三尾神社は、12世紀末には園城寺の主要な鎮守社の一つとなっていたことが知られるが、明治時代の神仏分離により社地を移転し、明治時代以降は、氏子の崇敬によって守り続けられてきた。
現在の三尾神社本殿は、三間社流造形式で、応永33年(1426)に園城寺の鎮守社として建立され、明治10年に現在地に移築された。
滋賀県の中世の三間社流造本殿は、繊細で優美な意匠にまとめ、建物正面に前室を設けた本殿が多いが、三尾神社本殿は、妻飾りは豕扠首組(いのこさすぐみ)の伝統的な形式を踏襲し、正面に前室がなく、組物に舟肘木(ふなひじき)を用いるなど装飾が少ない簡素な本殿である。しかし、良質の材料を用い、建物を構成する各部材が木太く、全体に均整のとれた堂々とした建築である。
園城寺には、三尾神社本殿と同時期に建立された三間社流造本殿として、国宝の新羅善神堂(室町時代中期1393~1466)がある。両者はともに足利氏の園城寺造営事業において建築された園城寺の鎮守社であり、意匠や技法に類似した点が多く見られる。
園城寺三院のうち、北院の鎮守社である新羅善神堂(しんらぜんしんどう)に対し、南院の鎮守社の遺構として、同じく室町時代中期に建立された三尾神社本殿は、建築的な質も高く、歴史的にも貴重な本殿である。