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シリーズ人権教育(令和4年度)

滋賀県教育委員会発行の保護者向け情報誌「教育しが」に掲載しています。

令和4年度(2022年度)

1月「息子の選択」

 私の息子は、幼い頃から自分で決断することが苦手で、駄菓子ひとつ買うときも悩んでなかなか決められませんでした。

 そんな息子の中学三年生の出来事です。

 「これまで頑張ってきた部活動をAさんと一緒に続けたい。」という理由で、息子はB高校を選択しました。B高校はスポーツに力を入れている学校で、息子の力量でやっていけるのか、遠いので毎日通うことができるのか心配でしたが、息子は、引退後も毎朝のランニングと苦手意識のある勉強に励んでいました。

 ある日、息子が随分落ち込んで帰ってきました。何があったのかと尋ねると、

「Aが推薦もらって、県外のC高校に進むって決めた。」

そうつぶやき、部屋にこもってしまいました。

 その日からは朝のランニングもせず、勉強も手につかない日々が続きました。Aさんと離れてしまうなんて全く予期していなかった息子は、完全に目標を失っているようでした。

 私は、悩む息子の気持ちを少しでも和らげたくて声をかけました。するとゆっくりと、しぼりだすように気持ちを伝えてくれました。

「Aと一緒にB高校で部活動を頑張ろうと約束してたんや。もう高校なんて行く意味ない。」

「あんたが自分で進路を決めたとき、私はとても嬉しかったで。成長したなぁ、って。私が中学三年生のとき、友達と一緒の高校を選ぶか、自分の学びたいことを優先するかで悩んだことを思い出したわ。私は自分の学びたい道を選んだ。離れても、友達との付き合いは今でも続いてるで。自分の将来について悩むことも大切な時間やし、自分が納得した形で受験に臨んでほしいと思ってる。Aさんにも何か理由があって、相当悩んで決めたんやと思う。友達なんやから、直接会ってしゃべってみたらどやろ。」

息子は私の言葉かけに小さくうなずいてくれました。

 翌日、息子はすっきりした表情で帰ってきました。

「背中押してくれてありがとう。Aも相当悩んで決めたんやって。進学先は違うけど、全国大会で共に戦おうって話し合った。レギュラー入りできるように、俺も頑張るわ。」

新たな目標を見つけた息子は、元気を取り戻してくれました。

 息子は希望の高校に進学し、三年の夏には、全国大会で戦うというAさんとの約束を叶えることができました。私は、試合中、これまで頑張ってきた息子の姿を思い出し、あふれる涙を止めることができませんでした。

 高校卒業後は得意な運動を将来の仕事に繋げたいと考え、スポーツインストラクターを目指すと私に伝えてくれました。自分で「生き方」を決め、そこに向かって進んでいこうとする息子の頼もしさに喜びを感じるとともに、これからも親として息子の選択を尊重し、応援し続けたいと思っています。

10月「ちゃんと伝えるすごさ」

 私が海外に留学をしていたときのことです。周囲に日本人がいない環境だとわかっていても、留学中は、言葉が相手に通じないときや、勉強についていけないときには、不安になることがありました。

 しかし、クラスメイトのアンが私に話しかけてくれたことで、私の生活は変わっていきました。うまくその国の言葉を使いこなせていない私の話をていねいに聞いてくれたり、勉強や生活で困っているときには相談にのってくれたりしました。彼女を通して知り合いになる人も増え、前向きに留学生活を送れるようになりました。

 そんなある日、公園のベンチに座って二人で話をしていたときのことです。老夫婦が近づいてきました。「ちょっといいかな?」と言って、彼らは数十メートル離れたところにアンを連れて行きました。老夫婦は彼女の前に立ち、身振り手振りを交えながら何やら交互に話していました。アンも二人の言葉に対して、何か答えているようでした。

 戻ってきたアンは、何事もなかったかのように話を続けましたが、私は気になって「何の話だったの?」と尋ねると、

「『あの子が日本人なら仲良くしてはいけない。日本は第二次世界大戦中に私たちの国を攻撃した国だから。』と言うの。」

 私は老夫婦の話した内容に動揺しました。戦時中のこの事実を知らなかったことだけではなく、日本人であるということで差別を受けたと感じたからです。

「それでね、私は『あの子は日本人だけど、いろいろ話をして、とってもいい子だと知ってる。戦争自体は悪いことだけど、人種や国で差別することはダメだ。』って、あの人たちに言ったんだ。もし、今日のようなことがあったらすぐに言ってね。抗議しに行くから。」

とアンが言ってくれたことや、「差別はいけない」と自信をもって言える姿に、私のショックや不安はすぐに和らぎました。

 日本にも部落差別やアイヌの人々、外国人に対する差別など、多くの差別問題があることを知ってはいました。けれど、差別はどこか遠いところで起こっていることぐらいにしか考えていなかった自分に気づきました。

 偏見や差別につながる言動を見聞きしたときに、アンのように「差別は許さない」とはっきり伝えられる人でいたいと思います。そのために、日本国内や海外でどのような人権問題が起きているのか関心を持ち、「私とどうつながっているのか」や「解決するために何ができるのか」と考えて行動したいと思っています。

7月「私の中のモヤモヤ」

 私には一つちがいの兄がいて、移動する時には車いすを使っています。小さな頃から家族で外出することが多く、兄が突然大きな声を出すこともありましたが、喜怒哀楽が豊かな兄の様子は、私にとってはごく自然なことだと思っていました。

 「兄が障害者であること」を少し意識するようになったのは、私が幼稚園の年中組になった頃でした。運動会当日、兄が歩行器を使って先生に付き添われて競技に参加しているのを見た私の友だちが、「お兄ちゃん、どうしたの?」「家でも使っているの?」、といろいろ尋ねてきました。私は、友だちにどのように説明すればよいのかわからず黙りこんでしまったことを覚えています。

 私が小学生になると、兄は養護学校に通学していたので学校で出会うことはありませんでしたが、年に一度、地元の小学校の同級生と交流をしていました。私が低学年の頃には、兄が学校に来てくれるうれしさがありましたが、学年が進むにつれそれだけではない、何かモヤモヤした気持ちが私の中にありました。

 私が中学生になったある日のことでした。家族でスーパーに買い物に出かけた時、突然、兄が大きな声をあげて笑いだしました。近くを歩いていた小学生が立ち止まって、不思議そうに兄のことを見ています。視線を感じつつ、私はそのことに気がつかないふりをして通り過ぎようとしました。

 その時でした。「びっくりさせてごめんな。うちのお兄ちゃん、うれしいことがあったりすると、大きな声を出して伝えてくれるねん。」と父がその小学生に話をはじめたのです。生まれながらに障害があることや普段の家での様子等、その小学生はうなずきながら父の話を聞いています。そして話が終わると父と兄に手を振り離れて行きました。

 私はその様子を見て、はっとしました。私が今まで感じていたモヤモヤは、「障害のあるお兄ちゃんのことを友だちに尋ねられたらどうしよう。」、「どう伝えたらわかってもらえるのだろう。」といった不安から兄の話を避けようとしていた自分に対するモヤモヤだったことに気がついたからです。

 父と小学生の自然なやりとりを見て、私の中の考えが少し変わりました。今後はありのままの自然な兄の様子をまわりの友だちに話せる気がしました。

4月「祖父の笑顔」

幼い頃の私は、裏山へ行って自然の中で遊ぶのが大好きな子どもでした。両親が共働きだったこともあり、そばにはいつも祖父がいて、私のことを笑顔で見守ってくれていました。祖父は、車の運転が好きで、幼い私を乗せていろんな所へ連れて行ってくれました。ただ、頑固なところもあって、自分の考えを簡単には曲げず、祖母や母が意見をしても素直に聞くことは、まずなかったそうです。しかし、孫の私の言うことだけは、「そうやなぁ」と聞き入れてくれるのでした。

二十年あまりの月日が経過し、私は社会人として実家を離れて生活するようになりました。結婚し、家庭を持ってからは、祖父に会う機会がずいぶん減りました。

八十歳のお祝いを終えた翌年、祖父が脳梗塞で倒れ入院したことを母からの電話で知りました。突然の連絡にどうしてよいのかわからないまま病院に駆けつけました。初期対応が早かったこともあり、一か月ほどで退院できるだろうと母から聞いた時には、ほっとしました。

数日後、見舞い中に廊下に呼ばれ、母からこんなことを伝えられました。

「今回の事で、退院しても、今までと同じような生活は難しいやろな。もう車の運転は無理やと思う。」

母は、この機会に祖父に運転免許証の返納を進めようと思っているが自分が言っても聞き入れてくれないかもしれない。そこで、私から話をしてほしいと言うのです。

病室に戻った私は祖父としばらく談笑する中で、思い切って運転免許証返納の話を切り出しました。それまで笑っていた祖父は、今まで見たこともない切ない表情になりましたが、しばらく考えた後、小さくうなずいてくれました。

退院して、しばらくしたころ、祖父が心配で様子を見に行きました。家の前の畑にいた祖父に私は「行きたいところに簡単に行けなくなって不便やろ。いつでも運転するで。」と、声をかけました。すると、祖父はじっと私の顔を見て、こう言いました。「ゆっくり歩くのもええぞ。いろんな幸せが見えてくるから。」

その時は、祖父の返答の意味がよく分かりませんでしたが、母の一言で理解できました。

「じいちゃんな、私が植えた花を見て、とても良い笑顔してたんよ。今まで花なんて見向きもしなかったのに…。歳を取るのもいいことかもね。」

私の心の中に、「老化」は辛いこと・車を運転できなくなった祖父は「可哀そう」という決めつけがあったことに、その時初めて気づきました。そして、人生の大先輩に「幸せの感じ方は人それぞれで、年齢とは関係ない。」そんなことを教えてもらった気がしています。

もうすぐ桜の季節です。私が幼い頃に祖父と一緒に過ごした思い出の裏山まで、祖父とゆっくり散歩して、一緒に桜を楽しみたいと思っています。当時の私と同じくらいの年齢になった我が子たちを連れて。

お問い合わせ
教育委員会事務局 人権教育課
電話番号:077-528-4592
FAX番号:077-528-4954
メールアドレス:[email protected]
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