の摂社神々と大峯山の諸尊を描き、画面下方には熊野の諸童子を描く。
同様の図様で描かれる熊野垂迹曼荼羅の古例に、東京・静嘉堂文庫(せいかどうぶんこ)美術館本(重要文化財)、和歌山県立博物館本が知られるが、それらが熊野三所権現の隣に飛滝権現(ひろうごんげん)をあらわすのに対して、錦織寺本では飛滝権現が描かれず、古様さがうかがわれる。彩色、描線の質は格調高く、以上の点から本図はこれらの諸本よりも先行する13世紀末期から14世紀初頭に描かれた現存最古の作例としてきわめて意義深い。