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北欧の国々は、国連の世界幸福度ランキングで、常に上位に入っています。それぞれの国に、幸福を実現させる文化や考え方があるようですが、中でも、5年連続1位のフィンランドには、『SISU(シス)』という固有の概念があるということを、最近私は知りました。
『SISU(シス)』とは、フィンランドの「不屈の精神」「困難を乗り越える強さや勇気、粘り強さ」を表しているそうです。極寒の地で生きていくためには忍耐が必要ですし、歴史的にも大国との戦いで多くの犠牲を払ってきたことから、このような考え方が生まれたようです。
しかし、これは単に「辛くても根性で耐え忍ぶ」ということではありません。困難なことに直面した時、逃げずに前進するためには、以下のようなことが大切であると、『SISU』に関する著書もあるカトヤ・パンツァルさんは紹介しています。
「心身を健康に保つ」「自然に触れる」「状況に飲まれそうになったら、一旦立ち止まって考える」「断ることを覚え、食事・睡眠をとり、体をいたわる」「助けを求めるべきタイミングを知る」「助けを求める勇気をもつ」「自分を思いやる」
これを読んで、私が感じたことは、「困難に立ち向かうためには、まずは自分を大切にすることが優先だ」ということです。日本人の中には、「弱音を吐いてはいけない」とか「人に迷惑をかけてはいけない」と考える人も多く、仕事や学校を「休んだらどう思われるだろう」と、つい周囲の目が気になってしまいがちです。しかし、自分を大切にするということは、決して自分勝手なことではなく、一人ひとりが自分の力を十分につけて発揮することこそが、結果的には社会のためになるのです。
不登校になった時、子どもたちは、自分を責めたり罪悪感を抱いたりすることが少なくありません。何らかの困難があっても自分の辛い感情に気づかないようにして頑張り続けていたとすれば、まずは、その辛さを自分で認めることからはじめてみてはどうでしょう。
そして、ここまで頑張ってきた自分をねぎらってほしいと思います。困難さについては、周囲に理解を求めていくことも大切です。
支援してもらえることがあれば、その支援を受けて、力をつけていくことができるかもしれません。
私たちも、相談を通じて、みなさんが自分を大切にして次に進むための力をつけるお手伝いができればと思います。
コロナ感染予防にかかわる制限も少しずつ緩和され、学校でできる活動も徐々に増えてきました。子どもたちにはこれまでの分も取り返す気持ちで、いろいろな体験をしてほしいと思いますが、「新しいこと、やってみたら」と促してみても、最初からあきらめてチャレンジしようとしないことがあります。これは「自分の力では無理だ」「失敗したら自分が傷つく」「できなかったら認めてもえらない」など、失敗に対する不安や心配があるからかもしれません。
『失敗は成功のもと』といった言葉があるように、「失敗することで成長する」という面があります。子どもが失敗を恐れずチャレンジしようとする気持ちをもつことができるかどうかは、失敗した時の大人の対応や言葉かけで変わってくるのではないでしょうか。 対応の仕方で大切なことを考えてみます。
一つ目は「プロセスを認める」
例えば、テストの結果では、点数だけで判断しないように、例えば苦手な分野に対しても一生懸命に子どもが勉強をしたというようなプロセスに目を向けましょう。点数は低くても、勉強したことは本人の頑張りであり、その努力や経験は次へのチャレンジにつながります。
二つ目は「できたことを誉める」
大人は、できないことに注目しがちです。例えば、子どもがサッカーの試合で、上手なプレーができなかったとします。しかし、試合中ずっとがんばってボールを追いかけたり大きな声を出したりといった良い点があったなら、そこに注目し誉めることで、またチャレンジしてみようという気持ちになります。
三つ目は「人と比較しない」
兄弟姉妹は勉強や習い事、スポーツ、など比較の対象になりがちで、知らず知らずのうちに競争をしています。その上に、「お兄ちゃんは成績が良かったのに」とつぶやくだけでも、弟はやる気をなくしてしまうことがあります。兄弟姉妹、友だちなど、人と比較せずに、関わることが大切です。
実は、失敗に耐えられないのは子ども自身ではなく、大人なのかもしれません。子どもが失敗したことに対し、大人が先々の事に
ついて心配や不安を感じてしまい、それが子どもへの関わり方や対応の仕方に影響を及ぼします。
大人が子どもを認めることによって、失敗を恐れずチャレンジしようとする気持ちが高まるのではないでしょうか。
9月になりました。まだまだ暑い日が続いていますが、空には秋の雲も見られるようになりました。
これからは過ごしやすい気候になるので、身体を動かしたり、本を読んだりと、夏とはまた違った楽しみが味わえるようになりますね。
さて、今回は、生活の中でバランスをとることの大切さと難しさについて考えてみたいと思います。
私たちは、一所懸命になるがあまり、物事に対してやり過ぎてしまうことがあります。その結果、他のことに手が回らなくなったり、時には身体を壊したりすることも出てきてしまいます。食事でも、いくら体によい食品でもそればかりを摂ると、かえって健康を害する場合があります。運動でも、「適度な」運動は身体によいですが、やり過ぎると体を痛めてしまいます。睡眠にもちょうどいい長さがあり、過不足すると、体や心に影響します。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「中庸は徳の至れるものなり」「薬も過ぎれば毒になる」などことわざにもあるように、昔の人の残した言葉には本当にそうだなあと関心させられます。
しかし、バランスをとることはなかなか難しいことでもあります。なぜなら、人によって、あるいはその時の自分の状態によって、バランスのとり方が変わるからです。実は、バランスをとる時は、ここというちょうどいい正解の位置が決まっているわけではなく、「大体このあたり」の位置を行ったり来たりしていることが多いのです。イメージとしては自転車に乗った時の感じでしょうか。ペダルに力を入れることで、一瞬一瞬、バランスがかわるので、それを保つために、私たちはハンドルを左右に動かしたり、腹筋や背筋の力加減を微妙に調節したりしています。
日々の生活の中でもその日の体調や集中する内容によって、例えば休憩することと、がんばって集中することの割合を、上手にコントロールしていくことが大切です。また、例えば子育てでは、褒めることと注意することのバランス、理屈や理論と自分の感情や気持ちとのバランスも大切です。「こうである」と固く決めすぎず、どちらかが過ぎれば軌道修正する柔軟性をもつことでバランスをとることがうまくいくようになると思います。
だらだら過ごすことも、頑張ることも両方大事にしながら、自分なりのちょうどいいバランス感覚を身につけ、より楽しく生きていきたいですね。
新年度が始まって4か月が経ちました。新しい学校や学年になって、友だちや先生との学校生活はいかがでしたか。ここで、1学期の終わりにあたり、皆さんには学習だけでなく、学校生活全体の「振り返り」をすることをお勧めします。この「振り返り」を提案するのは、「反省」とは少し違う取り組みである、と考えてのことです。
言葉の説明になりますが、「反省」というのは、自分の行動や言動の良くなかった点を意識しそれを改めようと心がけること(出展:フリー百科事典『ウィキペディア』)です。では「振り返り」とは何でしょう。「振り返り」は、良くなかった点だけに意識を向けるのではなく良かった点もあげることです。
自分の良くなかった点や改めたい点はすぐに挙げられる人が多いと思います。保護者の方も同じでしょう。しかし、良かった点は、できて当たり前だと思いがちで、意識しにくいものです。良かった点は、今までの方法が自分に合っていて、結果を導けているということなのです。良い結果を得られていないのは、方法が合っていなかったとも言えるでしょう。
「振り返り」の中では良くなかった点を挙げるだけでなく、改善できるようにする方法を見つけられるといいですね。この時、良かった点に着目して、「どうしてうまくいったのかな?」と親子で考えてみてください。自分に合った方法がそこに隠れているかもしれません。良かった点、満足できたことを意識することで、改善することへの前向きな気持ちになりませんか?「反省」ばかりしても、自分を責めるだけに留まります。苦手なことにも前向きに取り組みやすくなるよう、「反省」だけではなく、親子で一緒に「振り返り」を試してみてください。「振り返り」は、小さなことから始めることができます。例えば、1日の最後に、うまくいかなかったことと良かったことを思い出して、気づいたことを書き留めてみるのもいかがでしょう。
今年の夏休みは、感染対策は続くものの、人との交流や旅行などが緩和されています。2年間待っていた楽しみな夏休みを過ごしてください。そして2学期に向けて、「振り返り」によって自分に合った方法が見つけられるといいですね。
困った時にどうするか。人それぞれ対処方法が違いますし、年齢や経験によってもその対処方法は変わると思います。その対処方法にその人らしさが表れる、という言い方もできるかもしれません。例えば集団レベルでも、ある問題をどのように取り扱うかは、その家庭、その会社、その地方、その国家によって異なることがあり、私たちはその行動を見て「ああ、○○らしいなぁ」と思ったりするものです。“困ったこと”に直面した時、それに対してたった一人で臨むか、あるいは誰かに相談して共有するか、という大きく分けて二通りの方法があると思います。もちろん、内容によってどちらの方法をとるかは変わってくるでしょう。しかし多くの場合、私たちは自然とどちらの方法もとっているのではないでしょうか。なぜなら往々にして、“困ったこと”は複雑怪奇で、「どちらかの方法だけで一挙にお悩み解決!」というわけにはいかないからです。
私たちは、1自分で考える→2(全部とはいかないまでも)人に状況を説明して、尋ねてみる→1´それを基にもう一度考えてみる→2´再度、人に話して問題点を整理する…というように、往復運動をしているといえます。もちろんここで相談をする“人”は、信頼関係がある人やその困りごとについて詳しい人などになるでしょう。そしてもちろん、1と2の比率は、人によって大きく違うといえます。
私たちは、起きている間中、いつも自分に問いかけています。例えば、「今日はどちらのお菓子を食べよう」というレベルから、「仕事(宿題)はどの部分から着手すべきだろうか」というレベルまで、無意識に自問自答しながら行動していることが多いです。つまり、自分の中であれこれ思いをめぐらしながら目の前のことに対処するのは、私たちにとって慣れ親しんだ基本的な方法であるといえます。
一方、誰かに聞く、話す、相談するといった方法は、人生を生きていく中で、私たちが次第に獲得していく方法であるといえます。私たちは、小さい頃から何かあったら人に尋ねるようにと教えられます。そして実際に人に聞くという体験を繰り返す中で、この方法を自分のものとしていきます。“困ったこと”を言葉で説明し、相手とやり取りするということは、時になかなか骨の折れるものではありますが、他者との関係を基盤にして物事を解決していくのは、人間ならではの方法であるといえるでしょう。
一人で思うことと、誰かと話すこと。それぞれに良さがあり、どちらも窮地をしのぐときに役立つ方法です。どちらの方法も試し、行ったり来たりするうちに、“困ったこと”に対する自分の回答がより洗練されてくる…ということはとてもよくあることです。“困ったこと”は、生きている間ずっと続くものです。何もしないで時間が経過し、目の前の現実の方が変わることもありますが、いろいろやってみることで確実に自分自身は変わります。
何かに困った時、ひとまず上の二つの方法を、行ったり来たり、積極的に実践してみるのはいかがでしょうか。