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シリーズ人権教育 (令和3年度)

滋賀県教育委員会発行の保護者向け情報誌「教育しが」に掲載しています。

令和3年度(2021年度)

1月「自分に合った『できる』」

私は小さな頃から、何においてもできるようになるまで近所の子どもより時間がかかり、親にずいぶん心配をかけたそうです。

小学校入学後を振り返ると、片付けや整理整頓が苦手で、物をなくしたり、学校からの手紙を親に渡し忘れたりして、担任の先生や親から注意されることがよくありました。自分はクラスメイトに比べて、できないことが多いと思っていたように記憶しています。

勉強もクラスメイトのようにはできませんでした。算数で、決められた時間内に九九を言えたら合格という小テストがあったときに、何度やっても合格できず、放課後になり最後まで教室に残っていたことを今でも覚えています。国語で、「筆者は何を言いたいのか考えよう。」と問い掛けられたときには、「私はその文章を書いた人ではないから、分からない。」とふてくされていました。クラスメイトが正解を次々に答えていく中、私は何をどう勉強すればよいのか分からず、毎日悩んでいました。

そんな私にとって救いだったのは、勉強ができない点を親から叱られなかったことです。「苦手な教科があってもいいんだよ。」「一緒にやろうか。」などと、いつも温かい言葉をかけてもらい、その度にイライラが消えて、ほっとできました。

中学校、高校でも、やっぱり勉強で苦労しました。でも、授業中に黒板を写しきれなかったときにノートをそっと貸してくれた人、「わからない。」とつぶやいたときにすぐ教えてくれた人、放課後に宿題を一緒にする人、そんなみんなのおかげで少しずつ勉強に前向きに取り組めるようになりました。一人ではどうしたらよいか分からなくても、先生やクラスメイト、友だちなどからのサポートがあることで「何とかできるんじゃないかな。」と思えるようになりました。こうした体験の積み重ねで、自分から周囲の人に「助けて。」と言えるようにもなりました。

今の私は、相変わらずいろいろなことが苦手なままで、失敗ばかりしていますが、計算なら電卓と表計算ソフトを使えばいいし、忘れ物はスマートフォンのアプリ通知とか家族からの「○○もった?」の声掛けが防止してくれます。仕事で悩んでいるときには、アドバイスをくれる心優しい同僚がいてくれますし、片付けは家族で協力して・・・と挙げればきりがないほど、私を支えてくれる存在があるおかげで、何とか自分なりにできています。

「できない」と落ち込むときは、いったん休憩して、「誰かいないかな?」「何か私の役に立つ物はないかな?」と周囲を見渡すようにしています。

これからも「自分の『できない』」を否定するのではなく、周囲の人や何かの力も借りながら「自分に合った『できる』」を探していきたいと思います。そして、「できない」ことでも、いろいろな人とのつながりができたのだから、今度は私もほかの誰かをさりげなく支えながらつながっていければ、もっとうれしいと思っています。

10月「一番のサポーター」

「行ってきます…。」

朝、家を出ていく子どもの声にいつものような元気がなく気になりました。

四月になり、登校班の班長に友だちから推薦されてなったと、子どもから聞いたときには正直心配になりました。これまで自分の子どもは、どちらかと言えば人前に立って何かをするというタイプではなく、周りの目を気にしながら目立たないように過ごすタイプの子どもだと思っていたからです。学習参観の時などでも、自分から手を挙げて発言する姿を見たことがなく、「せっかく見に行ったのに、なんで手をあげないの?」と聞くと、子どもからはいつも「人前で発表して間違えたら恥ずかしい。」という答えが返ってきていました。

元気なく学校へ向かった子どものことが気にはなりましたが、私も仕事があるので駐車場の車に乗り込もうとしていた時、後ろから声がしました。

「子どもさん、いつも笑顔で頑張っていますよ。」

振り返ると、ボランティアで子どもたちの朝の登校を見守っていただいている近所の方でした。その方は、うちの子どもが下級生の様子に気を配り、歩くスピードを調整していることや、全体を見ながら時と場合に応じた声かけを丁寧にしていること等、日々頑張っている様子を話してくださいました。あわせてここ一日二日は、家に帰りたいと泣きじゃくる一年生や、自由気ままに動く他の子どもたちを相手に苦労していることも伝えてくださいました。

朝の子どもの様子と登校班で苦労している姿とがつながり心配になりましたが、同時に弱音も吐かずに責任を果たそうと奮闘している子どもの姿を想像し胸が熱くなりました。

その日の夕食時、登校時の様子をそれとなく子どもに尋ねると、

「これまでの班長さんがすごく頑張ってくれていたことが今ならわかる。」と一言だけ返してきました。

てっきり愚痴や泣き言が返ってくることを想像していた私はびっくりしました。子どもの横顔から『自分だってやれるよ。見ていてね。』そんな声が聞こえた気がしました。今までは子どもに何かあると転ばぬ先の杖ばかり準備してきた私です。心配の種は尽きませんが、必死に踏ん張ろうとしている子どもを見守ろうと思い、「何か困ったことがあったらいつでも相談してね。」とだけ伝えました。

『よ~し。明日の夕ご飯は子どもが大好きなハンバーグでも作るか!』

これからも苦労することはたくさんあるでしょうが、一つ一つ乗り越えて日々成長していく子どもを見守れる喜びをかみしめながらそんな思いになりました。

私はあなたの一番のサポーターだからね。

7月「おうちレストラン」

新型コロナウイルス感染症が広がる中、今までと同じ生活とはいかないことが多くなりました。小学生の娘は、学校の行事が変更になったり、家族で遊びにも出かけられなかったりで、ストレスをためることが増えていました。高校生の息子は、部活の合宿がなくなったり、大好きなプロ野球観戦に行けなくなったりで、以前のような元気がなくなっていました。私も妻も働いており、帰宅が遅くなります。夕食はできるだけ家族そろってとは思うのですが、どうしても家族バラバラになったり、買ってきたもので済ませたりということが多くなりがちです。家の中の雰囲気も何かぎくしゃくしだして、この前の休日も、娘が一日中ソファに寝転んでタブレットゲームをしているのを注意したところ、ムスッとして部屋を出て行ってしまいました。

そんなある日、妻が「次の休みの日は、おうちレストランをやってみない?」と言いました。子どもたちは、「デリバリー頼むの?」「ピザが食べたい。」「お寿司もとりたい。」と、食べたいものを口々に言いました。それを聞いて妻が「ちょっと待って。みんなが作るんだよ。」と返すと、子どもたちは、「そんなの無理。」「一回も作ったことないもん。」と言い出しました。妻は、「とにかく自分の作れそうなものでいいから、一人一つずつ作ってみない?お父さんもね。」とみんなに声をかけました。

子どもたちは、初めのうちは渋々といった感じでしたが、「卵何個ある?」「お肉や野菜を焼くだけでもいい?」などとやり取りをしているうちに、少しずつ和やかな雰囲気になってきました。私はこの前の休日のこともあったので、娘の好物の「ポテトサラダ」に挑戦してみました。

「卵焼き」「肉と野菜の炒め物」「チャーハン」、そして、「ポテトサラダ」が出来上がりました。こげてしまったり、野菜の切り方がバラバラだったりで、お世辞にもおいしそうには見えない料理がテーブルに並び、食事が始まりました。「ちょっと辛いな。塩こしょうが多すぎた。」自分が作った料理を食べた息子が少し気まずそうに言いました。私たちが作った料理は、見た目も味もいつも妻が作る料理ほどの出来ではありませんでしたが、娘がポツリとつぶやきました。「でも、今日の晩ごはん、私はけっこうおいしいと思うけどな。」

その後は、久しぶりに家族の会話も弾み、楽しい団らんのひと時となりました。

今振り返ると、最近自分の事が中心になって、相手の立場に立って考える心のゆとりがなくなっていたと思います。でも、このおうちレストランをとおして、子どもたちは料理を作る苦労を感じたようですし、私たちも子どもたちの新しい一面を知ることができ、家族にとってよい機会になったと思います。

おうちレストランの後、我が家といえば相変わらずの毎日で、ついつい愚痴をこぼすこともありますが、時々、子どもが晩ごはんの一品を作ったり、食器の洗い物をしたりするようになりました。私も少しずつできることを増やしているところです。

4月「ぼくの大切なもの」

 ぼくのじいちゃんの家はすぐ隣にあります。家どうしが庭でつながっていて、いつでも会いに行けます。幼稚園の頃のぼくの楽しみは、じいちゃんの膝の上でその日のできごとや好きな図鑑の話をすることでした。小学生になると、勉強や友だちとの悩みなども相談するようになりました。じいちゃんはいつも静かにうなずきながら、最後には「だいじょうぶ。だいじょうぶ。」と頭をなでてくれました。するとぼくはいつもほっこりとした温かい気持ちになれるのでした。

 ぼくが四年生になる頃から、じいちゃんはベッドで寝ていることが多くなりました。ぼくはじいちゃんの背中をさすったり肩をもんだりして、じいちゃんの部屋で過ごしました。そんな時、いつもぼくが大人になったときの話になり、ぼくとお酒を飲みながら話をするのがとても楽しみだと言っていました。

 夏、じいちゃんの元気がどんどんなくなってきました。「だいじょうぶ?」と聞いても静かにうなずくだけでした。背中をさするとすごく痩せていて、とてもびっくりしました。

 数日後の朝、ママがじいちゃんの家にバタバタと行き来していたので、「どうしたの?」と聞くと「じいちゃんが天国にいってしまったの。」と言いました。大急ぎでじいちゃんの家に行くと、じいちゃんはいつものように優しい顔でまるで眠っているようでした。でも、話しかけても何も返してくれません。❝死ぬってどういうこと?じいちゃんはどこに行ったの?❞その時のぼくにはわからないことばかりでした。ただ、膝に座って話を聞いてもらうことも、背中をさすることももうできなくなってしまったことは分かりました。

 ぼくは五年生になりました。登校班や委員会活動などでこれまで以上に頼られることが増えました。登校班では班長になり、班のみんなを安全に連れていかなければならないので、毎日とても緊張しました。

 ある日の朝、「みんな並んで。」とぼくが言っているのに、一人の一年生がなかなか聞いてくれません。何回言っても全く聞いてくれず、そのうちに他の一年生も勝手なことをしだしました。「ぼくの気持ちなんてみんなわかってくれない。もう嫌だ!」とイライラした気持ちで一日を過ごしました。

 夕方、隣の家に久しぶりに行ってみました。リビングには穏やかな笑顔でぼくを見つめるじいちゃんの写真がありました。じっと見ていると、「だいじょうぶ。だいじょうぶ。」とぼくに語りかけてくれている気がしました。すると、イライラしていた気持ちがふっと軽くなり、ふんわりと温かくつつまれたような気持ちになりました。

 じいちゃんはもう隣にはいないけれど、膝の上に座っていろいろな話を聞いてもらった後の、あの何とも言えないほっこりした気持ちは、ずっとぼくの中に残っていて、ぼくを温めてくれているんだな、とそのとき気がつきました。

 「だいじょうぶ。だいじょうぶ。」

 心の中でつぶやきながら、明日も一日がんばるよ。じいちゃん、ありがとう。

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教育委員会事務局 人権教育課
電話番号:077-528-4592
FAX番号:077-528-4954
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